外出したいナーシャお嬢様【始まり】
「サリュ君、暇なんだけど」
授業が終わって、第一声がそれなんですか、お嬢様……?
「先生からの課題を終わらせたらどうですか?」
ソファに寝転んだお嬢様が、顔を膨らませた。
「そんなの夜でもできるじゃない! 私は今しかできないことをしたいのよ」
部屋の扉の前に立っている僕は、だらしなく寝転んでいるお嬢様を眺めながらため息をつく。
先生がいなくなった途端、気を抜きすぎでは?
「それなら、盤上遊戯でもやりますか?」
ナーシャお嬢様は起き上がって顔をしかめる。
「たまに騎士たちがやってるチェスみたいなやつ……? サリュ君できるの」
チェスとは……? 言葉の意味は分からないけど、盤上遊戯のことを言ってるんだなというのは、普段の言動から理解できた。
「父上が騎士の嗜みとして教えてくれています」
父上には負け越していますが!
いつか勝ってみせます、意地でも!
「ロッソ卿ってチェス強いの?」
「強いです! 騎士たちの間で負け無しだって噂されています……」
想像したら挫けそう……。
「私にその難しそうな遊戯をしろと?」
不満気に口を尖らせるナーシャお嬢様。
ご令嬢に騎士の真似事は酷だったかな……。
どうしよう。これ以上は思い浮かばない!
「サリュ君! お出かけしようよ!」
顔が近いです!
僕はナーシャお嬢様と部屋の扉に挟まれて身動きができない。
生存本能が働き、軽業でお嬢様の腕からすり抜ける。
外出したいのだと、やっと把握できました。
「……サリュ君?」
扉に話しかけるナーシャお嬢様の後ろ姿をみつめて、落ち着きを取り戻す。
「家令に外出許可貰ってきます」
「よっし! お願いしまーす!」
お気楽な声に脱力しながら部屋をでる。
家令から外出許可を貰った僕たちは、馬車に乗って平民街に出てきました。
「……想像してたのと違う!」
お嬢様の希望だというのに、何が違うのか?
「なんで馬車なの!? 外を歩きたいのに!」
無茶を言わないで欲しい。
「お嬢様は公爵令嬢なんです。平民のように外出できる訳ないですよ」
お嬢様が崩れ落ち、柔らかい座席に顔を埋めてなにごとかを叫んでいる。
多分「そんなのありえない!」とか「こんなの外出じゃない!!」とか言ってるんだろう。
いまのナーシャお嬢様は、お忍び用の服装をしている。少しくらい馬車から出て歩いても問題ないと思いたい。
「……一緒に街を歩きますか?」
バッと起き上がったお嬢様が、潤んだ目で僕を凝視して、激しくうなずいた。
「うん、うん! お願いサリュ君」
そんなに外に出たいんだ……
お嬢様が楽しめる事なんて、多くないと思うけどなぁ。
御者に伝えて馬車から降り、ナーシャお嬢様が安全に馬車から降りられるように誘導する。
「サリュ君おっとなー! ……どこでやり方覚えてくるの……?」
「誰でもやる事です。父上に教わりました。騎士の嗜みだとか」
疑惑の眼差しでみてくるの、後ろめたい事した気分になるから、やめて欲しいんですが。
「騎士、万能すぎない? 団結したら国でも乗っ取れるのでは……?!」
「不穏な事いうのやめてもらっていいですか!?」
無邪気な顔して邪悪なことを言わないでください!
「サリュ君! 街だよ!」
「……そうですね」
僕たちのまわりに身を潜めた騎士が複数人いることを感じる。
大人の護衛がいてくれることが心強い。
「うわぁー! すごい凄い! 本で読んだ中世ヨーロッパみたい!!」
興奮すると異国言語が出るんですね。なんか分かってきました。
「くれぐれも、僕から離れないでくださいね!?」
ふとした瞬間に居なくなりそうで怖い。
「あ、サリュ君。いまの私はお忍びだから、お嬢様呼びと敬語は禁止ね」
お忍びだということは理解してるんだ……。
少しだけ安心したよ……。
「分かりま、分かった。ナーシャ、ちゃん? さん?……」
どう呼べばいいのか! お忍びとは言ってもお嬢様はお嬢様。僕が仕える家のご令嬢だよ!
「そこは、ナーシャでよろしく!」
お嬢様は厄介なことに、呼び捨てをご所望らしい。
騎士の心得(呼び捨ては無理という心)とお嬢様の喜ぶ顔が仁義なき戦いを繰り広げる。
「どうしたの?」
お嬢様の心配そうな顔が目に痛い。この顔を余計に曇らせることはしたくないな……。
圧倒的格差で、騎士の心得が敗れ去る。
「行こう、ナーシャ!」
「うん!」
僕はお嬢様の手を引いて馬車から離れた。
笑顔になったお嬢様も元気に歩きだす。