64.生糸の価値
小夜の案内で蚕小屋に向かう。
「これはお蚕様ですな!収量はどれくらいですか?」
「一日に1綛といったところです。私達の服を作る以外は、全部貯めています」
「1綛見せていただけますか?」
弥太郎が小夜を促している。黒が懐から1綛取り出し、弥太郎に渡す。
綛とは生糸の単位だ。
1綛は繭4〜5個から採れる糸を撚りながら糸車に巻き取り、糸車から外した状態。まさに糸だ。この糸を更に3〜5本撚りあわせ、実用的な太さにしたものを捻、綛を60個ほど集め、およそ10kg程度の量になれば括という単位になる。
一般的にはこの括の単位で取引される。つまり箱売りだ。
元の世界での最上級の生糸は、1万円/kg程度で取引される……と蚕飼育キットを通販したときに調べた記憶がある。
「これは……この糸の細かさと滑らかな肌さわり、繊細でいて丈夫な質感、最上級の生糸です!1括もあれば1石の米と交換できるかもしれませんぞ。これを一日1綛……」
弥太郎が呆けている。
1括の生糸はおよそ10Kg、元の世界の価値では最高級の生糸で1括およそ10万円。
一方、この世界での1石の米はおよそ1貫文、つまり1文銭が1千枚だ。
以前の計算で、1文がおよそ100円程度の換算だった。とすれば一石の米がおよそ10万円。
一応、最高級の生糸1括で米1石の計算は成り立つ。
生糸は日産1綛。60綛で1括になるから、小夜は60日で1石分の稼ぎを生み出していたことになる。
「弥太郎、この生糸で年貢を納めることができると思うか?」弥太郎に聞いてみる。
「そうですなあ……一応博多の専門の商人に見せてみないと迂闊なことは言えませんが、たぶん問題ないかと。むしろ大喜びされるかもしれません」
「それなら1括ほど持ち帰って、専門家に見せてやってくれ。なんなら多少余計に持って行って構わない」
「本当ですか!では2括預からせていただきます!手持ちの塩では対価としては足りませんが、必ずお代はお持ちしますので、ぜひ預からせてください!」
「小夜、黒、構わないか?」
「もちろんです!高く売れると嬉しいです!」
「良い。できれば高く売って、代わりに良いものを買ってきてほしい」
「承知しました!して、黒様、何かご入用のものがおありで?」
黒が何かを欲しがるのは珍しい。俺も興味がある。
「香辛料が欲しい。胡椒が手に入らないか?」
胡椒だったか。確かに胡椒の在庫は少なくなっているし、今のところ栽培の目途は立っていない。
場合によってはインド辺りに採集にいかなければいけないかと思っていたぐらいだ。
「胡椒でございますか……確かに大陸から少量が袖の湊には入ってきております。ただ私自身が商ったことがございませんので、いつ入手できるかはお約束はできません。もしかしたら少々お時間をいただくかも……」
「構わない。手に入らなければ採集に行く。でも交易で入手できるなら、そのほうが楽」
「承知いたしました。必ずお持ちいたします」
その夜は、子供達の家で弥太郎を囲んで食事を摂る。
献立はイノシシ肉とキャベツのお好み焼き、イノシシソーセージとネギのピザ、鹿ソーセージ入りポトフ。
ソースは甘酒をベースに味噌と醤油が使われている。
ヤギバターとチーズもしっかり使われ、ピザの上で蕩けている。
やはり若者が米よりピザが好きなのは、どこの世界のどんな時代でも変わらないのだろうか。正直俺は米や粥でも文句はないのだが。
とはいえ、弥太郎にとってはどれも初めての味と食べ方である。
特にお好み焼きが気に入ったようだ。もう3枚目のお替りを椿に注文している。
「しかしタケル様!ほんの数か月でよくぞここまでの集落を拓かれましたな!」
「まあ皆が協力してくれたからな。小夜に青、紅、黒、白、そして子供達がいなければ、こうはならなかったさ」
「実はですね……穂波と大隈の集落で少々噂を耳にしましてな」
「ほう?どんな噂だ?」
「それがですね……飢饉で滅びかけた集落を救った、若い男がいると。なんでもその男は神の遣いで、不思議な術で病を癒し、一瞬で鹿やイノシシを狩り、大量の食料を恵んでくれるとか。どうせ噂、尾鰭が付きすぎていると思っていたのですが、どうやら事実らしい。そこで確かめに救われた集落を見てきたのです」
どうやら人の口に戸は立てられぬものらしい。村長に口止めらしきものはしておいたが、住人達にまで徹底することは無理だったようだ。
「……それで、その集落はどうだった?」
「炭焼きを生業にしているその集落は、去年の大水で収穫前の田を流され、炭焼き窯も壊れ、餓死者まで出ていたようです。次の収穫まで生き延びるためには、働き手以外の子供や老人を口減らしするしかないと覚悟を決めたその時に、神の遣いが現れた…そう住人達は言っていました」
神の遣いねえ……まあ経緯からいけばそう言う表現も正しいのかもしれない。
「住人達に話を聞いたのですが、噂どおり不思議な力で病を癒し、粟や稗を提供してくれ、餓死するしかなかった子供達を引き取ってくれたようです。子供達の消息は不明のようですが、どこかの集落でとても元気に暮らしているという噂です」
概ね正しく伝わっているようだ。元気に暮らしている子供達は、俺達の前でピザを食っている。
「その噂を聞いた穂波や大隈の住民達も、病人や怪我人を癒してもらえないかと嘆いておりました。タケル様?神の遣いとはタケル様のことですよね?」
まあそうなのだが、ここで認めると何か非常にまずいことになる気がする。俺が言いあぐねていると、横から杉が答えを掻っ攫っていった。
「そうだ、タケル様はすごいんだ!俺達を助けて、この里に連れてきてくれたんだ!タケル様だけじゃなくて、みんな凄いんだぜ!紅姉さんは俺に狩りを教えてくれる。青姉さんはちょっとおっかないけど、俺達に農作業を教えてくれるし、俺達みんなの母様だ。黒姉さんと小夜姉さんは俺達に仕事のやり方を教えてくれるし、服や美味しい飯を作ってくれる。白姉さんは俺達みんなと遊んでくれるし、勉強も教えてくれる。この里に連れてきてもらえて、俺達はみんな感謝してるんだ!」
杉だけでなく、松や椿も頷いている。桜や梅は少々涙ぐんでいるオマケ付きだ。
「やはりそうでしたか!噂を聞いた時、これは間違いなくタケル様のことだとピンと来ました!それでどうでしょう?他の集落で苦しんでいる住人達も救ってはいただけませんか?」
やはりそう来たか。遅かれ早かれ、こうなる予感はしていた。いくら里のことを秘密にしていても、どこかで噂にはなるのだ。
生糸の単位がややこしいので、算用数字が入り混じり、ふり仮名も多用しています。ご容赦ください。




