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二話で終わります
「全くお前は、俺がいないと生きていけないんだから」
俺はいつも彼女にそう言っていた。彼女は小学生の頃から体が弱く、気も弱かったためよくいじめられていた。
その度に俺は彼女をいじめから助けてやっていた。助けてやると、彼女は俺の胸の中でずっと泣いて、泣き止むとありがとう、とだけ言って俺の後ろについてくる。
彼女には、俺がいないとダメなのだ。俺が、一生守ってやらないとな。小学生だった俺は、生意気にもそんなことを思っていた。
中学に入ると、彼女はいじめられることもなくなり、俺と関わる機会も自然となくなっていった。
彼女の気弱な性格が今度は功を奏し、みんなから愛される癒しキャラとしてみんなの人気を集めていった。大人しめで可愛く、みんなに笑顔で接する彼女を、俺は遠くから眺めるだけになっていた。
俺はサッカー部に入り、一日中部活のことを考え、部活に明け暮れていた。俺はそこそこ運動神経も良く、二年になる頃にはチームのエースとして活躍することができていた。たまに彼女も応援に来てくれていたが、そのときは男女数人のグループで来ていたので、その中の誰かと仲がいいのかと少しモヤモヤした気持ちになった。
事件は、高校生になった時に起こった。俺と彼女は当然違う高校に進学し、俺はサッカーの特待生として高校に入学した。彼女はそこそこ偏差値のいい高校に通うことになって、たまに駅で見かける程度しか会うことはなかった。
本気でサッカーに打ち込んでいた高校二年の時、俺は通学中に居眠り運転をしていた車に衝突され、意識不明の重体になった。
目が覚めて、体を走る激痛に目をしかめながらベッドの横を見ると、母が座りながら寝ていた。俺が目を開けたことに気づくと、母は泣きながら寝ている俺に抱きつき、家族に連絡をしているようだった。まだ現実味のない俺は、家族を悲しませてしまって申し訳ない、くらいにしか考えることができなかった。
どうやら、俺は一週間半ほど目を覚さなかったらしい。まだ上半身を起こすことができないが、手を動かすことはできた。
なんだか手が温かいなと思い目を開けると、そこには彼女がいた。俺の手を握って、しきりに泣いている。
俺と彼女は、ここ数年ほとんど会話していなかったのに、何故来てくれたんだろう。幼なじみが怪我をしたと聞いたから来たのだろうか。でも、もし彼女が事故にあったと聞いたら、俺もお見舞いに行くだろうな、と思った。
「そんなに泣くなよ。俺、お前の泣いてる顔、嫌いだ」
ぶっきらぼうにそう呟くと、彼女はさらに顔を歪ませて、さっきよりも酷く泣き始めた。
俺は、どうすることもできずにただ彼女のことを見ていることしかできなかった。
少し回復した俺は、上半身を起こすことができるようになっていた。ただ、少し時間が開くと、どうしてもサッカーのことを思い出してしまう。ただでさえ時間が足りないっていうのに、リハビリの時間を考えたらいても立ってもいられなくなってしまった。
少しでも足を動かす練習をしようと太ももに力を入れようとしたが、うまく動かない。
俺は、全身からドッと冷や汗が噴き出すのを感じた。まさか、と思い足首に力を入れても、爪先が動いているようには見えなかった。
頭の中が真っ白になった。中学から今まで、ずっとサッカーのことしか考えていなかったのに、そのサッカーがなくなってしまったら、俺は何をして生きていけば良いんだ。
俺はその日から、まるで抜け殻になったみたいに無意味に時を過ごした。
「はやくサッカーに復帰できるように、しっかり食べなきゃダメだよ?」
彼女は俺のことを思って、そんなことを言ってくる。しかし、俺にとってその言葉は刃のように心に突き刺さった。
「もう、サッカーはできないんだよ」
「……え……?」
「下半身、動かないんだ。医者にも見てもらった」
「そ、そんな……」
彼女はまた泣き出してしまった。
これ以上、こいつのこんな顔は見たくない。それに、下半身が動かない俺に同情なんてしてしまったら、退院した後も面倒を見る羽目になるかもしれない。そんなのはごめんだ。こいつの人生を、俺が縛り付けてしまって良いはずもない。こんな体では、ろくに働けもしないだろう。
俺は無意識のうちに、彼女を遠ざけるように言った。
「ごめん、今日はもう帰ってくれ。明日からも来なくて良い」
「な、なんで? 嫌だよ、私、明日からもーー」
「来んなって言ってんだろ!! お前が泣いてる顔を見んのはもううんざりなんだよ! 早く俺の前から消えろ!」
しまった、と思った頃にはもう遅かった。彼女はうつむいたまま、荷物もそのままにして帰ってしまった。
あんなことを言ってしまったら、彼女はもう二度と俺に会いにくることはないだろう。
でも、これでよかったのかもしれない。俺なんかに構ってる暇があったら、彼女自身の人生を生きる方がよっぽど有意義だ。
そう思いながら彼女の荷物を見ると、その紙袋の中には彼女がおったであろう千羽鶴があった。千羽鶴からする匂いは、とても懐かしい、落ち着く匂いだった。その匂いを嗅いだ瞬間、俺は涙が止まらなくなった。おそらく俺はもう、この匂いを嗅ぐことはないだろう。
そうだ、俺は気づいていた。中学の三年間も、高校に入ってからも、ずっと彼女のことを目で追っていた。彼女と目が合うとやる気が出たし、彼女が笑っている姿を見て元気が出た。
そんな彼女だからこそ、俺のそばに置いておくことはできない。俺の近くにいると、不幸になるのは目に見えている。彼女の笑顔を、俺は守ることができない。
最後の別れは酷いものになってしまったが、結果的には良かったのだろう。俺がもし彼女の立場だったら、こんな野郎のところにはもう来ない。
最後の彼女の顔を思い出して、俺はまた静かに泣いた。