166.浜崎村にて
満ち始めた潮と競争するように陸地側へと馬を走らせる。
だいぶ余裕を持って対岸に辿り着いた俺達を出迎えたのは、櫂や銛を携えて飛び出してきた村人達だった。
それも当然か。この時代、騎馬に乗っているのは武士か、さもなくば野盗ぐらいだろう。
「やあやあ、驚かしてすまない。私達は平戸に遣わされる陰陽師の一行です。村に立ち寄る許可を!」
先頭へと進み出た弥太郎が大声で呼び掛ける。
「あの装束は……龍王様の巫女様じゃあねえか!?」
「まさか!祭りの日でも無し、そんな事は」
「んでもお社のほうからおいでなすったじゃあねえか。それにあの神々しさ!ありゃあ龍王様の巫女様に違いない!」
「そうだな。みんな見たこともない着物を着てる。龍王様の御使いだ!」
完全に村人達の勘違いではあるが、ここは活用させてもらおう。なるほど、一行の中に巫女装束の娘がいると、こういう効果があるのか。
弥太郎とアイコンタクトを取って話を合わせてもらう。
「こちらに座すは宗像に降臨あそばされた三女神様の御使いにあらせられる!平戸への鬼退治の道中である!村長は誰か!」
かのまた仰々しい名乗りだが、この場はこう言うしかないのだろう。
「私でございます!」
一群の中から僧服姿の男が歩み出る。この男、これまで見てきたどの村の長よりも恰幅がいい。それ以外の村人達も、飢えている気配はない。
「私が怡土荘千四百余町を預からせていただいております、誓願寺が住職、覚海と申します。かの高名な宗像様からの御使い様にお会いできて、恐悦至極にございまする」
平伏せんばかりの勢いで、覚海と名乗った僧は頭を下げる。集まっていた村人達も一斉に頭を垂れる。
「よいのです。皆も面を上げよ」
馬上の白が鈴の鳴るような声を発する。こいつ……こんな声が出せたのか。
「さて、其方らは随分と裕福な生活を送っているようですが、この村はさように豊かなのですか?」
それは俺も疑問に思っていたところだ。
千四百町と言ったか。
一町は十反、反収150kgだとすれば千四百町の田からは2100t、石高にすれば1万石以上もの米が収穫できるはずだ。庄と表現したからには朝廷直轄領だった時代の優遇措置を今だに享受しているのかもしれない。
「はい。この村は怡土庄全体から年貢が集まり、今津から冷泉津まで船で一気に運ぶ場所にございますので」
なるほど。海運拠点というわけか。
確かに昨日通った百道の干潟を大八車や徒歩で荷運びする苦労を思えば、博多の町まで直通の海運ルートを使うのは理に適っている。
そして荷が集まれば人も金も集まるものだ。
「なるほど、得心しました。では病や飢えで苦しむ者はおらぬのですね?」
「もちろんでございます」
再び頭を下げる覚海の後ろで、村人達が顔を見合わせる。
“覚海様はどうしてあの話をなさらないのだろう”
“ああ。この村も被害が出ているというのに。少弐様の兵を出してはもらいたいところだ”
村人達の口から何やら不穏な言葉が聞こえてくる。
「はて。何やら問題が起きているのではないですか?」
俺の耳にも聞こえた声を白が聞き逃すはずもない。
途端に覚海が挙動不審になる。周囲を見渡し、告げ口をした犯人を捜すかのように村人を見渡す。
「覚海殿の口からお聞かせ願えないのならば、私が当ててみせましょうか」
白が整った唇の端だけでニヤリと笑う。
「この界隈に野伏が出るのでしょう?」
◇◇◇
この村が抱える問題を白が言い当てたのは、もちろん神からのお告げなどではない。
先行した入念な偵察の結果である。風の精霊の具現化した姿である白にとっては、どこにでもいる白い風の精霊は全て自分の目であり耳なのだ。戦域管制などと生易しいものではない。白は正に全てを把握できる立場にある。
もちろん白とて全能ではない。自分が興味のない情報はスルーしているようだし、そもそも感知すらしていないだろう。だが、俺達の行程上にいる野盗の類の情報を把握し損ねるはずはない。
「いかがですか?覚海殿?」
白が重ねて問いかける。
「はっ。巫女様の仰るとおりでございます。ここから三里ほど西の可也山の麓に野伏が巣食いまして、付近一帯を支配しておるつもりか、村々から貢物を巻き上げておる始末。ここ浜崎からも何度か腕に覚えのある者達を遣わしたのですが、どうにも歯が立たず。これはいよいよ博多から兵を出してもらわねばと話し合っていたところでございます」
「それはそれは大変な問題ですね。弥太郎や。その場所は我らが向かう先にあるのでは?」
「はい巫女様。仰るとおり、野伏どもは街道の先に陣取っているようです」
「ならば我らの旅路が脅かされるは必定。ここは我らが件の野伏どもを殲滅せねばならないと考えますが……タケル。其方の考えは?」
ノリノリだなあ白よ。ここで俺が迂回を進言するとは思ってもいないのだろう。
「白龍の巫女様。我々であれば野伏どもなど一蹴できるかと。指揮は我にお任せください」
「わかりました。タケルにお任せします。さて覚海殿。もう少し詳しいお話をお聞かせ願えませんか?」
こうして、ふらりと立ち寄った村から戦闘に臨むことになったのである。
◇◇◇
白と弥太郎が覚海と面談しているうちにも、俺にはやる事がある。
現在同行している非戦闘員を里に帰し、戦さの準備を整えなければならない。
白は巫女という立場であるから、まさか刀を握らせるわけにはいかないし、弥太郎を白の直掩で残すか。
とすれば現有戦力は青・紅・梅・佐助と俺の5人。黒の代わりに青が加わり清彦が抜けてはいるから、対馬に上陸してきた蒙古軍の斥候部隊500を撃滅した時と比べれば戦力的には落ちている。だが今回の相手は武士崩れか野盗化した武装農民だ。敵が何人いるか知らないが、戦力は必要十分だろう。
そう考えると、改めて準備することもないのか。
しかし奴らは何者なのだろう。少なくとも俺が知る限りでは、敗残兵を産むような戦さは最近はなかったはずだ。いや、一つあったか。筑後国は名越家のお家騒動が昨年起きた。その結果、負けた側の名越元章が一族郎党を引き連れて筑豊国に移住することとなったのだ。
その争いの時に逃れた者達が、背振山脈を越えて海岸沿いのこの地域まで辿り着いたのだろうか。
◇◇◇
「タケル、私は残るよ。杉は一人で帰んな」
杉と椿を里に帰そうと森の中で門を開いたとき、突然椿がそう宣言した。




