94.薬品製造の準備②(ガラス作り)
昨日採集してきた海藻を水洗いして天日干しする。
干しながら、食用にするものと実験用にするものとに分別する。
やはりこの季節まで生長したワカメは、昆布並みの厚さになっていた。
もしかしたら昆布と同じような使い方ができるかもしれない。
乾燥させたワカメを細かく切り、耐熱煉瓦を組んだ炉でじっくりと焼く。
この辺りの作業はすっかり俺の作業小屋と化した鍛冶場を拡張して行う。
炉もあるし母屋からも近く便利だが、今後本格的に化学実験を行うには少々立地が悪い。
母屋に近すぎて、万が一爆発炎上でもすれば被害が及んでしまいそうなのだ。
化学実験棟は別の場所に建てたほうがいいか。適した場所はどこだろう。
考慮すべきリスクは何だ。
爆発、炎上なら距離さえとっていれば大丈夫だ。間に緩衝地帯として森や山があればなお良い。
有毒ガスの発生か。一般的に有毒ガスは空気より重いから、実験室を高台に作るべきではないだろう。
とすればやっぱり炭焼き窯の近くか。
そんなことを黒に相談しているうちに、ワカメが焼きあがった。
残った白い灰に熱湯を加え、灰の中から炭酸ナトリウムを抽出する。
熱いまま布で濾過し、未溶解成分を分離してから静置し放冷する。この辺りの操作は硝石の製造と同じだから、黒は慣れたものだ。
炭酸ナトリウムの水への溶解度は100℃で約45g、0℃で約7g。
水中で結晶化させているから、得られる結晶は無色透明の水和物だ。
取り出した結晶は大気中に放置すると徐々に風解し、白色粉末になる。これが炭酸ナトリウムだ。
用途的には水和していてもどちらでも支障はない。
こうして、炭酸ナトリウムが手に入った。
では早速ガラス作りに取り掛かろう。
「タケル?石鹸は?」
「……忘れていた。石鹸作りが先だ」
石鹸とは脂肪酸をアルカリ溶液でケン化したものだ。
化学合成油であれば、ケン化に必要な炭酸ナトリウムや水酸化ナトリウムの量がバシッと算出できるのだが、この世界で使用する脂肪酸はイノシシかヤギバターだから、そう簡単には定量性は出ないだろう。
とりあえず色々試してみよう。
まずは炭酸ナトリウムの水溶液を作る。
水溶液を加熱し、液状の脂肪酸を加える。
粘りが出てくれば火から下ろし、容器に入れて放冷し、冷やし固める。
プロセスで言えばこれだけだ。
脂の匂いが気になるなら、香油で誤魔化すか、脂を作る過程でハーブなどで匂いを消すか、脂の水洗を繰り返し匂いを除去すればいいだろう。
あるいは獣脂ではなく植物性油脂を使うという手もある。
ベストな配合比率と使用感はトライ&エラーで見つけるしかない。
トライ&エラーと聞いて、俄然黒様のやる気が盛り上がった。
「タケル。あとは私がやるから、タケルはガラス作りの準備をお願い」
了解しました。では黒様のお言葉に甘えて、ガラス作りの準備をしよう。
まずは原材料を全て粉砕する。
配合比率は珪砂:炭酸ナトリウム:石灰=7:1.5:1.5で試してみる。
炭酸ナトリウムの配合比率を上げると珪砂の融点が下がる。ガラス作りは楽になるが、いざ反応で使っている時に溶けたりしては意味がない。
ホウケイ酸ガラスや石英ガラスが造れれば解決するのだが、今の材料で作れるのはソーダガラスだけだ。
粉砕と配合が終われば、陶器の坩堝に入れ、コークス炉で加熱する。
コークス炉の温度は最大で1500℃ほどに到達する。
しばらく待つと、ガラスの材料が坩堝のなかで溶け、どろどろの赤い液体になった。
待つ間に、吹き込み成型するための型を準備する。
目的とするフラスコや冷却器の形を木にくり抜き、型にする。
とりあえず何か吹いてみる。
1mほどの鉄管を作り、吹き竿にする。
先端に溶けたガラスを巻き付けるように取り付け、金床の上で回して形を整え、鉄管の反対側から息を吹き込み、少し膨らます。
このガラス玉にもう一度溶けたガラスを巻き付け、今度は目的の大きさになるよう膨らませる。
これで少々いびつなペットボトルのような形状が出来上がる。
底を平らに成型してから底に別の金属棒と焼きつけ、吹き竿を取り付けていた側を切り離す。
吹き竿が付いていた穴の形を、焼きながら成型する。今回は徳利のような形状にしてみよう。
納得のいく形状になったら、底に付けていた金属棒を叩いて取り外し、外した徳利をゆっくりと冷やす。
完全に透明というわけにはいかないが、うっすらと茶褐色のガラスの徳利ができた。
初めてにしては上出来だろう。
夕食の支度ができたらしい小夜と椿が、俺と黒を呼びに来てくれた。
そのまま出来上がったばかりのガラスの徳利に見入っている。
じゃあ続きは夕食の後にしよう。
今日の夕食のメインはカツオのタタキだった。
カツオの鱗を削ぎ落し、皮側を中心に軽く稲藁の炎で炙って仕上げてある。
ショウガやニンニク・ネギの小口切りを散らし、酢醤油を掛ければ完成だ。
海産物には全員がハマったようだ。
まあ確かにここ最近は食事もマンネリ化していたし、せっかく醤油と酢を作ったのだから刺身が食べたくなっていたのは確かだ。ときどきは海まで採集に行ってもいいだろう。
食事のあとはガラス器具作りを再開する。
一度溶けたガラス材料をもう一度固めてしまうと、再度溶解させるには粉砕からになってしまう。
今溶けている材料は使い切ってしまおう。
今度は紅や青、片付けを終えた小夜と白も合流して手伝ってくれた。
作っては修正を繰り返した結果、何とかアランビック蒸留器が出来上がった。
底が平らなフラスコ状の蒸留器と、凝縮液を受けるナス型フラスコ、蒸留器とナス型フラスコをつなぎ、発生するガスを冷却する凝縮器の三点セットだ。
蒸留器にはノズルを3つ取り付けた。
原料の投入口2つと、メインの蒸気出口だ。
その間に、小夜や白が材料を追加で溶かし、ガラスのコップや器を次々と作っていた。
どうやら元の世界から持ち込んだガラス製品の数が足りないのが不満だったようだ。
「あの…小夜さん白さん?溶かしたガラスの材料は使い切ってしまわないと大変だから、食事のあとも作業してるんですけど……追加で溶かしてどうするの?」
「だって器がたりないんだも〜ん」
「今日のタタキだって、ガラスのお皿だったらもっと涼しげで美味しかったはずだよ!これは必要なもの!ってかいつまで竹筒をコップにしてるつもり?」
まあこの子達が製造を始めれば、一気に完成度が上がっていく。
安心して任せ……るが、式神達はともかく、小夜は熱中症に気を付けて上げなければ。
1500℃のコークスの熱と溶けたガラスで、室内の温度は優に40℃は超えている。
いくら白の精霊で換気をしているとは言え、熱の発生源のすぐ近くで作業しているからとにかく暑い。
青と紅を呼び、小夜達に適度な休憩と水分補給をさせるよう頼む。
俺は先に風呂に入ろう。




