43.家畜を増やす
翌朝、紅と黒そして白を山羊狩りに遣わす。
遣わす先は中東アフガニスタンあたりの山岳地帯。
黒の窓を使った事前偵察では、角の立派な原種に近いヤギの群れが岩の隙間や少ない平地の草を食んでいるのが見えていた。
現地との時差は約4〜5時間といったところ。こちらは朝だから、現地は中天といったところだろう。
当座の食料や水を持たせようとしたが、紅が笑って断る。
「タケル?もしかして俺達が式神だってこと忘れてないか?俺達は基本的に食べたり飲んだりしなくても平気だし、眠ったり休んだりする必要もない。持っていけってことなら持っていくが、そのまま持って帰ってくるだけだぞ?」
うん、忘れていた。特に紅や白は美味しそうに食事をするし、黒もしっかり食事当番をこなしているからな。
ん……ちょっとまて、じゃあ普段食べてる食事はなんなんだ?単なる浪費か?それに皆夜な夜な俺のベッドに潜り込んで寝ているが、あれは何だ?
「いやそれは役得ってヤツだ。別に必要ないからといって、美味いもん食べたり暖かくして寝たりするのを放棄するのも味気ないだろ?別にタケルだっていい思いしてんだから、持ちつ持たれつってヤツだ」
紅が頭を掻きながらいう。
何か気になるフレーズが入っていたが、問い詰めるのは後にしよう。
兎にも角にも、3人を送り出す。
黒が納屋の土間に門を開き、紅、白の順で門に入っていく。
「タケル、門はこのままにしておくけど、何かあったら閉じてしまって構わない。連絡は随時行うし、上空には黒の精霊を飛ばすから、そちらから逐一見えるはず。確認して」
そう言うと黒の窓を開いてから、黒も門を通る。程なくして紅達3人が窓に見えた。
黒が門から首だけこちらに出し、聞いてくる。
「どう?私達が見えてる?」
ああ、バッチリだ。音声はないけどな。
「音を伝えるには特別な細工が必要。今はやらない」
映像だけで十分だ。行ってこい。
窓の向こうでは、紅達がヤギの群れに近づいて行くのが見える。
ヤギは数十頭の群れを作るものだと思っていたが、今狙っている群れは5頭。まだ若そうな雄ヤギと、雌ヤギが2頭、どうやら妊娠しているらしい雌ヤギが2頭のグループだ。
元の世界の動物園やマニアックなペットショップで見るような白く小型のヤギと違って、毛の色は茶色や黒が多く、大柄だ。雄ヤギの頭に生えた角は、弓状で大きく西洋の悪魔の角のような形をしている。
俺からのリクエストは3頭だったが、このグループをそのまま狩ることにしたらしい。
紅がヤギを追い立て、白が大気の壁で誘導し、黒が精霊を大きな袋状にしてヤギの上に被せ捕獲していく。
ものの10分ほどで、5頭全ての捕獲に成功した。
こちらが見ているのがわかっているのか、紅が持っていた杖状の木の枝を掲げガッツポーズをしている。
そのまま帰ってくるかと思いきや、黒が手を上方に掲げる仕草をした。窓から見える地表がぐんぐん遠ざかっていく。
地上100mにも達しただろう。そのままの高度で精霊が移動を開始する。険しい岩山と岩肌ばかりの単調な世界。谷底には細い川が見える。
空を舞う鷹や鷲には、このような景色が見えているのだろうか。少々羨ましい。
やがて、同じ映像を見ているのだろう黒が何かに気づいたようだ。窓の外の景色の移動が止まり、一点を映し出す。谷底に何かが落ちており、大型の鳥が数羽集まっている。
精霊が下降していく。大型の鳥は猛禽類のようだ。谷底に落ちている何かを頻に啄ばんでいる。
どうやら獣の死骸のようだ。尾や身体の特徴から、イヌまたはオオカミの死骸と思われる。狩りに失敗して谷底に落ちたか。
また精霊が移動を開始する。何かを探すように、谷底の岩棚の影や岩の隙間を覗いている。
数百mも移動しただろうか。ある岩陰で小さな生き物の姿を捉えた。
灰色の毛のイヌ科の動物。おそらくハイイロオオカミの一種だろう。4匹いるようだが、うち2匹は明らかに死んでいるようでピクリとも動かない。残り2匹もガリガリに痩せ、息も絶え絶えといった様子だ。
映像を見ていた小夜が息を飲む。
勾玉が少し震え、黒の声を伝えてきた。
「タケル。家畜ではないが、連れて帰ってもいい?」
「ああ。見つけてしまったのでは、このまま見殺しにするのも目覚めが悪い。連れて帰ってこられるか?」
「わかった。3人で移動する」
黒がそう言うと、勾玉の震動が消えた。通信完了のようだ。
映像の向こうに紅達3人の姿が見えた。黒の門を現地にも開いたのだろう。
3人は真っ直ぐに2匹の子犬(暫定的にそう呼ぶ)がいる岩陰に向かうと、紅と白がそれぞれ1匹ずつを抱き上げた。
どうやら抱いたまま帰還するようだ。向かった時の順番のまま、紅、白、黒の順で門を潜る。
3人が無事に納屋に帰ってきた。すぐさま小夜が駆け寄り、2匹の子犬を受け取る。
子犬だと思っていたが、実際は小型犬ほどもあるだろうか。体長30㎝ぐらい。小夜が抱えるとちょうど自分の体の前で腕を抱えたぐらいの大きさだった。濃い灰色の体毛は、毛艶もなく薄汚れている。
外傷らしきものは見当たらない。どうやら飢えているだけのようだ。
小夜が子犬を緑の精霊で包み、麦藁を敷いた木箱に子犬を寝かせる。
子犬の唇をめくり、歯を確認する。小さな犬歯を始め、上下合わせて20本ほどの歯が見える。
離乳はしているが、自分で狩りができるわけではないといったところか。
「タケル兄さん。ご飯は何をあげたらいいんだろう」そう小夜が聞いてくる。
必ずしも犬の飼い方に詳しいわけではないが……歯が生えそろっているなら、母乳には頼っていないだろう。かと言って肉では栄養価が偏りそうな気がする。
「鹿のレバーでもあげてみるか?すり潰せば弱った体でも受け付けるかもしれない」
そう言うと、早速黒が準備に入る。
レバーをすり潰すと、匂いに気付いたのか2匹の子犬が身動きを始める。
小夜と白がレバーを匙に掬って、子犬の鼻先に近づける。
子犬たちはしばらく鼻を引くつかせてから、恐る恐るといった感じで舌を出し、匙のレバーを舐める。
数回匙を舐めると、何かが繋がった様子で目を見開き、上半身を起こすと猛然と食べ始めた。
2匹で合わせて一個分のレバーを平らげ、辺りを気にしつつも眠くなってきた様子。
小夜に言って2匹を眠らせる。わざわざ緑の精霊の力を借りなくても、小夜と白が背中を撫でているだけで深い眠りに落ちていったようだ。
2匹の世話は小夜に任せ、残りの5人でヤギを迎え入れる準備をする。
といっても、北側の崖の下を流れる小川から板塀までの東西50m×南北20mほどを、高さ3mの柵で囲むだけだ。柵とは言え剛性も考えると、結局里の板塀と同じ構造になった。ただし、犬走りはつけない。
小川はそのまま水飲み場として使えるだろう。まさか水に潜って脱走するとは思えないので、水面20㎝ほどの高さに板塀を渡す。
北側の板塀の外に生やしていた竹と笹は、邪魔になるから伐採した。
代わりに雨露を凌げる小屋を、里との通用口の近くに新たに作る。
中に前日刈り取ったススキを敷き、飼い葉桶にもススキを刻んで入れておく。
崖にはススキやイネ科の雑草、灌木が生えているが、見たところ毒草はなさそうだ。
5人全員で里の板塀の内側にある犬走りに上り、小屋の中にヤギを放す。板塀の内側に上がったのは、万が一ヤギたちが暴れたりすれば危険だからだ。
結論から言うと、杞憂に終わった。ヤギたちは眠ったような状態で連れてこられたようだ。5頭とも小屋の中でおとなしく寝ている。
やがて、雌ヤギの一頭が目を覚まし、首を持ち上げ辺りを確認する。残りの4頭も次々と目を覚ました。
雄ヤギが起き上がり、飼い葉桶のススキを食べ始める。雌ヤギたちも次々と起き上がり、飼い葉桶の周りに集まりススキを食べ始めた。
とりあえず餌付けは成功したようだ。
こうして、里に動物の仲間が増えた。ヤギとオオカミ(だと思われる)。
生態系は乱しまくっているが、野に放ったり逃がしてしまったりしなければ問題ないだろう。




