75.漸減邀撃作戦②
漸減邀撃作戦が始まった。
邀撃とは迎撃のことである。敵の進路を予測して兵を配置し、徐々に敵の数を減らしていく作戦だ。
と言葉にすれば簡単なのだが、いざ実戦となると難しい。
まず敵の目的地と侵攻ルートを予測しなければならない。
予測のためには偵察するしかなく、大量の偵察部隊が必要になる。
首尾よく敵を発見し、その侵攻ルートの予測に成功できたとしよう。
次は漸減、つまり敵の数を減らすための攻撃を仕掛けなければならない。
敵を攻撃するには、敵より多くの戦力で当たるのが基本だが、そもそもそんな戦力を揃えられるのであれば漸減など必要ない。
そこで少数の戦力で多数の敵にぶつかる以外の選択肢が無くなるのだが、より多くの敵を葬らなければ意味がない。
撃墜対被撃墜比率が2:1などでは、局地的に勝ったとしても大局的には負けてしまう。
仮に局地的に勝ったとしても、被害を受けた敵が引き返したら元の木阿弥になってしまう。
敵の脅威は変わらないまま、手間だけがリセットされてしまうのだ。
こんな感じで戦略としてはどう考えても無謀なのだが、防衛側の俺達が打てる策は他に無い。
幸い、敵の現在位置と予測侵攻ルートは判明済み。侵攻ルートが変わったとしても、リアルタイムで侵攻ルートの予測は可能だ。
そして前回の襲撃時の俺達の撃墜対被撃墜比率は50:0。そう簡単に負けてやるわけにはいかない。問題は、如何にして敵を敗走させずに、こちらの土俵に引きずり込むかだ。
廃寺を出立した佐伯軍は、大分川に沿って穂波の集落へと進んでいる。
俺達は大分川と穂波川の合流地点にある小高い丘の上に陣取った。
とはいえこちらは4人。丘の上に茂るススキのおかげで、佐伯軍からこちらは視認できない。
佐伯軍が距離300mまで近づいた時点で、4人で一斉に矢を射かける。
白による空気抵抗軽減と、黒によるマーキングと照準補正を実施した射撃は、5斉射目までは佐伯軍の対応を許さず、鎧の隙間を確実に射抜いていた。
6斉射目は、敵が置盾を頭上に翳し、矢を防がれた。この時点で俺は一旦撤収の指示を下す。
この時代の弓矢の有効射程は100mぐらいだろう。殺傷射程は30m以下であることは、鎧の実射試験で確認済だ。それを300mの距離で使用したのだ。敵からの反撃などあるはずもない。
丘の麓から佐伯軍の様子を伺う。
どうやら大混乱に陥ったようだ。
「何が起きた!どこから撃たれたのだ!!」
「わかりませぬ!正面にも後方にも敵の姿はありません!」
「天から降り注ぐかのように矢が来ました!矢傷は肩から胸にかけて貫いております!」
「被害は!誰が矢を喰らった!」
「主だった方々は無事です!。矢を受けたのは足軽のみ20人です!」
20射で20人を撃破したか。初戦の成果としては十分だろう。
そのまま距離を保ち、佐伯軍の様子を伺う。
佐伯軍が穂波の集落に近づくまでに、俺達4人は佐伯軍を四方から取り囲み、更に追加攻撃を仕掛けた。
2回目は1回目と同じく距離300mでの曲射で5人ほど倒す。
3回目は佐伯軍が置盾を頭上から下げなくなったため、水平射撃に切り替え、更に5名を倒した。
姿が見えない敵の襲撃に晒された佐伯軍は、相当に苛立っている。
佐伯の取り巻き達が斥候を出すよう進言しているが、佐伯は首を縦に振らない。
それはそうだろう。敵の戦力も不明なまま少人数の斥候を放とうものなら、間違いなく各個撃破される。
実はそれを狙って四方から取り囲んでいたのだが、佐伯も一筋縄ではいかない。
結局、佐伯軍はこの日の進軍を諦め、その場で野営することに決めたようだ。
俺達も廃寺で合流し、佐伯軍が残した負傷者の救出と遺棄物資や遺体の回収を行う。
この日に倒した30名のうち、回収できたのは25名。うち負傷者5名、死者20名だった。
負傷者は動ける程度に回復させ、死者を弔わせる。
武器と鎧は全て没収した。
食料が背負子に積まれて遺棄されていたので、それも置いていく。
どうやら足軽達が食料を運んでいるようだ。
夜襲も仕掛けようかと思ったが、集落の近くで騒ぎを起こすのもまずいだろう。
集落に逃げ込まれたりしたら、狩り出すのに一苦労だ。
今日のところは里へ引き揚げることにした。
漸減邀撃作戦2日目。主戦場は穂波の集落から大隈の集落近くへと移った。
初日と同じように、曲射と水平射撃を組み合わせながら少しづつ佐伯軍の人数を削っていく。
佐伯軍は初日のように立ち止まったりせず、ゆっくりだが確実に進んでいく。
実はこれが最も効果的な対処法なのだ。佐伯軍が動けば、四方から取り囲んでいる俺達も動かざるをえない。そうすると狙いも甘くなるし、次の攻撃までのインターバルも長くなる。
結局2日目の戦果は撃破数20名。初日の戦果と足して50名の撃破に成功した。
ここまでは、敵の戦意を喪失させることなく、25%削ることができている。
現代戦の常識では、全軍の3割を失えば全滅、半数を失えば壊滅なのだが、佐伯軍はどうやらまだまだ戦意旺盛のようだ。
斬減邀撃作戦3日目。主戦場は大隈の集落と里の間になる。
里の入り口までほぼ3km。しかも道中には起伏もなく、なだらかな水田と草原が広がるだけだ。
ほぼ目の前と言ってもいい距離まで詰められている。
2日目までの戦闘で、曲射と水平射撃の組み合わせに敵が対応できるようになってしまった。騎馬に乗っていた者も馬を降り、置盾を頭上に掲げ、或いは水平に持ち、一塊になってゆっくり進んでいる。
白の強弓でも盾を貫くのは非効率的だった。
せめて敵の数を半数までは減らしたい。
やむを得ず、ここで銃を投入する。
弓の殺傷射程はおよそ30m、対して銃の殺傷射程は優に300mを超える。
しかも木の盾程度なら貫通してなお殺傷能力を有する。
狙うは敵の正面右の一角。盾が崩れれば、その隙間から白と紅が狙撃する手筈だ。
盾の構造は分かっている。中心部に革の取っ手があり、中心から30㎝ほど上に持ち手の顔がある。
敵の塊が距離200mまで近づいたところで、初弾を放つ。
敵の持つ盾の上半分が割れ、赤い花が開く。その隙間を狙って、白と紅が矢を射込んでいく。
そのまま左に射線を流していき、敵の正面を粉砕する。
敵が混乱した隙を突いて、後方から忍び寄った黒が敵の馬の尻に苦無を投げた。
驚き暴れまわる馬が周囲の敵を蹴散らし、混乱に更に拍車を掛ける。
混乱している隙に逃げ出した馬を手分けして回収し、治療する。軍馬兼農耕馬に仕立てるつもりだ。
こうして、大隈の集落から里に侵攻してきた150名の敵の内、半数ほどを撃破した。
昨日までと合わせて撃破数120超。敵の損耗率は60%を超えている。
まともな指揮官なら撤退命令を出すところだが、その気配はない。総大将の佐伯以下、騎乗していた主だった者たちが健在だからだろう。
馬を失い、手勢も80人ほどまでに減らされても、なお進んでくる。
しかし盾の数も足りず、ただ無防備に突撃するしかない。
後方に黒が回り込んでいるため、銃の使用は諦める。
白と紅を左右に展開させ、黒と合わせて四方から包囲しつつ後退し、矢で敵の数を減らしていく。
足軽達が全滅し、主だった者たち20名になったところで白兵戦に移行した。




