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169.可也山攻防戦③

可也山。

糸島半島の中央部に位置する風光明媚な場所である。

この山の麓に巣食う盗賊どもの砦に突入した俺達は、立ち塞がる敵を斬り伏せ、あるいは蹴り飛ばして進み、やがて奥の倉に辿り着いた。白は倉と表現したが、白壁造りのいわゆる土蔵である。正面には太い閂が掛けられた重厚な両開きの扉があり、高さ3mほどの位置に格子の入った小さな窓がある。窓には木製の雨戸が設えられているが、今は開け放たれている。


「タケル、門で倒した野伏が連れていた女の人は、小夜ちゃんが里に連れて帰ったよ。安心して」


白からの通信にほっと胸を撫で下ろす。天空から降り注いだ矢は的確に敵を狙い撃っていたとはいえ、乱戦の最中に余計な怪我を負わないとも限らないのだ。


「わかった。小夜、聞こえるか?ありがとう」


「いえ。タケルさんも皆さんも、ご存分に」


小夜も、そして里に残った子供達も、黒の精霊が形作る窓を通して戦況を見守っているはずだ。万が一にも人質の命を失うことがあってはならない。

土蔵の上部の窓から黒の精霊を送り込み、手元に窓を開いて土蔵の内部を確認する。

普段こういった偵察任務は白と黒に任せるか、椿か小夜の役目である。だが俺だって精霊を使役する事はできるのだ。

どうして普段から自分でやらないかって?

それはまあ、あれだ。適材適所ってやつだ。


薄暗い土蔵の奥、窓から光が差し込む辺りに、十人弱の人影が身を寄せ合うようにしゃがみ込んでいた。

どうやら全員女のようだ。

武器を持つ者はいないようだが、念には念を入れて全員を緑の精霊で眠らせる。


「小夜。里に十名余りの女を眠らせた状態で送りたい。受け入れ態勢はどうだ?」


「眠ったままですか?怪我は?」


「遠目では目立った外傷はない。だが……わかるな?」


「はい。私も女ですから」


一瞬の沈黙のあとに続いた小夜の声が、いつになく緊張している。

今、里にいる最年長者の女性は、賓客扱いのエステルを除けば小夜である。黒もいるが、傷ついた女性の心のケアができるかと問われれば少々役者不足の感がある。青を返すか桜を宗像から呼び寄せるべきか……いや、名越勢の女達もいる。小夜ならば必要に応じて応援要請をするだろう。


「万が一、敵が紛れ込んでいる可能性もある。備えは?」


「清彦が武装して控えています。平太と杉もいます。名越の皆さんと、それにエステルさんと黒ちゃんが残ってくれていますから、大丈夫です」


そうである。エステルは賓客扱いとはいえ、生まれ故郷のリンコナダでは第一線で戦った戦士なのだ。


「了解した。では順次門を使って送り込む。必要な治療を頼む。通信終わり」


勾玉を耳から離して、扉の前で待ち構えていた紅に目配せする。

待ってましたとばかりに紅が閂を外し、梅と青が土蔵の中に滑り込んだ。


◇◇◇


俺と佐助が扉の外を、紅が扉の内側を監視している間に、土蔵の中に入った梅と青が次々に捕らわれていた女達を運び出す。その数12名。その全員を門を使って里へと送り出す。


「これで全員です。他に怪しい物はありませんね」


「地下室なんかもないしね。タケル、自分で確認する?」


土蔵から出てきた青と梅が報告する。

この二人が確認したのなら、改めて俺が見る必要もないだろう。

それよりも本丸を潰す方が先だ。


「いや、問題がないなら先に進もう。白、聞こえるか?」


「野伏どもが根城にしている場所ね。正面の一番大きな建物の奥の部屋に嫌な気配があるよ。精霊が近寄れないから見えてはいないけど」


白の精霊が近寄れないとはどういうことだ。

白が使役する風の精霊は、文字どおり大気そのものである。その白が“見えない”という事は、その部屋が気密構造なのか、あるいは強力な結界が張られているかのどちらかだ。


「しゃらくせえなあ。全部焼き払ってしまうか」


紅が薙刀の刀身に炎を纏わせ、虚空を斬る。


「紅や。それは旦那様がお決めになる事です。旦那様、いかが致しましょうか。紅の案にも一理あるとは思いますが」


焼き払ってしまうのに異存はない。だが、白の精霊すら寄せ付けない結界に、はたして炎が効くだろうか。

改めて野伏どもの根城となった砦を見渡す。外から見れば立派な砦に見えたのだが、その構造は典型的な武家屋敷のそれだ。

竹と板を組み合わせた塀と矢倉門で囲まれた敷地の中に、板葺屋根の建物が幾つか建っている。

門に近い場所には馬屋、その隣には土蔵、野伏どもが倒れ伏す庭の奥にある大きな建物が母屋だろう。

母屋の庭側には縁側が設けられ、母屋の入口でもある開戸はぴったりと閉じられている。


「タケル様、押し入るかい?」


佐助が開戸に向けて太刀を構え直す。

そんな佐助を手で制し、縁側の縁に手を触れてみる。

板特有の少しひんやりとした感触はあるが、特に結界が張られている様子はない。

とすれば白の精霊が侵入できないのは、もっと奥のほうか。


「入ってみよう。紅、頼む」


俺の言葉に、刀身に纏わせていた炎を鎮めながら紅が進み出た。


「鬼が住むか蛇が住むかってやつだなあ。みんな準備はいいか?」


俺の左右で青と梅がそれぞれの獲物を構える。

その姿を確認して、紅が薙刀を振るった。


◇◇◇


轟音立てて吹き飛んだ扉の先には、板張りの空間が広がっていた。広さは20畳もあるだろうか。天井も高く、一見すると時代劇に出てくる道場のようにも見える。

室内からは饐えた臭いが圧を持って押し寄せてくる。

気丈な梅が思わず一歩下がり、押し出すように呟く。


「タケル……これって……」


梅の視線の先には、閉じられたもう一枚の開戸と、その扉を封じるかのように張られた何枚ものお札と細い注連縄。


「この内側は神域なのか、あるいは何かを封じているのか……」


「旦那様。この気配は良いものではありません。強い妖魔の類いか、それでなければ荒振神(あらぶるかみ)のものです」


俺の呟きに青が答える。

妖魔か神か。どちらにせよ俺達を阻む人ならざる者の気配がそこにはある。


「元凶はこの中にいる。突入するぞ」


「よっしゃ!一番槍は任しとけ!」


薙刀を構えた紅が室内へと踊り込んだ。


◇◇◇


「待たれよ!そこに入ってはならん!」


室内へと進入した俺達の右側から、突然声が聞こえた。しゃがれた、絞り出すような、それでいて異様に差し迫った声に思わず足を止める。

声がした方向に青と梅が太刀を向ける。紅は奥の扉に向けた薙刀を動かさずに、顔だけを右に向けている。佐助は左後方を警戒しているようだ。


「そこに入ってはならんぞ!げに恐ろしき妖魔がそこにはおる。拙僧が封じておるが、いつまで保つことやらわからぬ!」


一同の視線の先にいたのは、胡座をかいた剃髪僧服の男だった。

眼窩が窪むほどガリガリに痩せたその風貌からは、若いのか年老いているのかも判断できない。袈裟の色は黒くも灰色にも見えるが、薄汚れあちこち破れている。


「なんだこの坊主。今にも死にそうだが」


「生気を吸い取られている……?いえ、もしかして逆?」


紅の言うとおり、そこにいる坊さん姿の男は今にも力尽きそうに見える。入定して即身仏になる寸前の姿は、きっとこのようなものなのだろう。

それよりも青が口にした言葉が引っ掛かる。逆とは何だ。何かから生気を吸い取っている、あるいは分け与えられているという意味か。


「旦那様。今お見せします」


青が正眼の構えから切先をずらし、左手で風を送るような仕草をする。

薄らと見えてきたのは、坊さんの頭から立ち登る灰色の影。その影は天井近くまで伸び、奥の部屋へと続く板張りの壁へと続いている。

いや、逆か。奥の部屋から伸びた影が、坊さんの頭に繋がっているのか。影の濃淡の揺らぎが、青の推測が正しいことを証明しているように見える。


「青姉。何あれ……」


太刀を構えたままの梅が、傍らの紅に尋ねる。


「気の流れを可視化しました。梅も精霊を操る時、自分の念を送るでしょう。その送っている念と同じものです。もっと大規模なものであれば、龍脈とも言います」


龍脈か。龍脈を操る妖魔……いったい何だ。


「タケル。聞こえる?」


通信用勾玉から、黒の声が飛び込んできた。その声はいつになく切迫している。


「どうした?」


「さっき送り込まれた女達が目を覚まして暴れ出した」


暴れ出した?全員がか?

長巻を持つ掌に脂汗が滲む。


「もう!そんな言い方したらタケルさんが心配するでしょ!小夜です。暴れた女の人達は全員取り押さました」


小夜の声は元気そうだ。ほっと胸を撫で下ろす。


「お前達は無事か?怪我した者は?」


「いない。女達が何人か取り押さえられる時に擦りむいたりしたけど、特に支障はない。今は眠らせている」


「それよりも子供達が変なことを言っているんです。女の人達の後ろに影が見えるって。なんか脈打ってるらしいんですけど、私には見えません」


影か。それは坊さんの頭に繋がっているのと同じ物だろう。それにしても俺と小夜には見えなかった。梅と佐助にも見えていなかった様子だが、見える者と見えない者の違いはいったい何だ。


「そうか。その元凶らしき妖魔と、今対峙しようとしている。黒、そちらからは見えているか?」


「ダメ。屋敷の庭までは見えていたけど、建物の中は見えない。風の精霊が進入を拒まれている?」


「そのようだ。注連縄と呪符の結界が張られてはいるが、抑えきれていない」


「そう。私も行く?」


「いや、青と紅がいるから大丈夫だろう。お前は里と子供達を守れ」


「了解。通信終わり」


「お気をつけて!」


元気な小夜の声を残して通信が切れた。

その間に坊さんは何やら唱えている。真言宗の唱える光明真言だろうか。


「さてと。どうするよタケル。坊さんは開けるなって言ってっけど、まさかここで引き下がったりはしねえよなあ」


紅に言われるまでもない。俺の不注意とはいえ、トロイの木馬よろしく里が襲われたのだ。


「元凶を倒す。さもなくば里に送った女達が解放されない。梅と佐助は坊さんを見張っていてくれ。暴れるようなら斬り捨てて構わん」


「バチが当たるのが嫌なら、眠らせてしまいなさいな」


バチが当たるか。僧侶や神官を攻撃すると、神仏の怒りに触れるらしい。少なくともこの世界の人々は、そう信じている。それは梅や佐助も例外ではない。


「方法は任せる。だがくれぐれも怪我のないようにな」


「承知!」


「背中はお任せください!」


「よし。紅、青!突入するぞ!」


「おうさ!」


掛け声と共に紅が薙刀を振るう。

板張りの扉に亀裂が入った次の瞬間、扉がこちら側に吹き飛んだ。

もうもうと立ち上ったのは埃か妖気か。

その先にいたのは、宙に浮かぶ芋虫のような何かであった。


「タタリモッケ……貴様か……」


俺の傍らで青が絞り出すような声で呟いた。

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