61.子供達の悩み
「おかえりなさい旦那様。今日は午後からお忙しそうでしたね」
「ああ…すまん。夕食もすっぽかしてしまったな」
青はにっこりと微笑んで言葉を続ける。
「お疲れでしょう?膝枕などいかがです?」
そう言って青がノートを傍らに置き、ベッドに座りなおす。
魅力的な太ももが、白い薄手のショートパンツから露わになっている。
「すまんな……なんだか本当に今日は疲れた」
いつもなら断っていただろう。だが本当に今日は疲れていた。肉体的にというより精神的にだ。
精霊の力を借りなければ、何一つまともにモノづくりができない現実。
普段はさほど気にもしていなかった。だが何故か今日は引っかかった。
青の太ももに頭を預け、目を閉じる。
青が俺の目の上にが片手を載せ、もう一方の手で優しく頭を撫でてくれる。
「たまにはゆっくり甘えてください。旦那様はいつもご無理をされておいでです」
そんなことはないと思うが。いつだって皆に助けられ、なんとかやっているだけだ。
いつのまにか、もやもやとしていた思いを青にぶち撒けていた。
精霊の力を借りなければ無力な自分への屈託した思いをだ。
「旦那様は博多の街で昼食に串焼きなどお買い求めになられました。あの時旦那様は、『狩りで得た肉以外を食べるとは……』とお考えになられましたか?」
「いや、そんなことは考えない。施しを受けたのならともかく、あの買い物はきちんと対価を払っていた。その価値に見合う対価を支払うのなら、別に問題はない」
「そうでしょう。それと同じことです。精霊の力を借りるということは、旦那様はその力に見合った対価をお支払いなのです」
「いったい何を。俺は何も支払ってはいない」
「いいえ、旦那様は常に対価をお支払いです。精霊の力を借りられるということは、精霊に『その価値がある』と認めさせているということです。最初は単に興味本位でした。突然この世界に現れた旦那様に、精霊たちはこぞって力を貸しました。おもちゃにしていたといってもいいでしょう」
おもちゃって……まあそうかもしれない。
「ですが今は違います。旦那様がこの里で、そしてこの里を通じてこの世界で何を成そうとしているのか、精霊たちはそこに興味を持ち、力を貸しています。旦那様が支払っておられる対価は、この世界で何を成すのかという、ご自身の将来そのものなのです」
「そんな価値があるかどうかもわからないものが対価なのか……」
「価値というものはご自身が決めるものではないでしょう?精霊たちが力を貸している間は、その価値が認められているということです」
そうか……納得できるようなできないような……いずれにせよ精霊たちの力を借りる必要はあるのだ。
せいぜい飽きられないよう精進するしかない。
「このお話をするべきか迷っていたのですが、価値と対価の話になったので、お話します」
そう青が前置きした。
「私達も今日は大変だったのです。夕食時に旦那様を呼びに行こうとする椿と、そっとしておこうとする小夜様が大喧嘩を始めてしまって。梅なんか『タケル様はもう戻ってこないんじゃないか』って泣き出す始末。結局小夜様と椿で握り飯を作って差し入れることで決着しました」
いや、戻ってこないって、俺はすぐそこにいただろう。
「距離の問題ではなく、心の問題です。いつまで経ってもお役に立てない自分達に愛想を尽かして、もうこの家には来てくれないんじゃないかと心配しておりました。桜や椿もです」
「そんな馬鹿なことがあるか。夕食を一回一緒に食べなかったぐらいで、なぜそんな心配をする。少し気にしすぎなんじゃないか」
そう思うのも当然だろう。
俺は一人暮らしが長かったし、実家にいた時も家族揃っての食事など記憶には薄い。
誰か、例えば親父がいない夕食など珍しくもなかったのだ。
「旦那様。私達式神は、旦那様の分身も同じです。小夜様も恐らく気持ちは同じでしょう。どこにいても、どんな時でも旦那様の存在を感じられます。ですが、あの子たちは違います。あの子たちは、自分達が何故ここにいるのか、何故旦那様に救っていただけたのか、何故温かい食事や安らげる家に住まわせてもらえているのか、根本的には理解できていないのです」
そうか……単に人手が欲しかったのと……ただ死にゆく定めだった子供達が不憫だっただけだが。
「そうですね。もっと幼い子供達は別に疑問にも思わないでしょう。新しい父や母ができたと思っているだけです。ですが桜や梅、椿は違います。無邪気に旦那様を父や母と思うには、成長しすぎています」
「だが3人とも小夜と大して歳は変わらないだろう?成長の差はあるかもしれないが……」
「いいえ旦那様。旦那様の世界での基準は存じ上げております。旦那様の目からすれば、桜や梅、それに小夜様は未だ子供でしょう。もちろん椿に至っては『まだほんの10歳』とお考えですよね」
そのとおりだ。元の世界では、彼女たちは小学校高学年から中学生。一人前には程遠い女の子だ。
「ですが、私達が暮らすこの地では、彼女たちはもう成人していてもおかしくないのです。博多や遠い都ではいざ知らず、地方の農村では10歳で子を産み母となっても全く不思議ではありません」
確かに、事実として桜や梅はもう母だし、近代日本も早婚であったことは知識としては知っていた。童謡で「十五で姐やは嫁に行き」と唄ったのは三木露風だったか。
「あの3人は、この里に自分達がいてもいいという確固たる証が欲しいのです。3人とも自分達の仕事を果たしてはいますが、それでも不安で仕方ない、自分の価値が見つけられないでいるのですよ」
「いや……それにしても奉公に出すという仕組みはこの地にもあったはずだ。集落の住人達も『人買いに出すか奉公に出すか』と言っていた。この里で暮らすのは、それと同じだろう?」
「旦那様、全く違います。奴婢や奉公人といったものは、労働の対価として最低限の衣食住を与えられているものです。主人が善良な人物であればまだましですが、普通は使い捨ての労働力でしかありません。この里での暮らしとは比べ物にならないほど過酷なものです」
とは言え、今更そんな扱いはできないし、そもそも人間をそのように扱うことは俺には無理だ。
「旦那様はあの子達に私達と同じ、小夜様と同じ暮らしをお与えになりました。その理由と、その恩に報いるための対価を、あの子達は欲しているのです」
そんなことを言われても……どうすればいいのだ……。なんだか意識が遠くなってきた。
「旦那様、あの子達を娶ってくださいまし。もちろん小夜様もです。それで皆が納得します。旦那様にも子が必要でしょう?」
娶る……つまり妻として扱えということか。
薄れていく意識に、青の囁く声が聞こえる。
「もちろん今すぐにとは申しません。あと数年後、旦那様の基準で彼女たちが成人に達したらで結構です。それまでは私達式神が旦那様のお相手をいたします……どうかご堪能ください……」




