174.松浦党②
波多城の門前には胴丸に半首、侍烏帽子の男達が薙刀を携えて待ち構えていた。総勢二十名ほどだろうか。
その中の一人、濃紺の直垂に黒い烏帽子、太刀を履き革足袋という出で立ちの男が先頭に進み出る。まだ若い。佐助よりも若いようだから元服前かもしれない。
門の少し手前で馬から降りた俺達に向けて、その男が声を発した。
「宗像の巫女様!お待ちしておりました。波多源三郎が長子、太郎にございまする」
朗々とした声変わり前の少年特有のハイトーンボイス。与一か、もしかしたら乙吉と同じぐらいの年齢だろう。
勇の言葉に反応しようとした紅を制して白が応える。
「うむ、出迎え大儀であるな。我らは宗像より参った使者である。当主源三郎殿に御目通り願いたい」
まさに鈴を振るような美声である。やればできる子なのだ。
「ははっ。申しつかっております。どうぞこちらに」
太郎の合図で侍烏帽子の男達が手綱を預かる。下馬した俺達は白を先頭に彼の後に続いた。
◇◇◇
案内されたのは屋敷の左側の一角であった。屋敷の中央部から続く長い板張りの廊下は途中で直角に折れながらぐるりと部屋を囲む、その障子張りの部屋は屋敷の正面にも面しており、その正面の土間には乾いた砂が敷き詰められている。さながら能舞台とお白洲だな……そんな事を考えているうちに、案内していた太郎の足が止まる。
「宗像からの御使者様、御一同をお連れいたしました!」
パンッと心地よい音を立てて開け放たれた障子の向こうには、長方形の大広間が広がっていた。全面が濃い色の板張りで、正面奥には一段高い床の間がある。その前に一人、そして向かって右手側にずらりと並んだ男達。これが波多家の面々か。
「御使者様方、どうぞこちらへ」
勇に案内されて白を先頭に室内に入る。白、青、俺、紅、それから小夜、梅、エステル、佐助と清彦、最後に弥太郎の順だ。促されるまま部屋の左側にさながら剣道の試合でも行うかのように座る。
剣道か。そうだな。この部屋は和室というより剣道場に近いだろう。もっとも道場生の名前が書かれた札などはないし、白以外の全員が“正座”ではなく胡座か立膝で座っている。壁に竹刀が掛けられているわけでもなく、もっと物騒なもの、大太刀や小太刀が名々の右側に置かれている。もっとも俺達も武装したままだから咎める筋合いも咎められる筋合いも無いのだが。
白が三つ指を付き、青は胡座のまま両手の拳を床に付け、深く腰を屈めた。俺達もそれに習って礼をする。こういう時の礼儀作法は青と白に任せておくのがベストだ。
「お初にお目に掛かります、源三郎様。此度は急なことにも関わらず、お目通りお許しいただき感謝いたします」
板張りの空間に白の凛とした声が響く。
「やれやれ、叶わぬな……」
返ってきた言葉は明らかに女の声だった。
女?俺達以外に女がこの部屋にいただろうか。
「お前達、席替えだ」
続いた声に波多衆が一斉に動いた。
◇◇◇
一瞬何が起きているかわからなかった俺の背を青と紅が押して、席替えが着々と進んでいく。その間に当然全てを知っているはずの白に女の声の正体について問い糺そうとしたのだが、曖昧な微笑で躱された。
波多衆が入り口側に下がり、俺と小夜、式神達の五人が床の間に着座する。白と紅の視線が空中で衝突するが、俺の左側に小夜、右側に白、その隣に青、小夜の隣に紅という位置で落ち着いたようだ。
床の間の一段下には左右に分かれて左手に梅とエステル、右手に佐助と清彦、弥太郎がそれぞれ部屋の中央を向いて座る。
相対する波多衆は当主源三郎を筆頭にあたかも魚鱗の陣を敷くかのように正座している。
その源三郎が床に拳を付いて頭を下げた。
「お初にお目に掛かる。波多家当主、源三郎でございます。宗像の、いや、音に聞こゆる筑豊国の神威の方々、よくぞお越しいただきました」
女の声である。決して高くはない、どちらかと言えばハスキーな声の持ち主が波多源三郎その人であった。
呆気に取られる俺を置いて、青が言葉を繋ぐ。
「ほう、我々が神威であると。其方はいったい何者じゃ?」
「我ら松浦党は源綱縁の嵯峨源氏が支流たる源久を始祖とする一族にございます。御始祖様が宇野御厨検校としてこの地に参られて二百余年、この地を守りし末裔に御座います」
宇野御厨か。爺さんの地図にも北松浦半島の北端部に御厨という地名がある。平安時代の中頃に置かれた、五島列島や東松浦郡、北松浦郡を包む広大な荘園。天皇家や伊勢神宮などの神社で用いる供物を納めた地域のはずだ。この辺りならば当然寄進先は太宰府だったであろう。そして源綱、或いは渡辺綱といえば、酒呑童子や羅生門の鬼を退治したといわれる英傑である。その子孫ならば陰陽道に通じていても当然か。
「なるほど。あの久殿か。ならば然もありなんというものじゃな」
さぞ得心が行ったのだろう。だが頷くのは青、紅、白の式神だけ。いや、訳知り顔で弥太郎も首を縦に振っているから、分かっていないのは俺と子供達だけだ。
「なあ、その久ってのはどんな奴だったんだ?知り合いか?」
小声で隣の白に尋ねる。
「鬼子嶽に巣食った鬼、孤角を倒した昔の武士。特に付き合いはなかったけど、遠くから見てた、かな」
囁くような声で返ってきたのは、ここでも鬼に纏わる伝承だった。
鬼か……元の世界での鬼の解釈は、朝廷や幕府など時の権力機構に従わない地方豪族を指していたはずだ。しかし精霊に満ちた、そして妖魔が現存するこの世界において白達式神が“鬼”と表現するならば、それは文字通りの鬼なのだろう。
「して、我らがこの地に赴いた理由は分かっておろうな、かの英傑等の末裔よ」
俺に話した時と打って変わって、大層大仰な物言いで白が尋ねる。こいつ楽しんでるな……
「もちろんでございます。夷狄の侵攻が近いのでございましょう。先だって鎮西守護、少弐様から書状が届いております」
「ほう、鎮西守護とは、あの青瓢箪も偉くなったもんだ」
紅の呟きに同意するかのように波多衆の男達が顔を見合って頷く。
少弐資能。筑前国の守護にして太宰少弐の地位にある御大名様である。我が筑豊国は筑前国の一部なのだから、俺達からすれば君主であるはずだ。だが不幸なすれ違いが連続して少弐家と俺達はよく言えば冷戦、悪く言えば犬猿の仲である。その証拠に紅を始めとする式神達の間では少弐家の評判はすこぶる悪い。
そんな俺達と少弐家との仲を取り持っているのが三善の爺さん、齢百二十を超えるのにピンピンしている妖怪じみた陰陽師である。
「それで、書状と言うのは?檄文か?」
話が有らぬ方へ向かう予感がして、思わず口を挟む。少弐家はここ肥前国でも評判は芳しくないのだろうか。
「はい。何でも我ら御家人の所領把握のため、名字や身の程、主だった者の名を列記した証文を持参して大宰府に至れとの由。それについては我が息子、太郎を遣わす所存でございます」
彼、いや彼女の右後ろに座る太郎の目が俺と合う。鍛えれば大成しそうな、なかなかに良い面構えだ。
「その節には是非とも神威様方のご加護を頂戴したく、このとおりでございます」
源三郎の言葉に波多衆が一斉に頭を下げた。




