8.悪戯
弟オスカーの婚約者候補にミレア·バーレイを抜擢したのは、噂の『脈無し令嬢』の反応見たさという、アラミスのほんの気まぐれでしかなかった。
だが、その『脈無し令嬢』は、アラミスにとって自分の過去の闇の記憶を思い出させる人物だった。
まさかあの令嬢の姪だったとは。
十年前、アラミスが15歳になった頃、自分好みのある令嬢を見つけた。だが彼女には既に婚約者がいた。
エレノア·カシュナー伯爵令嬢が自分よりも5歳年上だろうと、婚約していようと、王族の自分の誘いを断わる筈がないとたかをくくっていた。
エレノアはアラミスの誘いを丁重に断わった。
これが成人した王族からの誘いならば流石に断れなかったかもしれないが、彼はまだ未成年で、自分は婚約者との結婚を年内に控えていたためエレノアには断る十分な正当性があった。
自惚れの強い彼にはそれが全く理解できていなかった。
アラミスは自分の思い通りにならなかったという憤慨でどうにかなりそうだった。
ある夜会の日、彼女が中庭にあるベンチから立ち上がった際、手紙を落としたのを目撃した。
彼女が気がつかずに行ってしまうと、すぐさま拾って中身を読んだ。
それは彼女が書いた婚約者宛の手紙だった。
婚約者への一途な愛に満ちた内容に、アラミスは嫉妬で気が狂いそうだった。
エレノアは老若男女に関係なく誰からも好かれる、非常に人気の高い美女だった。
ふんわりと優美で蕩けるような、彼女の傍にいるだけで夢心地に誘われる、まるで魔法にかけられたかの如くその魅惑に抗えない者もいた。
そのせいかアラミス同様に横恋慕している男達は他にもいた。
その中の一人に反王室派のローデン侯爵家の嫡男がいた。
令嬢の婚約者と同じ名前、同じ綴りを持つその男は、からかう相手にはうってつけだと判断した。
アラミスは、令嬢の書いた手紙の封筒は捨て中身だけをその男に、「君にこれを渡すように頼まれた」と言って手渡した。
側近らにもバレぬようにアラミスはカツラと仮面で変装していたため、誰にも正体は気づかれなかった。
意中の令嬢からの手紙に冷静な判断ができなくなったその男は、これは間違いです、あなた宛の手紙ではないと必死に否定する彼女の言葉を聞き入れることはなく、執拗な追い回しなど、日に日に暴走していった。
そんな事態から抜け出すために、彼女と婚約者は予定を早めて結婚しようとした。
だがその男は逆上した。エレノアを殺害し自分もその場で自死するという凶行に及んだ。
たった1通の手紙を悪戯半分に渡したら、想像もしなかった惨劇に発展してしまった。
アラミスは彼女をちょっと困らせてやりたかっただけだった。
まさかこんなことになるなんて。
ほんの悪戯心で、フラれた溜飲を下げようとしただけなのに。
自分が彼女を死なせてしまったも同然だ。
しかも侍女二人も巻き添えになり死亡、婚約者もその後自死するという死の連鎖。
何の罪もない5人の命をたったひとつの手紙でこのように無惨に散らしてしまった。
アラミスがその事件を引き起こす原因になった手紙を渡したことは、今も明らかになってはいない。
だが、自分の罪、自分の過ちであることには違いない。
アラミスは良心の呵責から逃げるために、嗜虐的な遊びに耽るようになった。
事件後、まだ十代半ばとしては珍しかったのだが、アラミスは髭を生やすようになった。
自分の顔の特徴を際立たせ固定化することで仮に目撃者がいたとしても、自分が変装して近づいた人物として特定され難くするための保身からだった。
からかいがいのありそうな人間を見つけては、その相手を嘲笑っている時だけは、自分の罪の意識から解放される、そんな錯覚に依存し逃げるようになった。
バーレイ嬢も、そんな嗜虐的な遊びの対象として選んだに過ぎない。
だが、バーレイ嬢が夜会の日に、廊下で手渡された手紙を中庭で広げている姿に、あの時のエレノアが重なって見えた。
顔立ちそのものは似ていないがエレノアと同じ髪色と瞳の色を持つ彼女に、ゾッとした反面、更なる加虐を与えてみたいという暗い欲望が掻き立てられた。
まさか彼女の姪だったとは。
これは運命のいたずらか?
ミレア·バーレイ、ゼカリアへ追放した女。
彼女にまだ使い道はあるだろうか。
そうさ、もっと私を楽しませてもらわなくては。
アラミスは野卑た笑いを浮かべた。