13.母の死
母の葬儀の後、ミレアの父は今までお前には本当に済まないことをしたと詫びた。
父の髪にはだいぶ白いものが混ざっており、元々痩せぎすな体躯も相まって随分老けたなという印象を受けた。
「母さんを守ることに必死で長い間お前を慮る余裕を無くした不甲斐ない父を許してくれ。これからはお前に償いをしたい。だからどうか、ミレア、家に戻ってきてくれ」
ミレアの父は泣いて懇願した。
ミレアが家を出てから14年、家との唯一の連絡窓口になっていた弟は抗議した。
「それは父上、あまりにも都合良すぎですよ。戻る戻らないは姉上の自由です。姉上の気持ちを一番に尊重しないと」
そう父に意見する程、一人前の青年になっていた。
家とは音信不通になった後、ミレアと弟は街で偶然再会し、それから手紙でのやり取りがはじまったのが八年前だ。
母に気がつかれないようにミレアは弟の友人の名を借りて手紙を送っていた。
事情を知ったその友人が協力してくれたのだ。
弟の銀色の髪と青灰色の瞳は母の面差しに似ていて、彼の中にミレアが記憶する母の姿を偲んだ。
棺に納められた母はやつれていて、かつての面影はなくなっていた。
母からのミレアへの遺言は無いか尋ねると、父達は気まずそうに首を振った。
「私はゼカリアの魔女として生きてゆきますので、もう共には暮らすことはできません。お父様のそのお気持ちだけで十分です」
翌年喪が明けると、ミレアの父はすぐさま弟に家督を譲り、王都の別邸に若い後妻を迎えて隠居した。
弟との別居の理由は、「お前の面影が母さんを思い出させて辛いから」だそうで、これに激怒した弟がミレアに告げ口するような手紙を寄越した。
まるで母と同じことを繰り返そうとする父に心底呆れ果てるしかなかったが、父もまた母から解放されたかったのかもしれない。
母への父の献身は疑いの余地は無く、過保護過ぎるぐらいに尽くして来たのは確かだ。
それが母への純粋な愛からなのか、夫としての義務感からなのか、それともその両方だったのか、本当のところは父にしかわからない。
父なりの最善を尽くし、今はその責任から解放されたのは事実だ。
弟からの手紙に、母は仮病だとか詐病だという疑いの言葉が書かれ出したのは三年前ぐらいからで、まだミレアは流石にそれは半信半疑だった。
弟が望んだ進学も、あなたは家にいて私の傍にずっといないと駄目じゃないのと母が嫌がって許可しなかった。
再三弟が頼んでも、その度に具合が悪くなる演技や、病んだふりをして取り合わなかった。
そうやって自分の病を盾にして父や弟の全てを母の思い通りに服従させるようになっていたようだ。
母の都合が悪くなったり、思い通りにいかなくなるとすぐに病状が悪化したふりをしていたと、 弟から来る手紙からその様子を窺うことができた。
「姉上も家を出されて今まで辛い思いをされたことでしょうが、家に残った私も辛いのです。父上や私が母上のために自由を制限され、母上の意向で諦めなければならなかったことが、どれだけ沢山あることか。母上は病気を持ち出してこの家を支配しているのです」
その苦しい胸の内を吐露してきた時はミレアも辛かった。
母の精神的な病はある程度既に癒えていて、危機的状況は去っていたと思われる。
周囲から長い間看病と庇護を受けてきたことによる母中心がより強まり、母のご機嫌を損なわないのが第一という立場に味を占めた母が、父らに甘え依存しつくしていたのだろう。
結局弟は母の言うことを聞かずに自分の望んだ通りの進路へ進んだが、母の容態が悪化することはなかった。
本当に心を病んでいた時期もあったことは事実だけれど、 亡くなる前の何年かは、母が自分で言うほどには本当の病人ではもうなかったのだろう。
ミレアはメレディスに母の病状を相談したことがあったが、メレディスはポーションや治癒魔法は必要ないと断言した。
「もうそれほど病んではいないだろうから、後は本人の人間性の問題ね」
ミレアは驚いたが、母はそこまで回復していても、自分を家に呼び戻す気はないのだな、やはりもう自分に会うつもりはないのだとミレアは諦念するしかなかった。
アラミスの関与を母に伝えたとして、それでまた病気を盾にするようになってしまうなら、バーレイ家はより疲弊してしまうだろう。だからまだ耳には入れない方が良さそうだと判断した。
母が亡くなって、母による支配の呪縛からバーレイ家はようやく解放されたのだ。
父には呆れるが、不思議と怒りや憎しみはもう湧いて来ない。
ミレアは母にも父にももう何も求めてはいなかった。
母の死は悼むが、父も弟も、私もみな母から解放されたのだ。
これからは、バーレイ家の人達はもっと自由に軽やかに生きて良いと思う。
そんな私達のことを母は怒るだろうか?
母の訃報を聞いても、葬儀の時もミレアは涙はもう出なかった。
あの日の山の家で、母については散々泣き尽くしてしまったから。