『こんにちは、ノムーラはん』外伝~おくりもの
むかしむかし、まだカブという物騒なものを売っていたころのお話です。東洋のかたすみの日本に、ノムーラさんとモルーカスさんという商人がおりました。ノムーラさんは店を持ち、モルーカスさんは行商です。天秤棒をかついで商いに出るついでに、モルーカスさんは毎朝、ノムーラさんの店に寄ります。
「こんにちは、ノムーラはん。お、塩漬けでっか」
「こんにちは、モルーカスはん。せや、もうこんな季節なんや」
「わてのも混ぜといてもらえまっか。どないもならんカブ、重ぅて」
「ええで。こっちの樽に入れてや。塩をよいしょと」
ふたりはひとしきり、カブの塩漬けに精を出します。カブの塩漬けというのは、買い値より下がって売るに売れないカブを、そのままずっと持ち続けることです。カブを商う人間にとって、これ以上の厄介ものはありません。
「ほんま、めんどいでんな。手ェ冷たいし」
「捨てよ思ても、廃棄物やちゅうて金とられるしな」
「最低のカブやわ」
ふたりの仕事はカブを売ることです。カブというのは、ある会社に文句を言ったり、金をせびったりする権利のことです。毎日、値段が上がったり下がったりするので、うまく売り買いすればもうけが出ます。あ、お客が来ました。
「よォ。どうでェ。きょうはいいカブはあるかい?」
「おや、八つあん。ええカブ、入ってるでぇ」
「ほォ、どれどれ」
客は店先にならべられたプラ製のカゴを、ひとつひとつ持ち上げては中のカブをじっくりと見定めています。
「このめえのは、ひでえくそカブだったぜ。けっきょく塩漬けだ」
「エエとこで売らなあきまへんで。欲かいたら負けや」
「そうは言っても愛着があらあな」
「こんなもんにホれたらあきまへん。即、樹海行きでっせ」
樹海行きとは、カブで失敗した人たちのことです。彼らは富士の樹海の、奥深い森のさらに深い奥の暗闇に、吸い込まれるように消えていきます。
「じゃ、こいつをもらおうかな」
「あ、それは。前の会長が中東に高飛びしたばっかやから、今は」
「そうかい。なら、これはどうでえ。生きが良さそうじゃねえか」
「それも前のCEOが女グセが悪うて。買収先がまた税金逃れの」
「おっとそいつはいけねえや。どうせなら真っ当なとこがいいやね」
「なら、これでんな。春からバンクシー展ひらく超意欲的な若い会社や」
「ふうん。おもしろそうじゃねえか。じゃ、そいつを包んでくれ」
商談成立です。お客は喜んでカブの包みをだいじそうに抱えて帰っていきました。
「ノムーラはん、売れましたな」
「高う売れたで。ケッケッケケケケッケケッケッケケケケ」
「そういう気味の悪い笑い方やめまひょ。なんかヤなモン思い出しま」
「モルーカスはんも、ぎょうさん売っといで」
「おおきに。ほな」
お日さまはきょうもゆっくりと東から西へとすすんでいきます。その間にノムーラさんもモルーカスさんも商売にいそしみ、額に汗して働きます。陽が傾いたころ、モルーカスさんのカゴは空になりました。仕入れたカブがぜんぶ売れたのです。帰るついでに、またノムーラさんのところに寄りました。おや。店先でモメごとがあるようです。
「言いがかりはやめてんか! わてとこは正直な商売してるんや」
「なにが正直でえ! 腐ったカブつかませやがって」
「よう見て買わんからや! じっくり見りゃわかったはずや」
「てめえ知ってて売りつけやがったな! この!」
怒り心頭の客がその腐った株をノムーラさんにぶつけます。ぐちゃ。ノムーラさんも反撃に出て、カゴのカブを手当たりしだい投げつけます。
「しばいたるわ! ワレっ! なめくさりおってからに!」
「なにぬかしやがる! この、腐れ外道が。この! この!」
取っ組み合いになってカブのカゴが台ごとひっくり返ります。なんだなんだと見物が集まってきます。
「お。また、ノムーラの野郎じゃねえか」
「いつもダブルバガー確実だの、テンバガー行くだの言いやがって」
ダブルバガーというのは値が2倍に、テンバガーは10倍になることです。ノムーラさんは、カブの値が2倍、10倍になると調子いい文句をならべてカブを売っていたのです。そんな簡単にカブの値が上がることはありませんが、カブ屋の甘いことばに耳がとろんとなってつい買ってしまうのです。
「このやろう! いい機会だ。みんなでやっちまおうぜ!」
「よし! この! この!」
ちょっと離れたところから成り行きを見守っていたモルーカスさんが、あわてて走って来ます。
「やめなはれ! 暴力はんたい! ええい、やめいっちゅうに!」
モルーカスさんは、かたまりになった人たちの上へ、手にした天秤棒をむちゃくちゃに振り下ろします。ゴツんゴツんとにぶい音がして、あ痛たたたたと、みんな頭をかかえて逃げていきました。それでもモルーカスさんは手を止めません。無我夢中です。棒の一撃が、さいごに残ってあおむけに倒れていたノムーラさんの頭を直撃します。
ガツン!
額に当たった棒が折れました。はげしい手応えがあったので、モルーカスさんはふと我に返りました。目の前には、ノムーラさんが目をまわしています。
「わあ、ヒドいことするなぁ。ノムーラはん、しっかりしなはれ」
「ううううう。う。あんたや! いま、棒でなぐったやろ」
「へ? わてが? さよか。すまんこって」
「あんたもよう見なあきまへんで。痛ててて」
ほんとにカブは危ない世界です。物騒です。良い子のみなさんはけっして近づいてはいけません。とはいえ二人はいつものことなので、ケロッとして、散らばったカブを元のカゴに集めはじめました。そこへ、また新しいカモ、いや、お客さんがやってきました。
「おうっ! カブ屋! 億利人になれそうなカブはあるか!」
億利人というのは文字どおり、利益が数億円単位に到達した人のことです。そう何人もいませんが、たまにネット上の掲示板でじまんする人たちがいます。それを読んだ熊さん、ハッつぁんのようなおっちょこちょいの人は、自分もかんたんになれるとかんちがいをしてしまうのです。
「へ、いらっしゃい。億利人て、あんさん、本気で言ってまんのか」
「あたりめえだ。しゃれで言えるかよ」
「億利人て、そんなかんたんになれしまへんで」
「だいいち、あんた、カブ買ったことありまんのか」
「ねえよ。けど、きょう八幡さまにお参りしてきたからよ」
「そんな神だのみで億利人なれるんやったら、みんななってま」
「おれっちの八幡さまはよう、そこらの神さんとは神がちがうんでえ!」
「ノムーラはん。なんかややこしい人みたいでっせ」
「せやな。てきとーにそこらのカブ売って、お引き取り願おか」
「なにをコソコソ言ってやがんでえ。とっとと売らねぇか! 売れ!」
「はいはい。で、お金はいくら持ってはるんや。どーれ」
「わ。すごいがな。こんな大金、どないしたんや」
「ひと財産つくろうと思ってよ。ぜーんぶ売った、家も車もカカアも」
「え~、あかんがな。樹海まっしぐらコースや」
「どないしまんの。こんな人にカブ売ったら後で恨まれまっせ」
「わてら売ってナンボの商売やで。売れ言われて売らいでどないすんね」
「後が恐いでっせ。ただでは済みまへんで」
「慣れてるがな。ほぼまいにち襲撃されてるからな」
「早く売りやがれ! こちとら気が短けえんだ!」
「吠えてますな。なら、てきとうに1単元の高いカブ売っときまひょ」
「せやな。ばかでかいカブなら少ない数で済むし、損もせんやろ」
単元というのはカブを売買できる単位のことです。ふつうは100カブが1単元で、この値段で売り買いがされます。1カブの値段が高いキーエンス、任天堂、ファストリ、SMC、ファナック、光通信といったカブを二人は奥の戸棚から引っぱりだしてきます。ファストリはユニクロなんですが、1単元が約600万円です。これらの会社のカブは1単位ずつ買っても計2千万円以上します。
「3単元ずつ買わせりゃちょうど収まりまっせ」
「せやな。へたなカブ、ごちゃごちゃ混ぜるよりラクや」
「よいしょっと。大型カブ扱うの久しぶりや。さすがデカいでんな」
二人は巨大なカブをよっこらしょと運んできては、店先のリヤカーに積み込みます。
「おお、りっぱなカブだな。これで億利人まちげえなしだ!」
「あんなこと言うてまっせ。大丈夫やろか。デカいから値動きも激しいし」
「大きく下げることはないやろ。戻るの早いしな」
「おう。ありがとよ。これでおれも億利人だ!」
「あ、待ちいな。オマケつけたげるわ。きょう塩漬けにしたんや」
「ほお、すまねえな。おう、樽か。何本あるんでぇ」
「ぜんぶ持っておいき。わてからの、おくりものや」
「ありがたく受けとっとくぜ。おう、あばよ!」
「行ってしまいましたな。それにしても、塩漬けカブをオマケて」
「ふん。新興市場のクズカブや。処分費用、浮いたでェ」
「まあオマケのタダやから文句も言ってきませんやろな」
「せや。さ、飲み行こか。きょうはウハウハや」
その日は二人はお酒をたくさん飲んで、おいしいものをおなかいっぱい食べました。そして次の日にはケロッと忘れて、また商売にはげみます。
季節がめぐり、雪が舞い花が咲き、月が欠けては満ち、ときに風が吹いてノムーラさんの店が襲われ、モルーカスさんが助っ人に駆けつけます。そんな日々のドタバタのなかで、二人は精いっぱい働いてカブを売りまくっていました。そんなある日のことです。ひょっこり、あの男が現れたのです。
「おうっ、ごめんよ!」
「へえ。いらっしゃい。なんぞお探しでっか。ええカブありまっせ」
「おう! おれっちのこと忘れたかい」
「へ。はあ。え~と、どちらさんでしたかいな」
「おれでぇ。どでかいカブをここで買ったぜ」
「あ。あのときの(わ。殴り込みかいな)」
「おう、あのときは世話になったな」
「へえ。こちらこそ、おおきに。どうでっか、その後」
「おぅ、そのことだがよ。へっへへへへへ。うへへ」
「へ。あはは(わ。気味悪いな。刃物でも持ってるんちゃうやろな)」
「うへへへ、ははははは。がはははは、わっはははは」
「ほ。ほっほほ(おお恐ワ。油断させてブスッとくるんやないやろな)」
「ぐわっははっはっはっっはっっはっは! げはははは!」
「へろへろへ(わあ~、かんにんや。気色わるううう。恐い)」
そんなふうに店先で笑い合っていると、モルーカスさんがやって来ました。
「こんにちは、ノムーラはん。あれ、なに笑ってはるんでっか?」
「おおモルーカスはん、ええとこに。いや、この人がな」
「こちらさんは。はあ。ふんふん。ああ、そうでっか。あのときの」
「そやがな。きっと一文無しなって仕返しに来たんや」
「でも、笑ってはりまっせ」
「こっちの気をそらす作戦やがな。スキを見てブスリと」
「そんなことありまへんやろ。殺気があらしまへんがな」
「あんた、殺気がわかるんか」
「リストラにさらされてまっからな。ヤバい空気はわかりま」
「ほんなら、なんであんなに笑うんやろ。気味わるいがな」
「聞いたらよろし。ちょちょ、あんさん。何がそんなに可笑しいんでっか」
「おお、よくぞ聞いてくれた。なったなった、なったんだよ!」
「へえ。え~と。なににならはったんでっか。うれしそうやけど」
「へへ。へへへへ。へへへっへへへへっっへへ」
「はあ。あははは(わあ、気味わる)」
「ほっほほほ。へらへへっへ(ほらな。気色わりいやろ)」
「グアッハッハッハハハ!アハ!ハ!あ。ぐ。あ」
「わ。どないしはった! アゴでもはずれたんちゃいまっか」
「ぐふ。ぐあ。あ。ぐぁぐぁあああ」
断末魔のようなそのあえぎにモルーカスさんはあわてて駆け寄り、アゴをぐいと押してやります。すると、その男はカッと目を見開き、大きく息を吐きました。
「ぶっふぁ~ ぐはぁ~ はぁはぁはぁ」
「だいじょうぶでっか。救急車呼びまっか」
「でえじょうぶでぇ。おぅ、すまねえな。ありがとよ」
「ちょっと安静にしはったほうがよろしィで。笑いすぎや」
「笑いが止まらねえんだ、これが。はは、はは、がっはははは」
「やめい、やめなはれ。笑い、こらえなはれや。ここ座って」
「うん。よいしょっと。ああ愉快だ」
「なんぞ。ええことおましたんか。えらいごキゲンやけど」
「よくぞ聞いてくれた。とうとうなったんだ!」
「せやから、なにになりはったんや」
「うん。えへへ。へへへっへっへへへ。あはあははは」
「わ。危ない。またアゴはずれまっせ。やめい! やめいっちゅうに!」
「あ。つい、うれしくて。笑いが次から次へとこみあげて」
「せやから、さっさと言えばよろしいんや。へんな間があると危険や」
「言います。じつはですな。じつは、あはははは、ははは」
「けったいなやっちゃな。頭イッてるんちゃうかァ、大損こいて」
「たしかにヘンですわな。けど、なったなった言うてるんやから。あ」
「なんやモルーカスはん。なんか心あたり、あるんかい」
「この人、たしか、億利人になるっちゅうてカブ買いに来はりましたな」
「まさか。え~と、うん? あの超大型カブ、どれも上がってえへんで」
「そうでんな。けど、いちおう聞いてみまひょか。ちょっとあんさん」
「へえ、なんでっか。あ、関西弁うつった。あはははは」
「あんさん、億利人になりなさったんちゃいまっか」
「え! どうしてわかった。さてはおめえら、盗人だな」
「なに言うてまんねん。あんたが来はったんやろ、ここに」
「あ。そうだった。いや、ひとこと礼を言いたくてな」
「そうならそうと、さいしょから言うたらええんや。なんやと思うがな」
「けど、あの巨大カブ、上がってえへんのに、なんで億利人に」
「それだ。それなんだよ。笑いが止まらねえのはよ」
その男が言うには、なんでもノムーラさんがおまけにくれたプレゼント、おくりものの塩漬けの樽カブが、いくつかぼんぼこ上昇して、テンバガーどころか20倍、30倍にもなったそうです。新興市場のバイオなど、画期的な新薬が開発されるとビコーンと上がります。そうした現象が起こったようです。そのけっか、大型カブをふくめた合計金額が、めでたく1億円を超えたということです。よかったですね。
「ふうん。わての『おくりもの』が『億利モノ』のカブになったんやな」
「あはは。うまいシャレでんな」
「ほんに。シャレでオマケしたカブがなあ。カブは恐ろしいな」
「あんた、それでどうしなはった。家やら買い戻ししはったか」
「けっ。こちとら江戸っ子だぜ。宵越しの金は持たねえ!」
「え、まさか。パーッと使いなさったんか」
「ぜーんぶ使って起業したぜ。おう、よろしくな」
「ほお~。どんな仕事、はじめたんでっか」
「カブ屋でえ。ご同業だ。だから、おう、よろしくな!」
「ええ? カブ屋て。あんさん、マジでっか」
「当たりめえだ。大まじめよ! 仕入れもしてあるからよ」
「もう仕入れも済んではるんか。で、そのカブをこれから売ると」
「売る? ばか言っちゃいけねえ。カブは塩漬けにかぎる」
ノムーラさんとモルーカスさんは呆れて顔を見合わせました。空にはお日さまが、傾くのを忘れたようにあたたかく照っていました。
了
 




