173.松浦党①
糸島半島の可也山を後にした俺達の旅は順調に進み、およそ一週間かけて元の世界では唐津と呼ばれる地域に辿り着いた。元の世界でならば糸島市から唐津市街地まではおよそ65km、健脚なら2日弱の道のりに一週間掛けたのは、途中で幾つかの城に立ち寄ったためだ。
何せ怡土・志摩から玄界灘を見渡す地域は城が多い。
波多江種利の居館であった土塁に囲まれた波多江城は平地にあるが、高祖山山頂に陣取る原田種継の高祖城、松浦草野氏が大宮司を勤める松浦鏡神社領内の鬼ヶ城は山城である。
城と言っても後世戦国時代の城郭のような天守閣を備えているわけではない。地方豪族が住まう屋敷や砦、その跡地も含めて全て“城”である。とはいえ馬鹿にするものではない。崖の上や小高い山に築かれた山城は、上手く使えば物資を蓄え付近の住民を避難させうる重要な拠点になるはずだ。
それらの城の中でも最も守りが堅そうだったのが鬼子嶽城である。
俺が爺さんから受け継いだ地図帳では岸岳城となっている、元の世界での唐津市郊外の標高300mほどの山中に位置する山城であり、東から松浦川、西から波田川が合流し海に注ぐその合流地点に位置し、海側には100mを越えようかとする断崖絶壁の上に長大な石垣が築かれている。
石垣の上からは眼前に広がる虹の松原とその先の高島が一望でき、更に遠くには壱岐が見える。ちなみに壱岐国守護は少弐家であり、現在の守護代は平景隆なる人物らしい。
なお、この時代に唐津城はなく、当然唐津市街地と呼べるものはない。唐津城が築かれるのはもっと後の時代、豊臣秀吉の治世になってからだ。
◇◇◇
さて、俺たちがこの地に立ち寄ったのは、当代当主波多源三郎 至と息子の勇に面会するためである。波田氏は上松浦党と呼ばれる地方武士集団の中でも最大勢力であり、俺が知っている史実では蒙古襲来の折にも果敢に戦った猛者だ。そんな武家当主に簡単に面会できる運びとなったのは、ひとえに白の功績である。
彼女は黒の門を使って至と勇両名の夢枕に立ったのだ。その結果、この地に辿り着いた所には直垂に侍烏帽子姿の武者達が出迎えてくれた。
簡単に挨拶を済ませて、彼らの後に続いて田園地帯を進む。この地域は海の近くではあるが、一方奥に進むと山間の様を呈している。
「夢枕に立ったって、ただ立っただけじゃないだろ。何言ったんだ?」
「ん〜、別に?明日には八大龍王の化身が宗像からの使者として訪れるから、丁重に歓待しろ。さもなくば来る蒙古軍襲来の折には一族郎党皆殺しになって七代先まで祟られるであろうとか、まぁそんな感じかな」
馬上で軽く首を傾げて微笑む白髪巫女装束の娘が式神白龍、通称 白である。
その隣で騎乗するのは赤髪ショートカットの式神紅龍、通称 紅である。彼女が身につけているのは濃い灰色の半袖シャツに同色のショートパンツ、肩と肘にはイノシシの革を貼り合わせて漆で固めたプレートを装着し、手にはレザーグローブと小手、足は藁底を樹脂で固めたレザーブーツ。腰には太刀を履き肩には薙刀を担ぐいつもの出で立ちだ。はだけた胸元から覗く赤い下着が気になるが、同行者にとっては見慣れたものである。
「それはさぞかし夢見が悪いことでしょうね。罪な事を」
そう言って笑いながら騎馬を寄せてきたのは黒髪の式神青龍、通称 青だ。四柱の式神の中では最年長の扱いをしてはいるが、実際のところ年齢という概念そのものがないらしい。元々は精霊が姿を変えて現れているだけだから、当然といえば当然である。その青が身に付けているのは灰色の乗馬服。この服は里に残っている式神黒龍、通称 黒が仕立てたもので、今では俺達共通の戦闘服になっている。
「それにしても、ここでも八大龍王か。青、お前さん達どれだけ暴れてたんだ?」
「あら。八大龍王を祀る寺社仏閣はどこにでもあります。観音菩薩の守護神にして龍族の長、治水の神ですから。私はちょっと姿を借りて水難事故を防いだに過ぎません」
水の精霊の化身である青にとっては、龍の姿で海を治めることもそう難しい事ではないらしい。
「さっきの鬼子嶽城には誰もいませんでしたけど、その波多って人達はどこにいるんですか?」
「さっきのは詰め城っていって、敵が攻めてきた時に立て篭もる場所なんだって。普段はこの先にある居城の波多城にいるってことでいいんだよね?白ちゃん?」
騎乗したまま連れ添って話しているのはエステルと小夜だ。
エステルは豚を買い付けにイベリア半島に赴いた際に出会い、そのまま留学生のような扱いで里にやってきた金髪の娘である。“押しかけ女房”だと評した連中もいたし、自分でも“お嫁さん候補”を自称していたが、里の子供達に慕われる優しいお姉さんである。
小夜は俺がこの世界で初めて出会った少女だ。出会った時は全身が酷い疥癬に侵されていたが、今ではすっかり可愛らしくもしっかりした女性になった。
「詰め城かあ。里にもそんな場所が必要なんじゃありませんか?」
「籠城ってのは助けをあてにしてするもんだ。俺達と姉さん方の救援に駆け付けるなんて、そうそう考えなくてもいいだろ?名越が攻めて来た時も、神域の外壁までも辿り着けなかったじゃねえか」
「しかし敵が千にも万にも達するようなら危ないかもしれない」
「そん時は大隈辺りで陣を敷けばいい。あの辺りが一番狭いから、迎え撃つには好都合だろう」
「山越えして秋月や朝倉からも攻められるかもしれない」
「あの細い峠道からか?白姉さんか黒姉さんでもいなきゃ、大軍じゃ無理だ。せいぜい数百人ってとこだろ」
佐助と清彦が兵法論議で盛り上がっている。。
二人とも紅に憧れて里にやってきた漁村出身の若者だが、どうやら銛を打つより槍を突く方が性に合っていたらしい。今では立派な若武者である。
「やれやれ。賑やかなのはいいけど、迎えの者達にどう思われていることか。そもそも波多の当主自ら出迎えに来るべきだと思うのだが」
先導する騎馬の背を見ながら梅が呟く。
梅は最初に保護した里近郊の村の娘であり、里の子供達のうち最年少の二人、柚子の実母であり八重の養母。実質は年少組全員の母代わりであり優秀な小太刀使いだ。今も俺の護衛としてすぐ側に控えてくれている。
確かに巫女装束の白とそのお付きの弥太郎を除けば、青と紅、小夜とエステル、佐助と清彦、梅と俺で合計8人である。宗像大社の三女神の巫女の従者に龍王の化身を付けるのは如何なものかと思うが、そのあたりは青と白がなんとか取り繕うだろう。
俺達は鬼子嶽城の西、波多川に沿って拓かれた田の間を進んでいる。
前方の小高い丘の上に旗めく幟が幾つも見えてきた。二つ引に三つ星、一般的な表現なら三つの黒丸の上に二本の横棒。波多氏の家紋である。
「あちらが我らの当主、波多様の屋敷にございます」
案内の騎馬武者が馬の足を止めて指し示す。
さて、波多家当主とはどんな人物なのだろう。




