37.隣の集落に挨拶する
5月も終わりに近づき、そろそろ梅雨前線が北上を開始する季節になった。
この頃には、黒に頼んで上空50kmから地上を俯瞰した映像を紙に写し取り、この世界の詳細な地図を作っていた。
上空50kmといえば成層圏と中間圏の境目、白の精霊の影響がそろそろ限界といった高度だ。
この九州の南の方に東西に伸びる雲の塊があり、あと1週間もすればこの地方も梅雨入りするだろう。
ちなみに同じ手法でもっと低高度から撮影した映像で、この地域の地図も作成済みだ。
里の南東と北西には直線距離でおよそ2kmの地点に集落がある。
映像から確認できた南東の集落は、住居数10軒ほど。炭焼き小屋と思われる小屋からは、数条の煙が立ち上っている。周囲に広がる田畑の面積からして、主に炭焼きを行う集落なのだろう。
北西の集落は南東のものより大きく、東西南北に分岐する街道の中心部にある。この地域のハブのような役割もしているのだろう。
暮らしぶりを詳細に見ることもできるが、プライバシーに関わる問題だからそっとしておく。
そういえば乙金の集落は無事に落ち着いたようだ。治癒の効能を付与したヨモギの株は、案の定ご神体のような扱いで祀られている。
それはさておき、近くの集落には挨拶に行っておかなければ不義理に過ぎるというものだろう。この里の周囲の開墾を進めていけば、いずれは近くの集落の縄張りにも接する。そうなってからの接触では、いらぬ争いの火種になりかねない。
梅雨の到来までおよそ1週間、春の農作業も落ち着いたこの時期を逃せば、また忙しくなってしまう。
俺達6人は連れ立って川沿いの道を上流に向かい歩く。
さすがに普段着のワークパンツやジャケットではまずいだろうから、博多で着ていた褐衣姿に草鞋だ。
皆も最初の衣装に着替えている。
小夜も俺と同じ褐衣姿を黒に仕立ててもらい、嬉しそうだ。
のんびり歩くこと45分ほどで、集落の入り口が見えてきた。
近くの田で雑草抜きをしていた男に声をかけ、集落の長に合わせてもらう。
男の顔色があまり良くなく、痩せているのが気になる。
集落の中には炭焼きの煙の匂いが漂っており、全体的に活気を感じない。
村長らしき男が数人の男を従えて出てきた。
村長は50代ぐらいか、既に腰が曲がっており、歩くのに杖が必要な様子。
従えている男達は30代ぐらいだろうか。最初に会った男同様、顔色も悪く痩せている。
「私がこの集落をまとめております、善吉と申します。この者達3名はそれぞれの家の代表で、喜平、松太郎、伝次郎です」
「この近くで開墾を始めた、タケルです。この者達は私の家人で小夜、青、紅、白、黒と申します」
「ほう…美人揃いですなあ…」
そんな挨拶でコミニュケーションを開始した。
不躾だとは思ったが、村人達の顔色が悪い理由を村長に尋ねてみる。
「実は昨年が不作でして…炭焼き窯も1台壊れ…この春の植え付けはなんとか終わりましたが、備蓄も底を尽き…狩をする一家が最初に倒れたことで獲物も手に入らず…集落の者達はほとんど食べられていないのです…」
切れ切れの村長の言葉から察するに、要するに飢えているのだ。
「近くを開墾されるというなら、何か助けてはくださらんか」
村長の言葉に小夜の顔色がみるみる変わっていく。自分の境遇に重ねているのだろう。
「タケル兄さん。何とかならない?」
そう小夜が俺の袖を強く握り、小さな声で俺に囁く。「助けよう」などと言わないのは、俺が断ったときに騒動にならないようにする配慮か。
「青、黒。今の備蓄量で、この集落を支援することは可能か?」
そう小声で農作物担当と資産管理担当に尋ねる。
「何回か炊き出しをやるぐらいなら可能。ただし全員を丸抱えするのは不可能」と黒が答える。
「作付け面積から推測するに、この集落の人口は多すぎます。恐らく20石から25石といったところでしょう。炭や獲物と作物の物々交換が途絶えれば、遅かれ早かれこの事態は起きていました。人口整理の為に、放っておいたほうがよろしいかと考えます」
青がわざわざ村長達にも聞こえるぐらいの声で答える。
このまま死ねと言われたに等しい青の言葉に、村長たち男衆の顔色が変わる。
機敏に反応した紅が長刀を握りなおす。黒が小太刀の柄に手を添え、小夜の前に出る。
「ですが」と青が続ける。
「このまま見殺しにすれば、集落そのものが滅んでしまいます。この集落の構造改革を進める前提で、一定の支援を行うべきです」
青が政治家のような発言をする。
「こうぞうかいかく?って何?」小夜の疑問はもっともだろう。
「よし、とりあえず炊き出しを行う。集落をどうするかは、村長や皆の話を聞いてからだ」
そういうと、小夜と式神たちは一斉にうなずく。
「家の代表者は皆を集落の中心部に集めてくれ。何人いるのか把握したい。黒と青、紅で食事の準備。消化にいいもの…麦粉と芋ですいとんを作ってくれ。小夜と俺で集まった住人の健康状態を把握する。白は俺たちの護衛。意識障害や重病人がいれば、食事ができる程度まで回復させるからそのつもりで。村長さんは俺についてきて、住人たちを紹介してくれ」
そう伝えると、皆が一斉に動き出した。
俺は集落の中心部に簡単な竈を準備すると、小夜と白それに村長を連れて、集まった住人たちの健康状態をチェックする。
農作業や山に入ることができる大人たちに比べ、まだ幼い子供たちの衰弱が激しい。
男女比はおよそ4:6。壮年の成人は集落全体のおよそ3割にも満たない。一方で、お年寄りと子供が残りの半数ずつを占める。つまり働ける割合が圧倒的に少ないのだ。
集落の中心部に集まった住人は50名だった。
この世界での成人である15歳から40歳ぐらいまでの大人が15名、村長を含めた高齢者が17名、
乳幼児から15歳未満の子供が18名、つい先日2名の乳幼児が亡くなったらしいので、15名の大人が37名を養っていたわけだ。
とりあえず乳幼児や子供たち、そして高齢者を回復させる。
特に子供たちはがりがりに痩せ、腹ばかり出ている。
青が出来上がったすいとんを竹筒に入れ、竹の箸を添えて子供たちに配る。
大人たちが飛び掛かりそうになっているが、紅が睨みつけ牽制する。
まさかこいつら…自分たちだけ農作業や山で手に入れた食料を食べていたわけではないだろうな…そんな不安が頭をよぎる。こんな連中の近くで開墾などできるだろうか…
子供たち全員に食事が行きわたり、2杯目を配り終えたことを確認し、高齢者に食事を配る。
壮年の大人たちは最後だ。
「タケル、乳幼児は重湯でいい?」そう黒が聞いてくる。そうだな…粉ミルクや牛乳の備えは無い。
「重湯を作れるか?」そう黒に尋ねると、黒は少し胸を張って竹筒を取り出す。
「必要になると思って作っておいた。母親に渡せば、きっと与え方は知っている」
黒よ…よくできたお母さんだ…




