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2-2

「はあ、なに? そのためにあたしを呼んだってわけ? 正気なの?」

 当然、刺々しい反応を返されてしまった。

 しかし、エリちゃんのいう事にも一理……いや百理ある。わざわざお呼び出しを受けて、うきうき気分で出かけたら子守をお願いされた時の残念さは筆舌に尽くしがたいものがある。

 しかし、私もわたしで今日は調査をしたいので、後で彼女とデートをすることになったとしても、今日は同伴してもらうしかない。

 ……仕方ないので彼女にしか通じない奥の手を使うことにした。

「ごめんね、エリちゃん」

「な、なによ改まって」

「こんな体で今頼れるのはエリちゃんだけだったとはいえ、ちょっと気を許して大きなお願いをしすぎた」

「……あたしだけ? ほんと?」

「そう。でも、ごめん。エリちゃんは忙しいアイドル。だから、邪魔しちゃってごめん、エリちゃん」

 出来るだけ悲しそうにそう言って、背を向ける。すると、エリちゃんに腕をつかまれて止められる。振り返ると、慌てた様子のエリちゃんがこちらを見上げてきていた。

「ちょ、ちょっと待ちなさいよ。誰も手伝わないなんて言ってないじゃない」

「エリちゃん。私は忙しい人までは手伝わせたくない」

「なっ! まま、任せなさい、子猫ちゃん! あたしが役に立つかはわからないけど、子猫ちゃんのお守りくらいできるんだから。眠り猫ちゃんを見ててあげるなんて朝飯前なんだからね!」

 胸を張ってそう断言した。

 さすがエリちゃんだ。私のわがままに付き合ってくれるなんてとても優しくて涙が出てくる。そして、とてもいいチョロインぶりである。

 彼女の素直さをもてあそ……利用するのは心が痛むが、後日本当にデートをすることで許してもらおうと思う。しかし、ここまで騙されやすいとファンとしては大変心配であるが。

 憐みの目を向けていると、またむっと見返されてしまう。

「何?」

「いえ、何も。ありがとうエリちゃんさん」

「変な呼び方をするのはマイブームなの? ……まあいいわ。それで、その噂のお話しってここの路地なわけ? ……あたしは、あんまりいい印象はないんだけど」

 エリちゃんがそう言いながら路地の方に視線を向けた。

 視線を追うと、その先には不気味な雰囲気を漂わせている……わけではなく、いたって普通のレンガで作られた建物と建物の隙間で、特別なものなど何も見当たらない普通の路地が続いていた。

 人二人が並んで歩ける程度の細さで、道の奥には鉄製のゴミ箱が置かれている。その周囲にはゴミ箱に入りきらなかったであろうゴミが散乱している様子もかすかに見えた。そのまま上を見上げれば室外機や窓につけてある装飾の施された落下防止用の鉄作があった。

 この辺の建物はたしか、知り合いの会社が所有している物件だったはずで、道路に面した壁にはアイドル事務所であるエンジェルプロダクションの広告――エリちゃん所属の事務所が宣伝されていた。

 別段変わったところはない、いつも通りの迷いの路地の風景だった。

 拍子抜けと言えば拍子抜けである。

「何もなさげですね」

「ねえ、子猫ちゃん。本当にその噂はあるの?」

「たぶん……」

 おそらく。

 この路地自体に不思議な力はあるはずだけど……。二人で路地に入って行って、周囲を見渡してみても、なにか起きたような痕跡もなく、いつもと変わらない路地だった。

 ふと、隣に並んでいるエリちゃんが前を歩いていたので、視界に入ってしまう。

 とても不思議な気がするが、彼女の横顔は噴水広場の立体映像で映し出される、カーミラの横顔だった。

 こうして隣に並んでいると、不思議でしょうがなかった。

 彼女の歩き方一つを取ってみても、確かにアイドルで、人目を惹きつけるだろう。一般人でしかない自分なんかが一緒に歩いて良いわけがない。

 そうだ、自分なんかが彼女の隣に入れるわけがない。

 こうして彼女が隣にいてくれているのは私が偶然彼女の事を助けられたからで、自分じゃなかったかもしれない。あの事件が無ければきっと彼女とは近づくことさえできなくて、ずっとずっと遠くから眺めているだけで彼女の事を知りも知らず永遠に。

 そうだ、彼女から知らずうちに離れてしまおう。そうすればきっと私は彼女とずっとアイドル十客という関係に戻れて――。


 いけない、その思考は今私の思考ではない。


 慌てて頭を振って自分の物ではない思考を追い出した。

 ――危なかった。

 額から流れてくる冷や汗をぬぐった。

 今のが、この路地の怪奇現象の一つでもある思考の誘導だ。

 この路地は色々な意味で人を迷わせる路地だ。それは物理的に道で迷わせたり、思考で迷わせたり……様々な形で迷わせる。それが迷いの路地と呼ばれるようになった由縁だ。

 本来の現象はもう少し違った物なのだが、副産物としてその効果を受けてしまうことも少なくない。もしかしたら、件の噂もこの現象の派生なのかもしれないが……。

 路地に惑わされないために、調査に集中することにした。

 午前に外出した時と同じ格好なので、コツコツと石畳に赤の靴の音が響き渡るのが耳朶の奥に届く。自分の足跡を追うように背後からエリちゃんの物であろうブーツの足音も。

 少し歩いてこの辺だろうかと思える位置を調べるために立ち止まる。つられて背後の足音も止まるのが聞こえてきた。

「そういえば、エリちゃん」

「ん、なあに。こんな場所にデートに連れてこられたことへのお詫び?」

「それについては謝ります。今度ちゃんと行きましょう」

「やった! 言質は取ったわ。絶対に行きたくないなんて言わせないんだから! ――それで?」

「迷いの路地って知ってますか」

「迷いの路地はここでしょ?」

「うん。でもそうじゃなくて――」

 地面をよく見るためにかがむ。そして、壁に手を付けてバランスを取ろうとすると、手にはレンガのざらざらとした感触が伝わって来た。何かないかと目を凝らしてみるけれど、やはり普通の路地で特に変わった物はありそうにない。

 間を開けて、エりちゃんが何かを察したように息を吐いた。

「……ああ、ここの意味ってこと?」

「そうそう」

「んーなんだっけ、都市伝説? みたいなやつ。確か入った人が迷うとかなんとか」

「出回ってるのはそう。でも、実は違う」

「そうなの?」

「ん。本当のこの場所は、忘れられない思いや、悩み。人の憂いに反応して、入った人にその迷いを直面させて、なくしたものを思い出してもらうのが本来のこの場所」

「忘れちゃいけない物を思い出すための場所ってこと?」

「そう。当人にとってか、それとも他人から見てかは分からないけど」

「最悪。特に最後のが嫌な感じだわ」

「そんな悪いものじゃないとは思うけど」

「あんたにはね」

 エリちゃんにしてはだいぶ棘、というか含みのある返し方だった。いや普段からあるにはあるけど、今回みたいに誰かに当てつけのように言う言い方はエリちゃんにしては珍しい。

 振り返ってみると、エリちゃんは壁に背を預けて空を見上げていた。

「私には、って……」

「あんたは今幸せでしょ」

「偉く断定的なことを言う。私にだって相応の悩みや考え事はあるのです」

「相応の悩みや考え事がない人間なんている?」

「……。無知の知を知らないのなら」

「あはは……。でも禅問答をしたいんじゃないわ、子猫ちゃん。あんたは今幸せでしょ?」

 通りに車が走り抜ける音がして、沈黙が広がった。

 確かに私は幸せ者なのだろうと思う。特にこういった事件に首を突っ込んでいると、自分がどれほど幸せで、まだまだ不幸ではないのだと……。酷い話だが、安心してしまうことも少なくない。

 答えに詰まっていると、エリちゃんは言葉を続ける。

「迷いとか悩みとか、本当は直面しないほうがいいに決まってる。なくなってしまった大切な夢も、大切な友達も。なくなった物に想いを馳せて幸せに浸れるのは今がもっと幸せな奴だけだもの。ほんっと余計なお世話」

 心からの憎悪が、言葉の端々から滲み出ていた。

 察するに、もしかしたらエリちゃんもこの路地の影響を受けて本音を出してしまっているのかもしれない。なので、彼女の言動を正そうとも、憐れもうとも思わない。でも、なんとなく彼女の言いたいことは伝わってきた。

 ――今が幸せな人だけ、か。

 確かにそうなのかもしれない。私は昔、エリちゃんの過去を無理やりこじ開けたことがある。本人がどう思っているかはわからないけど、それが幸せな人生だったなんて口が裂けても言えない。

 誰にだって、等身大の不幸は存在するものだ。例え他人から見たらどんなに幸福でも、幸福に見せるための努力をしている人は少なからずいる。そう言うものだ。

 あまりこの話題を続けない方が良いかもしれない。

「ねえ、エリちゃん」

「ん……。ごめん、こんなことあなたに言うつもりなんて――」

「大丈夫。エリちゃんも幸せにする」

「……なによそれ。でもそうねそれなら考えてあげる」

 エリちゃんを驚かせてしまっただろうか。

 何か致命的な言葉選びをミスした感覚が襲ってきたが、いちいち言葉狩りをしていたら話が終わらなくなるので、お互いに数分間黙ったまま辺りを捜索することにした。

「何もないわね、子猫ちゃん」

「そうだですわね、エリちゃん」

 たっぷり数分間の捜索の末、見つかったものはそれだった。

 いつも通りの路地だったし、代わり映えしないというか、なにもないというのが正しい。

 どうするかと悩んでいると、エリちゃんが壁に寄りかかって、重い息を吐いていることに気が付いた。

「ねえ、ほんの少しだけ疲れちゃったから。外の人たちに話を聞いてきたらいいんじゃない? あたしはここに居るわ……。ちょっと、休みたいの」

 様子がおかしい。

 エリちゃんの様子を観察すると、どこか体調が悪そうに吐息を漏らしていた。確かに人気アイドルの彼女が人に聞くわけにもいかないし、このまま二人で路地を見ていても何もわからないだろう。

「分かった。エリちゃんはここで休んでて。すぐに戻ってくる」

「三十分で帰って来なさい。……心配になるから」

「ん」

 エリちゃんにその場をお願いして、日が陰っている路地から照らされている通りの方へと出てみる。

 出来るだけ近くを通ってくれた数人に、この路地の噂について知っているかを訪ねて回った。

 しかし――、


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