3.ゼカリアの魔女
王都からゼカリアまで鉄道と馬車を乗り継いで4日、もうじき終点のゼカリア駅に到着する。
ゼカリアは隣国ファージアとの国境にある。
車窓から見える万年雪を頂きに残す霊峰クエス山は、ヒューゼルとファージアの両国に股がっている。
ミレアが向かう魔法庵は夏でも涼しい高原地帯だ。
終点に到着し改札を出て右に行くと、合格通知の文書で案内されていた通り、ユニコーンの紋章入りの馬車が止まっていて、ミレアが近寄るとドアがひとりでに開いた。
それは御者も引く馬もいない馬車だった。
座席に腰を下ろし「魔法庵まで」と伝えた途端に動き出した。
そのまま駅前の道をしばらく進み、橋を渡ってすぐのポプラ並木に差し掛かると一旦止まった。
馬車自体がふわりと浮き上がり、三回ゆっくり回転して着地すると、そこはもう魔法庵前だった。
「ど、どうもありがとう」
ミレアが降りると馬車はすぐに消えてしまった。
目の前には建物らしいものはひとつも無く草地があるばかりで、『魔法庵へようこそ』という立て札がぽつんと立っていた。
その立て札に描かれていたユニコーンの紋章がチカチカと光り出し、「ここに手を触れて」と言う声がした。
その声は女性のようだった。
言われた通りにミレアは自分の右手をそのユニコーンの紋章に触れてみた。
「じゃあ、これからあんたが住みたい家を頭の中で想像してごらん」
そう言われたので、自分好みの庭付きの小振りな一軒家を思い浮かべた。
するとその通りの建物が何もなかった草地に瞬く間に現れた。
「アッハハハ、あんたってば欲がないねえ、本当に貴族のお嬢様かい?」
いつの間にかミレアのすぐ横に、白銀の鬣を靡かせたユニコーンを連れた長身の女性が立っていた。
年の頃は三十前後、長い白髪に瑠璃色の瞳の、思わず息を飲んでしまう程の美女だった。
魔法省の瑠璃紺色の官服を着ているのだが、それが彼女の美貌をより際立たせていた。
「······あなたが魔女様ですか?」
「ああそうだ。ミレアだったね、よろしく」
「こっ、こちらこそよろしくお願いいたします」
「では、お入り。今日からここがあんたの魔法庵だよ」
魔女がパチンと指を鳴らすと、瞬時に部屋の中だった。
自分の想像が外観ばかりに気を取られていたので、中はほぼがらんどうだった。
焦ったミレアは、取りあえず落ち着いて話せそうな居間を想像して出現させた。
続けて応接用の椅子に机、長椅子を手早く出した。
魔女は早速腰掛けると足を組んだ。
「まあまあね」
魔女様仕様なのか、官服から覗く美脚にドキリとした。
通常の官服のスカートにはそんな深いスリットは入っていない。
お茶を淹れる厨房も茶器も用意しなくちゃと思っていると、ミレアよりも速く魔女が机にお茶と菓子を一式用意した。
「も、申し訳ありません」
「まあ、はじめはこんなもんさ。後からあんたの好きに直せばいいよ」
「えっ、修正できるのですか?」
「もちろんさ。いつでも自由に好きなだけやればいい」
「そうなのですね、良かった」
ホッとしたミレアの視界に入ったのは魔女と同じ瑠璃色の瞳のユニコーンだった。
「······ユニコーン、本物?」
思わず心の声を呟いてしまうと
『もちろん本物さ』
ユニコーン自身が答えた。
「よ、よろしくお願いします」
『ああ、よろしく、ミレア。じゃあまた』
そう言うと瞬く間に光の玉になったかと思うとスッと消えてしまった。
「あの、他の合格者の方々は?」
最も気になることをまず質問した。
「合格者はあんただけだよ」
「えっ、ええ~?! 私一人なのですか?」
「そうさ、だからこままであんたの好きにさせることができるわけ」
「あ、ありがとうございます!」
ミレアは魔法庵は小規模な研究舎、あるいは絵本や物語に登場する魔女の家のような建物を想像していたので、全くの予想外だった。
しかも、まさか合格者が自分一人だったとは。
「ああ、それから、あの時は悪かったね」
突然魔女がミレアに詫びた。
「なんのことでしょうか?」
「夜会の時の呼び出し伝言、あれは私なんだよ」
「ええ?!」
「あんたに王子とあのまま婚約されたら困るからね」
「そういうことだったのですか」
夜会中に呼び出す程の相談があるならば、ミレアがゼカリアへ出向する前に相談してくる機会はいくらでもあった筈だ。
あれからなんの音沙汰もなかったのは、もしかしたらあの呼び出しは会場にいた誰かから嫌がらせを受けたのかと疑っていたのだ。
「でも、あんたの馬車の予約を取り消したり、ワインをドレスにわざとぶちまけたのは、別の令嬢達だからね。あれはあたしじゃないから」
「わざと?!複数の令嬢ですか、うわぁ······」
(貴族って怖い! 王族も怖い、特にアラミス殿下)
「第三王子をあんたに取られたくなかったんでしょ、怖いね~、女の嫉妬は」
「伏魔殿ですね······」
「フフフッ、言うじゃないの」
魔女は自分で出した菓子を殆んど平らげていた。
「私は婚約者候補ではなくて、アラミス殿下の個人的な余興のためにあの日呼ばれただけなのです」
「あの第二王子は問題ありね。でも、案外第三王子はあなたを気に入っていたんじゃないの?」
「仕事でその他大勢として顔を会わせることはあっても、個人的に会話をしたこともありません。ごくたまに参加する夜会でも遠くからお見かけするだけです。それに私の家は子爵ですので全く釣り合いません」
「もし家格が釣り合えば、結婚したいの?」
「いっ、いいえ、そんなことは全然」
ミレアはオスカー殿下を恋愛の対象とは意識したことが一度もなかった。
オスカーはミレアよりふたつ年下でもあった。
「ふうん、それより、『脈無し令嬢』って何?」
魔女はまるであの夜会に来ていたかのように全て知っていた。
「それは······、男性に誤解をされたくないのです。でも、自覚してやっているわけではないのですが、気持ちがないのが顔に出てしまうようで」
「ぶはっ」
魔女は蒼い眼を細め、腹の底から笑った。
「誰にでも愛想よくにこやかだった叔母は、婚約者がいたのに、他の令息にしつこく付きまとわれ、······最後には殺されてしまったのです」
「·······ああ、そういうこと」
「私は叔母のように美人でもなく魅力的ではありませんが、それでもそのように誤解させてしまうのが怖いのです。叔母の婚約者もそのあと心を病んでしまい自殺してしまったのです」
当時12歳になったばかりだったミレアには、他人の誤解による理不尽な死は恐怖でしかなかった。
突然仲の良かった妹を亡くした母も精神的に病んでしまってから、ミレアら子ども達への関心を無くしてしまった。
ミレアが結婚しようとしまいが、ゼカリアに行こうが行くまいが母の眼中には全くない。
そんな母と弟だけを溺愛する父もそれは同様だった。
「社交辞令がわからず勘違いする男はいるからね。まあ、女でもいるけどさ」
「私は貴族向きではないのだと思います」
「うっふふ。そうね、だからこそ、あんたはきっといい魔女になるよ」
「えっ?」
「あんたが次のゼカリアの魔女になるんだよ」
当代のゼカリアの魔女はその蒼い瞳でミレアを射貫くように見つめた。