177.襲来の前触れ
さて、朝鮮半島海域を監視していた黒が異常を察知したのは、稲刈りも終わり実りを感謝する祭りの準備をしている最中であった。この時代、いわゆる大規模な秋祭りというものは一般的では無い。だが農村単位あるいは氏神神社単位での祭りは行われているし、里でも多少のイベントはあってもいいだろうという事で小夜を中心に企画していたのだ。
「タケル。蒙古軍が出征の準備を整えた様子。大型船300隻、小型船300隻、小舟が同じぐらい。総数はおそらく4万人規模の軍勢になる」
夕食の席で黒がそう切り出した。その数に一同が思わず息を呑む。
「4万人……それは水夫も含めた数か?」
「そう。水夫を除けば3万人規模と推定」
「それでも多いな。タケル、まずは対馬が戦場になると思うがどうするよ」
「旦那様。先手を打って出港前に焼き払っては如何でしょう。無辜の民を戦禍に巻き込まずに済みます」
青の言葉は正しい。
式神達の力に加えて、里で開発した榴弾砲の威力を持ってすれば出航直後の敵を一方的に殲滅できるだろう。
だが俺が恐れていたのは敵側が同じ手法を取ることだ。
俺はともかく、この世界には三善の爺さんのような陰陽師がいる。当然敵方にも少なくとも同程度の技を使う陰陽師がいるはずだ。中には黒の門のような転移系の術使いもいるだろう。彼等が博多の街の直上に門を開き、榴弾で攻撃してきたら……白の結界で防ぐことは出来るだろうが、全ての街や村を守り切るのは難しい。
もし俺が式神達の力を借りて攻勢に出れば、敵側も当然同じような戦術を取ってくるはずだ。やはり基本的には敵を引き込み通常戦力で戦い勝利しなければならない。
「いや、先の偵察隊と同じだ。奴等を引き付け、その上で殲滅する」
「承知いたしました。では各所に急報を。不意打ちされるのと備えている襲撃に対応するのでは被害に大きな差が出ますから」
「ああ。白、三善の爺さんと波多家に伝達を頼む」
「了解。爺さんは土笛でいいとして、至には前みたいに夢枕に立てばいいよね」
あっけらかんとした白の問いに思わず口籠る。夢枕に立つというのは、少なくとも俺の感覚では亡くなった身内が誰かの訃報を知らせるとか、そんな意味合いが強いのだが。
「それは不吉過ぎないか?」
そう言った俺に小夜が首を傾げる。
「どうしてですか?神仏のお告げってそういうものだと思います。私のお母さんも寝ている時にお告げを聞いていたそうです」
そうか。夢枕に立つのは何も故人だけではないと考えられているのか。ならば問題ないのだろう。
小夜はどこかの集落の巫女の血を引いている。この筑豊国の中にその集落があるのは間違いないのだが、彼女は頑なにその場所を言わない。何らかの懲罰を俺が与えると思っているのかもしれない。
「配置はどうするよ。3万人が対馬に上陸すると思うか?」
「紅、そんな数を上陸させる場所はあの島には無い。おそらく対馬に上陸するのは先鋒として大型船で数隻、多くても千人規模だろう。俺と紅、佐助と清彦、それに白と梅で対応する。他の敵は対馬沖で停泊して後詰めとなるか、そのまま壱岐や松浦を目指すかのどちらかだと考えている。移動するようならそれにも対応できるようにしたい」
「松浦の面々には一方ならぬ縁があります。見捨ててはおけませんね」
「青の言うとおりだ。それまでに対馬が解放できればよいが、戦が重なるようなら松浦の支援は青に任せる」
「旦那様。エステルを連れて行ってもよろしいでしょうか。拠点防衛であれば十分に役に立つかと」
エステルか。故郷のリンコナダ防衛戦では確かに陣頭に立っていたし、里に来てからも修練を積んでいる。足手纏いになる事は無いだろうが、この戦に参加させてもいいのだろうか。
「旦那様。私からもお願いします。あの地の方々にはとてもお世話になりました。私にも守らせてください!」
「わかった。ただし、危なくなったらすぐに里に戻れ。それが条件だ」
「はい!」
「タケル、壱岐はどうするの?」
壱岐の守護代は平景隆。少弐の家人、つまり直系の家臣である。面識は無い。だが面識がなく確執がある少弐の家臣だからといって見殺しにもできまい。俺が知っている史実どおりなら対馬でも壱岐でも大規模な殺戮が起きたのだ。
「さっさと対馬を片付けて加勢に行くしかないな」
そうは言うものの、対馬の宗資国の手勢は百騎にも満たない。戦闘補助を行う足軽まで数に入れれば千人近くはいるだろうが、果たして戦闘の役に立つかどうか。如何に対馬が自然の要害だとしても、数千人の攻め手に対して長く保つとは思えない。おそらく壱岐の平景隆の手勢も同程度だろう。先に上陸した偵察隊の相手でもさせれば実力が計れたのかもしれないが、そう考えると惜しい事をした。
「つまりは対馬次第ってことだね。里に残る連中にも弓矢の準備をさせておくけど、いい?」
「ああ。指揮は……黒と椿に任せる」
「了解。椿、対馬は木々が多い。弓矢だけじゃ心許ないから迫撃砲も用意する。陣地を準備して」
迫撃砲か……やむを得ない場合もあるだろう。
黒と小夜、そして椿が一緒になって開発した迫撃砲は、八九式重擲弾筒に似た個人携行型の物と、L16 81mm 迫撃砲のように3名で運用する大型機の2種類。特に後者の有効射程は5kmを超える。元々は博多湾沿いの志賀島、玄界島、そして糸島の山頂に据え付けて博多湾の入り口を封鎖することを目的としたものだ。プロトタイプの小型版は、先に名越元章の一派が里を襲撃した時にその威力を見せつけた。
「わかった。ただし砲の類は俺が指示するまで使うなよ。乱戦の只中に撃ち込んだりしたら俺達まで危ない」
「わかってる。海上の敵船以外は攻撃対象にしないから。あと黒姉、手榴弾と地雷って数揃ってる?」
手榴弾か。蒙古軍が持っていた“てつはう”に着想を得て黒が作った柄付き手榴弾の投擲距離は、きちんとした姿勢で投げれば60m以上。有効半径は10m程度だ。地雷も同じ装薬を使用しているから有効半径は同程度だろう。人馬を殺傷するには十分な威力だ。
「もちろん。抜かりはない。想定戦域のグリッドマップも準備した。支援砲撃要請に使って」
黒が懐から紙の束を取り出して梅に渡す。北部九州、元の世界で言えば福岡から長崎にかけての海岸線を中心にした地図帳だ。
「お爺さんに繋がったよ。狼煙で各地に急報を出すって」
狼煙か。ならば半日もあれば北部九州一帯に情報は伝わるだろう。狼煙の伝達速度は時速70km〜150kmとも言われる。難点は地点間の距離が長ければ長いほど合図を視認し難くなることだ。壱岐ならばともかく、対馬のような離島にはそもそも狼煙だけでは伝わらない。
「白。これから対馬の宗家、壱岐の平家、それに松浦の救援に向かうと爺さんに伝えておいてくれ。皆は準備を。今回の戦場は3箇所がほぼ同時に進行するだろう。戦域も広い。その分、1箇所に掛けられる戦力は薄くなる。無理はするな。自分の身の安全を最優先に。特に佐助、清彦、梅。お前達は今後の里を担う若人だ。自分の命を粗末にするなよ」
3人がいつになく緊張した面持ちで頷く。
本来ならば筑豊国ないしは里が攻撃されるまで放っておいても後ろ指を指されることはない。俺達は家族ぐるみでスーパーメカを操る某国際救助隊ではないのだ。
それでも、この3人は戦火に晒される人々を守りたいと言ってくれた。その意思と力があるのに実行しなければ、きっといつか後悔する時が来るだろう。
「よし。夜明けに出陣する」
『了解!』




