第10話 ある日の誓い
──王都の外れにある小さな村。
今日は訓練の一環として、王都周辺区の視察だ。
小隊は二手に分かれ、アリサはリュシアンとともに、フレッドの指導を受けながら村を回ることになっていた。
「このあたりは、のんびりしているね。なんだか、懐かしい感じ……」
アリサは目を細めながら、ゆっくりと足を進める。
土の匂い。家々の軒先に揺れる洗濯物。畑から届く子どもたちの笑い声。
かつて自分が過ごした村と重なって見えた。
彼女の出身もまた、小さな辺境の地。
豊かとは言えなかったが、そこには季節の移ろいと人の営みがあり、どこか素朴で、ぬくもりに満ちていた。
──故郷を離れて、まだ数ヶ月。
懐かしい、というにはまだ早いのに、とアリサは苦笑した。
そんな回想にふけるアリサの隣で、リュシアンが静かに言った。
「そうですね。でも、王都から近くても盗賊の被害はあるそうですよ」
盗賊──。
幸いアリサは直接被害を受けた経験はない。だが、近年増えているという話は聞いている。
父や兄、村の若い男たちが真剣に対策を話し合う場面も目にした。
そのたびに、私も戦う! と勇ましく言っていたが、父はそんな娘に優しい笑顔を返すだけで、軽くいなされていたものだ。
(あのときの私は、力がなかった。……ううん、今だって──でも)
もう自分は騎士なのだ。
アリサは胸の前で両こぶしをグッと握る。
気合を入れるときの、彼女のクセだ。
「盗賊なんて、私がやっつけちゃうんだから。クラリス教官みたいに強くなって……!」
少し後ろを歩いていたフレッドが、穏やかに笑った。
「クラリスさんか。確かに彼女なら、一人でも盗賊団を相手にできるかもしれないな」
アリサはパッと笑顔になり、振り返る。
「そうですよ! 魔王にだって勝てるんじゃないかって、みんな噂してます。鋼と筋肉の騎士! 素敵ですよね」
夢見る乙女のように、うっとりと語るアリサ。
フレッドは少し引きつった笑顔に変わったが、アリサは気づかない。
「……頼もしいね。アリサくん」
そして続けた。
「このあたりは、なかなか騎士団の目も届きづらい。だからこそ、住民の表情や空気の変化には気を配ってほしいんだ」
「はいっ、分かりました!」
元気よく返事をすると、さっそく通りがかりの老婦人に駆け寄っていくアリサ。
「こんにちは。騎士団の見回りで来ました! 何かお困りごとはありませんか?」
大きな声に一瞬驚いた老婦人だったが、すぐに顔をほころばせた。
「まあまあ……気にかけてくれてありがとうね。大丈夫よ、今のところは。こんな田舎まで来てくれるなんて、ありがたいわ」
「そうなんですか。よかった! でも、何かあったらすぐに知らせてくださいね。そのための騎士団ですから!」
老婦人は微笑み、頭を下げて去っていった。
そのやりとりを見ていたリュシアンが、ぽつりと呟く。
「アリサさんって……元気ですよね」
フレッドは目を細めた。
「そうだね。うちの隊も、空気が変わったと思わないかい?」
フレッドの言葉に、リュシアンは考える。
あの魔法適性検査のときの、アリサに感じた違和感……。
(確かに、アリサさんは何かが違う)
明るさ、人懐っこさ──それだけじゃない。
もっと、芯のようなものがある。
そして、自分だけがそう感じているわけでもない。
(フレッドさんも、何かを?)
だが、問いを発するには、あまりにも漠然としすぎていた。
リュシアンは黙ったまま、その背中を見つめた。
***
アリサは、村の広場で遊ぶ子どもたちに声をかける。すると、みるみるうちにその輪の中に囲まれた。
にこにこと微笑みながら、アリサはしゃがみ込み、子どもたちと目線を合わせる。
「お姉ちゃん、本当に騎士なの!?」
「すごーい!」
きらきらと輝く瞳がアリサを見つめる。
アリサは頬を少し赤らめながらも、優しく頷いた。
「うん。まだ新米だけどね。でも、強い騎士になるんだ。みんなを守りたいから」
一人の子が、興味津々に問いかけた。
「強いって……魔獣退治もできる?」
「あはは……まだそこまでは。でも、頑張るから!」
アリサは勢いよく拳を握る。
「毎日鍛えてるんだよ? 走って! 剣を振って! また走って……それから、走って……走りまくって……剣を……」
言っているうちに、脳裏に地獄の訓練メニューが鮮明に蘇ってきたのか──
アリサの目から、だんだんと光が失われていく。
その様子を見かねたリュシアンが、そっと声を挟んだ。
「ま、魔獣退治はまた今度ってことで。でも、その代わり──」
言葉とともに、リュシアンは指先をすっと滑らせた。
ふうっと、やさしい風が生まれる。
舞い上がった小さな花びらが、子どもたちのまわりをくるくると包み込む。
「わあっ!」
「これ、魔法!?」
歓声があがる。
子どもたちは目を輝かせて、今度はリュシアンのまわりに駆け寄っていく。
リュシアンは少し照れくさそうに微笑みながら、そっとささやいた。
「風の精霊が、遊んでくれてるんだよ」
その言葉に合わせるように、ひとひらの花びらがふわりと舞い、アリサの頬をそっとかすめて落ちていった。
──アリサの意識が、ふと引き戻される。
気づけば、目の前にひとりの女の子がいた。
アリサの裾を、ちいさな手でそっと掴んでいる。
「どうしたの?」
「……あのね、私も騎士になりたいの。お姉ちゃん、かっこいいね」
アリサはその小さな声に、ふっと笑みを浮かべた。
「うん、わかるよ。私もね、騎士になるのが夢だったの。ねえ、困ったことがあったら、なんでも言ってね? お姉ちゃん、そのために騎士になったんだから」
女の子はぱっと顔を輝かせ、こくんと力強くうなずいた。
──そのとき。
リュシアンは、そっと寄り添っていた風の精霊がわずかに揺らぐのを感じた。
普段とは異なる、かすかな揺らぎ。
(……今のは……アリサさん、なのか?)
それは精霊の側から湧き起こった反応に近かった。
ほんの一瞬だが、精霊たちが「何か」を感じ取ったような──そんな気配。
やはりアリサには、まだ分からないことが多い。
けれど、それは怖さでも不快でもなく……むしろ、柔らかく惹きつけられるような何かだった。
「もっと魔法見せてー!」
子どもたちに囲まれる中、リュシアンは笑顔を返しながらも、ついアリサに目を向けてしまう。
なぜだろう。
目を離したくない、と今はただ、そう思った。
***
村の視察を終え、帰還するアリサたちに村の子供たちの元気な声が追いかけてくる。
「また来てねー!」
「魔獣退治のとき呼んでねー!」
アリサは歩きながら、子どもたちの姿が見えなくなるまで、満面の笑みで何度も手を振り返した。
「うん、約束だよ!」
その笑顔が自然とほどけた頃、隣を歩いていたフレッドがふと問いかける。
「どうだった、アリサくん」
アリサは立ち止まり、フレッドの方へ向き直る。まっすぐな瞳で、迷いなく言葉を返した。
「はい。私……みんなを守れる“正義の騎士”にならなきゃって、あらためて思いました!」
フレッドは一瞬、きょとんとしたような表情を浮かべたが、すぐにいつもの柔らかな笑みに戻る。
「正義……か。うん、いいね」
その声は優しかったが──どこか、ここではない遠い場所へ語りかけているようだった。
未来への願いと、かすかな祈りを込めて、その言葉はアリサに託された。
そこへ、リュシアンがそっと言葉を添えた。
「アリサさんなら、きっとなれますよ。僕も……けっこう好きです」
言い終えた瞬間、リュシアンはわずかに目を伏せる。
その言葉が自然に出たことに、自分でも少し戸惑っていた。
なぜそう感じたのか──説明できない。ただ、そう思ってしまった。
アリサはその一言に胸が小さく跳ね、思わず目を瞬かせる。
「えっ……好きって」
ほんのりと頬を染めたその様子に、フレッドは小さく「……なかなかやるね」と呟いた。
言葉の余韻を抱えたまま、アリサはふと空を仰ぐ。
──雲の切れ間から差した一筋の光が、静かにその肩を照らしていた。