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83.領内の地理

近隣の小野谷(おのだに)大隈(おおくま)の協力は取り付けた。後は領内各地に点在する集落を順番に回り、地頭交代の報告と集落の視察を行わなくてはいけない。


とは言え生来コミュ障な俺一人では、知らない集落を突然訪問するなど難易度が高いし、そもそも地頭交代などと言っても相手にされないだろう。

佐伯本人か、少なくともその手の者を伴う必要がある。


とりあえず佐伯がいる宗像(むなかた)まで行って、そこから順番に始めることにしよう。


宗像までは徒歩で3日はかかる。

門を使って移動すれば一瞬なのだが、せっかくなら道すがらの集落の様子や地形も見ておきたいし、薬草や有用な生き物がいれば里に導入したい。

急ぐ旅ではないし、昼間の移動には馬を使おう。どうせ夜間は里に戻ってくると決めている。


連れて行くのは紅と桜、梅の4人。紅はいいとして、俺も含めた残りの3人はまずは馬に乗る練習からだ。


佐伯達との戦いで回収した馬はよく調教されており、紅や青はその日から普通に乗りこなしている。

ありがたいことに、(くら)(あぶみ)、手綱といった馬具が一式揃っていた。


馬と言っても、元の世界のサラブレッドなどより遥かに小さい。地面から鞍までの高さが130cmほど、馬の頭の高さでも180cmを超える程度。要は馬の目の高さがだいたい俺の目の高さと同じぐらい。馬というより大きなロバに近いか。

駆ける速度もサラブレッドが時速60km近くになるのに対して、この世界の馬は時速20km行かない。黒や白が走るほうが早いくらいだ。

まあだからこそ乱戦で逃げ出した馬を走って追いつき回収できたのだが。


4人それぞれ気に入った馬を選び出し、いろいろ話しかけながら入念にブラッシングする。最初は嫌がるそぶりを見せていた馬達も大人しくブラッシングを受けるようになった。

馬は心優しく臆病な生き物らしい。

俺達が無害な存在だと理解させないと、そもそも乗せてくれないだろう。

ちなみにブラシはイノシシの毛皮の毛を切り揃えて木に貼り付けて作ったものだ。緻密でコシがあり、馬のブラッシングには適していたようだ。


数時間かけて念入りにブラッシングし、馬が嫌がらなくなってから、いよいよ騎乗してみる。

紅のサポートを受けながら、馬の右側から右足を鐙にかけて鞍に(また)がる。とりあえず乗れた。

そのまま紅に(くつわ)を引かれ、並足で歩く。歩く、止まるを何度か繰り返し、乗っているリズムを掴む。夕方には何とか歩くと止まるはできるようになった。桜や梅のほうが慣れるのが早い気がする。


翌日には一人で騎乗して駆け足まで出来るようになった。

更に翌日には全力疾走させながら矢を射られる程度になった。これで概ね修了だ。あとは慣れるしかない。


というわけで、合計3日かけて3人ともなんとか馬に乗れるようになった。別に俺達の習熟が早いわけではない。ほとんど馬の力を借りてのことだ。


ちなみに、馬ごと門を(くぐ)れることは確認済み。

いずれにせよ、これでようやく出発できる。


この日の為に黒が乗馬服を仕立ててくれていた。

太もも辺りがゆったりとしたサルエルパンツに、腕周りに余裕を持たせたジャケット。パンツとジャケットの裾と袖口は邪魔にならないようタイトに縫製されている。

ベースの色はグレー。ジャケットの肩章(エポーレット)とポケットのフラップに、それぞれのイメージカラーで染められた革が使われている。

紅は文字通りの紅色、濃い赤だ。

桜と梅はピンクだが、梅の方が色が濃い。

俺は茶色だった。どうやら皆の中で俺のイメージカラーは茶色で統一されているらしい。まあいいけどな。


じいさんの蔵書だった元の世界の地図と、現在の地図を照らし合わせて、地名や川の名前、山の名称を記入しておいた。海岸線や川の流れはだいぶ異なるが、さすがに山の位置は変わらないだろう。

自分達の位置を特定しなければ、単なる放浪の旅になってしまう。


少し早い昼食を済ませてから、4人で里を出発する。

まずは大隈付近まで行き、穂波を経由して、遠賀川(おんががわ)に沿って下って行く予定だ。

4人とも黒の精霊を使った収納が使えるから、小太刀を履いただけの軽装で済んでいる。


馬に任せて、のんびりと進む。常歩(なみあし)でおよそ時速6kmといったところか。人が自分で歩くよりはだいぶ速い。視点も2mを超えるから、少しだけ遠くを見渡せる。


大隈までは平坦だが、ところどころに小川が流れ嘉麻川に注ぎ込んでいる。小川に開閉式の(せき)を作れば、田を拓いても水には困らなそうだ。


大隈から大きく東に向かうと秋月に抜ける街道に出る。秋月の手前までは領内ではあるが、探索は後回しにして、遠賀川沿いに更に下る。ちょうど佐伯軍を2日目に襲撃し続けたルートを逆進して穂波に至る。


穂波は旧大和朝廷の頃から穀倉地帯として栄えた地域だ。西には遠賀川、東には穂波川(ほなみがわ)が流れ、その間にもいくつもの小河川が流れている。

碓井(うすい)桂川(けいせん)といった小さな集落を抜けると、穂波川と大分川(だいぶがわ)内住川(ないじゅうがわ)の合流地点に穂波の集落が広がる。

大隈の集落よりもかなり大きい。


穂波を抜け、穂波川と遠賀川が合流する辺りに拡がるのが飯塚(いいづか)だ。この辺りも地理条件を生かした田畑が広がるが、まだまだ開拓の余地はある。


飯塚から更に遠賀川沿いに下ると、元の世界でいう直方(のおがた)の辺りになる。

勝野村の少し先で遠賀川と彦山川(ひこさんがわ)が合流する。合流地点の東側には六ヶ(むつがたけ)、西側には福知山(ふくちやま)が迫っており、六ヶ岳の山裾の少し小高い丘の上に東蓮寺(とうれんじ)多賀神社(たがじんじゃ)がある。

直方という地名が誕生するのは、もう少し先のことだろう。


更に遠賀川を下ると、平野に迫っていた六ヶ岳と福知山の圧迫が無くなり、平野が開ける。遠賀川の東側が鞍手郡(くらてぐん)、西側が御牧郡(おまきぐん)というようだ。御牧郡の由来は、筑前国(ちくぜんのくに)や隣の豊前国(ぶぜんのくに)に軍馬を供給する牧場があるかららしい。今まで下ってきた遠賀川も、この辺りでは御牧川(おまきがわ)と呼び名を変えている。


御牧川を更に下ると、いくつかの大きな中洲が現れる。ただの砂洲ではなく、いくつかの集落があるぐらいの大きな中洲だ。

この中洲の先で再び合流した御牧川は、芦屋(あしや)の先で玄界灘(げんかいなだ)へと注ぐ。


海岸線はところどころに岬が突き出る他は、松原と白い砂浜が広がる。


松原に沿って西に向かう。

ちょうど街道を遮るように標高500m程度の山が4つ並ぶ。宗像四塚(むなかたよつづか)とか四塚連山(よつつかれんざん)と呼ばれる地域。

海側から湯川山(ゆがわやま)孔大寺山(こうだいじさん)金山(かなやま)城山(じょうやま)だ。

その湯川山と孔大寺山の間の峠道を抜けると、眼前に再び平野が広がる。

平野の先、釣川(つりかわ)の河口にあるのが、宗像大社(むなかたたいしゃ)だった。


地名が大量に出てきます。

現実世界での地名を踏襲していますが、位置関係や由来はだいぶ改変されています。

あくまでフィクションですので、イメージの助けになれば幸いです。

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