ぴょん ぴょん ぴょん
白いうさぎ はねた
ぴょん ぴょん ぴょん
黒いうさぎ またはねた
ぴょん ぴょん ぴょん ぴょん
赤いうさぎ 何度もはねた
ぴょん ぴょん ぴょん
三羽のうさぎ みんなではねた
ぴょん ぴょん ぴょん ぴょん ぴょん
その屋敷は、村のはずれ、普段あまり人が近寄らないようなところにあった。
途中の田んぼまではまだ舗装されていないなりに車の通れそうな道があったけど、最後の数百メートルは木が茂っていて、でこぼことしたけもの道のような道を歩いて行く。
そうすると、急に視界が開けて、意外なほど大きな屋敷が姿を現す。
土塀は半分崩れかけて、もはやよじ登らなくても中の様子が見えそうな高さになっていた。そして辛うじて入口の門らしきものは残っていたけど、既に扉もないし、傾いて平行四辺形になっている。その奥は草がぼうぼうに茂ってよく見えない。
「すっげー!」
翔太がその門の前で、歓声を上げた。
「……だろ? どきどきしねぇ?」
陸がちょっと自慢するようにして、わざとらしく胸を張って、鼻の下を指でこすってみせる。
「うさぎさん、うさぎさん」
陽菜が無邪気な声を上げている。
「……ねぇ、今からでもやめようよ、不法侵入だよ」
私は小声で言って、陽菜の服の裾を小さく引っ張ったけど、3人は全く引き返す様子がない。
「さぁ、侵入だ!」
翔太が開きっぱなしの門をくぐる。
せめて冒険の始まりだとか言えばいいのに、侵入では最初から犯罪行為じゃないの?
林の間を通り抜けて、夏休みにしては少し涼しい風が、私の頬を打った。
ぴょん ぴょん ぴょん
小学5年生になると男の子と女の子と混ざって遊ぶようなことは少ない、と思われるかもしれないんだけど、私の通う――「村の」という比喩が似合うような小学校では、1年生から6年生まで全部数えても20人ぐらいしかいない。
都会の人には信じられないと言われる、違う学年で同じ授業を受けるような小学校だ。ふくしきがっきゅう、とか言ったような気がする。で、同じ学年の私たち4人は、自然と一緒に遊ぶことが多かった。
「お化け屋敷に行こうぜ!」
そう言い出したのは陸だった。一応4人の中ではテストの点もいちばん良くて、いろいろなことを知っていて、そして眉につばをつけるような変な話もよく知っていた。
で、ノリと勢いだけで生きているような翔太は、それにすぐ便乗する。
この時点で女の子2人は付いていく必要は無かったと思う。
現に、翔太は「お前ら怖がりなジョシは来なくていい、俺たちダンシだけで探検してくるぜ!」とか、男女平等のかけらもないようなことを言っていた。
だけど実際、私も陽菜も、さすがにそういう怖いことのありそうな冒険には出たくなかった。
しかし、陸の一言で、陽菜も参加することになる。
「うさぎのお化けが出るらしいぞ!」
「うさぎっ♪」
まぁ正直言って、陽菜は少々バカ……というのか幼い性格をしてる。去年までサンタクロースを信じていたという。そしてかわいいものが大好きだ。特に、うさうさは。
3対1。
「結衣は来ないの?」
そう言われたら、私も頷くしかない。
男子たちはともかく、さすがに陽菜を放っておくわけにはいかない。……いや、というのは建前で、結局一人だけ仲間はずれになるのが嫌だったのだ。
ぴょん ぴょん ぴょん
門をくぐった瞬間、景色が変わる。
「「「「え?」」」」
さっきまで草むらだったと思ったのに、そこは人気はなく少し荒れてはいるものの、ちゃんと庭があって、その奥に普通に家が建っていた。昔からの古い家って感じで、ちょっとお寺か何かみたいな雰囲気もある。
『休憩所 どなたでも おやすみください』
門から家の玄関に続く通路の真ん中には、そんな札まで立っている。
「入っていいんだよな」
「いいんじゃね?」
翔太に対して陸が頷くと、二人とも靴を脱ぎ散らかして、小さな屋根が張り出した玄関に入っていく。
私と陽菜は顔を見合わせてから。
「おじゃまします」
「します」
律儀に屋根の下で礼をしてから入る。自分の靴と、ついでに脱ぎ散らかしたままの男の子2人の靴も、揃えておく。
ぴょん ぴょん ぴょん
左に曲がると、長く廊下が続いていて、その先には畳敷きの大きな部屋が広がっていた。
ふすまが半分開いている奥をのぞき込むと、男の子二人が畳の上にねそべって、ごろごろごろごろと意味もなく転がり回っている。
「……なにしてるの?」
私がジト目で二人を見ると、翔太が答える。
「こんな広い部屋に来たら取り敢えず寝そべるものだろ」
「そうかなぁ」
ほこりまみれ、というほどではないが、正直しばらく放置されている感じで、素足で歩くところぐらいまでは平気だが、あまりごろごろとする気はしない。
「ほんとだ、気持ちいい」
そんな思いを踏みにじるように、陽菜はごろんと横になる。
「……まぁ、どうでもいいけど」
私は息を吐いて、その場に座った。まぁ、確かに悪くない。
ぴょん ぴょん ぴょん
「でも、うさぎさんいないね」
4人で輪になって座っていると、陽菜が言った。
「あの庭にうさぎでもいるんじゃね?」
翔太が廊下の反対側を指さす。そこには少し汚れたガラス窓の向こうに昔はきれいに整備されていたであろう広い庭が広がっていた。松とか岩とかが置かれているが、雑草が茂ってしまっていて、眺めて楽しむには荒れた印象が強い。
「こんな荒れてるのに?」
「荒れてるからエサの草には困らないだろ」
私が訊くと、陸が言った。
「……こうしていると、庭から鳴き声が……」
言いかけて首をかしげる。
「うさぎってどんな鳴き声なんだ?」
うちの小学校にはうさぎ小屋はない。
「なんか高い音でかわいい声で、ぴー、とか鳴きそう」
私が言うと、陽菜が口をとがらせて言う。
「えー、しらないのー?」
みんなの顔を見回してから、ちょっと先生みたいな顔をして言う。
「きゅー、って言うんだよ」
そう言ってから、首を傾げる。
「あんまり似てないな、ちがうんだよ、もっとこう、声が低くて」
きゅー。
何かがこすれるような、きしむような音がする。古い建物を歩いた時に少し音がするような。
「そうそう、こんなの」
「え?」
みんなで顔を見合わせた。
「俺じゃない」
「違う」
「陽菜でもないよ」
「私も」
4人でそぉっと、廊下の方を見ると。
そこには大きなうさぎのようなものが、鼻を鳴らしていた。
……ようなもの、と言ったのは、多分私が知っているうさぎじゃなかったから。
確かに目は赤くて、真っ白で丸っこくてふかふかしていて、なによりすごく長い耳が伸びていて、フォルムはうさぎさんだ。
だけど体の大きさは私たちの背の高さほどもあって、うさぎというより、熊だ。
赤い目はどっちかと言えば、血走っているように見える。
上から出っ張った牙は、草食動物だと分かっていてもとても鋭く見えた。
「逃げろ!」
翔太が叫ぶ声で我に返る。
それと同時に、巨大なうさぎがぴょんと跳ねて、飛びかかってきた。
ぴょん ぴょん ぴょん
「はぁ、はぁ」
庭の大きな岩の陰に隠れて、私たちは息を切らしていた。
跳ねたうさぎは、天井に頭をぶつけて、そのまま庭の方に向いたガラス窓にぶつかった。
ガラスではなく窓枠にぶつかったはずだったのに、衝撃でガラスが割れて落ちた。ガチャンとけたたましい音を立てる。
その直前に、私たちは左右に分かれて飛び退いていたけど。
一瞬凍り付いたうさぎは後ろを見回して、私と陽菜の方に飛びかかってきた。
うさぎの後ろ足ってこんなにたくましかったんだ。
「ひっ」
陽菜がくぐもった悲鳴を上げる。
私たちは辛うじて左側に飛び退いて、今度はうさぎが床の間に突っ込んで、また少し凍り付く。
「結衣、陽菜、こっち!」
陸が叫ぶ。さっき割れた窓に残ったガラスを蹴飛ばして、翔太と陸の二人が窓枠をくぐろうとしていた。
二人が駆け込んだ直後に陽菜が飛び込むように窓枠をくぐって、それから私が頭を打ちそうになりながらなんとかくぐり抜けた。
その直後に、背後でうさぎがまたぶつかる音がする。
うさぎの大きな体は窓枠を抜けられないらしく、赤い目が不満そうに私たちをじろじろと見ていた。
「これからどうするの?」
私が小声で訊くと、翔太が少し考えてから言った。
「とにかく玄関まで戻ろう」
「でも、うさぎが」
「庭伝いに家を回れば、多分門まで戻れるはず」
「あ、そうか」
白いうさぎは、こちらを見ずに何か口をもぐもぐとさせている。
「さっきの玄関ってここから見て左側だったよな」
そう言って一歩あるいた陸の足が止まった。
さっきの部屋からは見えなかったけど、庭の左奥でもぐもぐと雑草をはんでいるのは。
「もうやだ……」
黒いうさぎを見て、陽菜が泣きそうな声で呟いた。
ぴょん ぴょん ぴょん
黒いうさぎの反対側に早足で動いて、建物のいちばん端から右側に曲がる。もしかしたら土塀が途切れていないかと思ったけど、突き当たりにも土塀はあって、屋敷を囲むように続いている。
屋敷と土塀の間は人が並んで通る程度のスペースはあるけど、元々特に整備もされていなかったんだろう。どこかに通り道があったのかも分からない、草ぼうぼうの状態になっている。
うさぎから隠れる場所に辿り着いて、私たちは一つ息をついた。
「俺たちが道を作るから、結衣と陽菜は後ろをついて来い」
翔太は私たちの方を振り向くと、少しだけ笑ってみせた。
無理に笑っているのは私にも分かったけど、多分私たちを元気づけてくれているんだろう、と思った。
陽菜が私の手をぎゅっと握ってきたので、握り返す。
あの長い耳が私たちの音を捕まえるんじゃないか、と思うけど、草をかき分けるたびに、踏みしめるたびに、くしゃ、と小さな音がする。でも、少しでも急がないといけない。
少しでも音を出さないように、でもできるだけ足早に、建物を時計回りに回っていく。
屋敷の奥行きは横幅ほど広くはなくて、少し進むとまた裏庭らしき場所に出た。
陸が一人でそっと奥をのぞき込んで、私たちに向かって頷いた。
多分裏庭に当たる場所なんだろう。うさぎはいない。草は生えているけど、反対側の土塀まで見渡せる程度だ。
「走るぞ」
翔太が言った。
私と陽菜も手を離した。
陸が真っ先に走って行って、私と陽菜がその後を追って、最後に翔太が後ろから走ってくる。
そして屋敷の次の角で、陸が一度止まって、さっきと同じようにのぞき込んで私たちに頷いた。
曲がると、最初に見覚えがある、玄関から少し出っ張った屋根が見える。
……門から玄関まではすぐだったはずだ。
うさぎはいたはずだけど、廊下の距離を考えると、多分門からは離れているはず。
今度は私が、陽菜の手を握った。
陽菜が、私の手を握り返してきた。
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「俺が先に行くから待ってて。大丈夫だったら合図するから、走って来て」
玄関の少し手前で、翔太が立ち止まって振り向くと、私たちに言った。
「門、ちゃんとあるのかな」
私は思わず呟いた。
……入る時は扉なんて残っていなかったけど、きれいになっているこっちの世界では、もしかすると門が閉じているんじゃなかろうか。
「大丈夫だよ」
翔太が言った。
何の根拠もないその言葉に、何故か安心する。
翔太は少し腰を落として、先に進む。建物の陰になって、翔太の姿が見えなくなる。
「大丈夫! 門も開いてる!」
その時、翔太の上げた声が聞こえた。
「おっしゃ!」
陸が声を上げて、私たちも駆け出そうとした。
その時、きゅー、と聞き覚えのあるきしむような音がした。
それが何の音だったか思い出す前に、どどどど、と音がして、大きな塊がこっちに跳ねて来た。建物の陰から翔太の体が飛んで来て、土塀に叩き付けられて、跳ね返って私たちの目の前に落ちた。
「え」
短く声を出すのが精一杯だった。
翔太の足が変な形に曲がっているのが見えた。
そして、ぶち色のうさぎが私たちの目の前を塞いでいた。
……ぶち?
違う。赤いぶちのうさぎなんて聞いたことがない。だったら、この灰色のうさぎについている、赤茶けたぶちはなんだろう。
なんだろう?
答えは知っているのにその答えが出せない。
ぶちうさぎの縦に割れた唇が大きく開くと、上からも下からも乱暴に伸びた歯が見える。
うさぎって草食だと思われるけど、実際には肉も食べるらしいよね。
そう思った私の視界を覆った赤い色は、うさぎの色だったのか、それとも。
ぴょん ぴょん ぴょん ぴょん ぴょん