175.松浦党③
上松浦党の最大勢力である波多家の当主である波多源三郎至に面会を果たした俺達は、源三郎が女性である事を知った。
ちなみに波多は姓、源三郎は名だが、至は諱である。諱とは実名だが生前に口に出すのは憚られる類の名だ。よって青や白が至の事を源三郎と呼ぶのは正しい。一方で死後の、例えば先祖の名を諱で呼ぶ事は一般的でもあり死者の権威を尊ぶことでもある。故に源三郎が自身の祖を渡辺綱と姓+諱で読んだのは当然である。
さて、この時代、女性が武家の当主となることはそう珍しい事でもないらしい。鎌倉幕府を開いた源頼朝が御台所、北条政子もその一人である。だが男の姿で実権を握るからには、何か理由があるのだろう。これは後に知った事だが、源久に連なる波多家では源三郎は三代目にあたる。正確には源久の次男が波多源次郎持を名乗ってから三代目だ。
そして源三郎の長子、波多太郎勇が少弐家への返書を携えて太宰府に赴くという。ついては俺達にその“加護“を、つまり後ろ盾になって欲しいらしい。
その申し出にいささか面食らいはしたが、嫌というほどの敵意はない。そもそもこれから共闘しようという中である。協力関係を築くには格好の機会かもしれない。
如何を問う青の視線を受けながら、俺は思いを巡らせる。
加護と言われても実際のところ何が出来るだろう。黒と白の精霊を張り付けるか。いや、当然黒も白も沿岸沿いと少弐家の監視を怠っていないから、今更それを加護と呼ぶわけにもいかないだろう。子供達の誰か、或いは式神の誰かを同行させるか。しかしそれは余りにも身勝手だ。桜は自ら望んで佐伯家に嫁いだが、他の子達にはまだ里を離れる気は無いように思えるし俺自身も手放す気はない。ならばどうする……
俺の視線の先ではまだ幼さを残す太郎が両の拳を床に付けて頭を下げている。そしてその周りを飛び回る精霊達。彼も渡辺綱の血を引いているのなら、多少手助けをすれば式神を使役できるかもしれない。
「その申し出、加護と言えるほど大袈裟ではないが道中の輩を付けるということでどうだろうか。太郎殿、其方は式神を使役できるか?」
「ははっ。母上、いえ、御当主様には及びませぬが、一応は」
源三郎を母上と呼んでからわざわざ言い直すところを見るに、普段は母上と呼んでいるのだろう。
「一応とは?」
「失礼ながら神威様、我が息子に代わってお答えいたします」
先を促す俺に源三郎が答える。
「我が息子には水虬と塩椎を使役できます。葉槌と磐土は見えるに留まっておりまする」
ミツチとシオツチ。そういえば古代日本での精霊を表す名称にそんな表現があった気がする。ミツチとシオツチといえば……青の顔を窺うと大きく頷いて返される。
「左様な言い回しは久しく絶えておったな。水虬は水の精、塩椎は潮の精で間違いないか?」
「はっ。仰るとおりにございます」
潮の精霊とは初耳だが、水の精霊に動きがあるものを表現しているのだろうか。確かに青は物静かな水の精霊に形作られた式神だが、一度行動を開始すれば何物をも押し流す奔流となる。潮の精霊とはよく言ったものだ。
「わかった。では太郎殿に式神を授けよう。受けてくれると嬉しいのだが」
「我が身に余る光栄にございます。是非ともお願い奉りまする」
再び波多衆が揃って頭を下げた。
◇◇◇
さて、とは言ったものの、式神を呼び出した事など青、紅、白、黒の四人以外には無い。どうしたものかと思案する間に、太郎と俺達は青達に連れられて外の白洲へと移動した。
廊下には固唾を飲んで待つ波多衆の面々。
皆に注目されながら、裁きを待つ罪人かのように乾いた砂に額を擦り付ける太郎を見ていると、ふと太宰府で初めて三善の爺さんに会った時の事を思い出した。あの時も幼い小夜を守護し、また彼女の遊び相手になってもらうために式神達を召喚したのだ。あの時のように上手くいくだろうか。
細かく震える太郎の肩にそっと触れながら念じる。願わくば、この未だ幼さの残る若武者に幸あらんことを。そしてこの者が望む生き方の輩となる者が現れることを。
太郎の周りに光の精霊が集まってくる。
一際明るくなった光が消えると、そこには太郎の肩に止まった一羽の鳥がいた。
◇◇◇
太郎の肩に止まった鳥は腹部と羽の付け根が白く、体のそれ以外の場所は黒い羽毛に包まれている。翼と長い尾には青っぽい金属性の光沢があり、その瞳は燃えるような赤であった。
俺はこの鳥の名を知っている。標準和名カササギ、別名カチガラス。
欧州全域から中央アジア、アラビア半島から極東まで広範囲に生息する、カラスを一回り小さくしたような鳥だ。そしてカササギとの大きな違いは脚が3本ある。元の世界では佐賀県の一部と福岡、熊本などの北部九州に生息しているが、この時代に日本に生息していた記録は無い。その結果、我が式神達の反応は揃ってイマイチなものであった。
「おや、鳥型の式神ですか」
「見たことない鳥だな。カラスか?」
「カラスにしては不思議な色合いだよね。それに脚が一本余計だよ」
「マジか。ってことはこれって……」
「もしかして八咫烏ですか」
青達の視線が今度は俺に突き刺さる。
八咫烏。古事記や日本書紀に記述がある由緒正しき神獣である。なんでも神武天皇の東征の際に、その道案内をしたとか。太陽の化身とも思える描写もあるらしい。
だが八咫烏の“八咫”とは“大きい”という意味だったはずだ。咫とはちょうど手のひらの付け根から中指の先端までの長さを示し、おおよそ15cmから20cm弱である。それが8つで90cmから160cm弱。そういう大きさのカラスなのだから、錦絵などではあたかもトビのようなサイズで描かれていることが多い。つまり、言葉どおりの解釈ならば太郎の肩に止まれるような大きさではないはずだ。
「へぇ。これが八咫烏かあ。思ってたより可愛い。ねね、鳴いてみてよ」
白の言葉に気分を害したのだろうか。カササギは真っ赤な瞳でジロリと俺達を睥睨し、その光沢のある黒い嘴を開いた。
「お初にお目に掛かる。どなたが我が主となられるお方か」
しわがれた、だがそれでいて張りのある若い男の声。これがこの式神が最初に発した言葉だった。




