163.平戸島に向かう①
板張りの床に九州北部の地図を広げ、弥太郎を交えて手短に打ち合わせる。
平戸島までは陸路で向かう。いくら青と白がいるとはいえ、岸伝いに海路で進むリスクを冒す必要もないし、なにより戦場となりうる場所はこの目で見ておきたい。
「では筑前国の西から肥前国に入り、松浦郡を抜けて平戸島に入りましょう。平戸島に渡るには小舟に乗らねばなりませんが、タケル様達ならば飛んでも渡れると思います」
地図上で見れば直線距離は100㎞ほどだが、海沿いの街道を使い湾を迂回したりすれば実際には150㎞ほどだろうか。
「皆様方は馬に乗れますよね?それならば騎乗した方がよろしいかと。私にも一頭お貸しいただけると助かります」
弥太郎が続けて提案してくれるが、馬に乗ったりして目立たないだろうか。
「それは構わないが、馬に乗ると目立たないか?そもそも俺達の服装は市井の衣とは異なるのに」
「全く問題ありません。そもそも騎乗するのは馬を維持できる武家かそれに近しい者のみです。牛車ならば公家様と間違えられるかもしれませんが。それにタケル様方は陰陽師として赴かれますが、得てして若手の陰陽師は傾いておいでのことが多いのです。もっと派手に飾られてもよいのですよ」
「だったらよ!エステルも連れて行かねえか?白い肌に金色の髪。あいつほど派手な奴はいねえだろ」
「それなら小夜様や椿、馬に乗れる平太や杉も交互に連れて行きましょう。小夜様と椿は黒と同じ力が使えますから、里への行き来は自力でもできます。それにあの子達にも里の外を経験させてもよい年齢です」
内政を預かる青が言うのなら、小夜達が抜けても里の運営に支障はないのだろう。まだ幼い子達は戦闘になる前に帰せば危険も少ないか。
「わかった。人選は椿に一任するか。白。里に連絡して先発組と馬の支度をするように言ってくれ。俺達は一旦南に進み那珂川を越えてから西に転進。汐原を抜け蓑島を迂回して鴻巣山に向かう」
「その辺りで合流するように伝えたらいい?」
「ああ。迎えに来てとは言わないと思うが」
というか一旦里に帰るとそのまま一泊しそうだしな。
「了解です!……あ!もしもし小夜ちゃん?私達の馬を準備してもらえるかな?うん。タケル兄さんと青姉、紅姉に私、あと梅と佐助ともう1頭の全部で7頭ね。それとね、小夜ちゃんと椿ちゃん、エステルに平太と杉達も代わりばんこに連れて行こうかってなって。条件は馬に乗れること。人選は椿ちゃんに任せるって!大丈夫そう?」
「えええええ!椿ちゃん聞こえた!?私の聞き間違いじゃないよね!」
「はいはい私にも聞こえてるから。そういうことなら準備するよ!白姉、準備出来次第そっちに合流すればいいってことだよね」
土笛から小夜と椿の声が聞こえる。
「そうそう。大丈夫そう?」
「任せて。こっちには黒姉もいるし問題ない。それより人選が大変よ。どうせ“俺も行きたい!俺も行きたい!”ってなるのが目に見えてる。タケル、チビ達にはさっきの条件に“自分の身を自力で守れること”って条件もつけていいよね。あと“自力で里まで帰れること”。この2つを追加するよ」
「ああ。別に合議で決める必要はない。人選を椿に一任するというのはそういうことだ」
「わかった。ちょっと待っててね。ほら小夜姉、行くよ!」
「はい!タケルさん、少々お待ちを!」
土笛の通信が切れた。
里では慌ただしく準備をしてくれているに違いない。
俺達も三善の爺さんの家を出て、合流地点に設定した鴻巣山を目指し歩き始めた。
◇◇◇
「タケル。人選を小夜じゃなく椿に任せたのは何で?今里にいる最年長は、黒姉とエステルを除けば小夜だけど」
賑やかだった博多の街を出た辺りで梅が俺の隣に並び尋ねた。
「小夜は調整向きだとは思うが、小夜に任せると何とかして全員連れて行こうと余計な苦心をさせそうでな。その点椿ならスパッと決めてしまうだろう。その後の調整役を小夜が引き受けてくれればいいと思ってな」
「確かに……思えば私と桜もそんな関係だったか。私は割とあっさり決めたりするけど、その後始末は桜がやってくれていたのかもしれない。佐助と清彦もそんな感じだな」
「組織として行動する以上は、何かを決めたり決めた事に沿って誰かと調整したりといった役割分担は必要だ。ただその役割分担が互いの地位や身分を固定化するものであってはいけない。時には役割を入れ替えたりしても面白いかもな」
「あ~それ面白いかも。んでも私の役割を入れ替える相手って誰だろう。桜は嫁に行ったし……エステルかな」
エステルか。リンコナダで会った時の第一印象は“男勝りの勝気な少女”だったが、里に来てからはどちらかと言えば頼れるお姉さんとして振舞っている。無理をしている感じもないから、こっちの方が本性なのかもしれない。
まあ環境が変われば性格など変わるものだ。世間の荒波に揉まれるのを嫌って半農半猟の生活を始めた俺が、結局は人間社会のリーダー格に収まってしまっているのがいい例だろう。
そういえば里の子供達はごく自然と2人あるいは3人で纏まって動いている。気が合う者や同じ歳など理由は様々だろうが、コンビやトリオを解消したとか別グループになったといった話は聞かない。
裏では小夜や椿が懸命に動いているのかもしれないが、人間関係は良好なのだろう。
そんなことを梅と話しているうちにも、一行はどんどん進んでいく。
佐助は紅と話しながら、時折弥太郎を捕まえて近隣の村の名前や特徴、地名を聞き出して手持ちの地図に書き込んでいる。
里に来た当初は銛撃ちの腕がいいだけの若者だったのだが、勉学にも武道にも励んだ結果僅か半年ほどですっかり若武者の風格を漂わせている。これほどの人材をそのまま漁師に戻すのは惜しい気もするが、それは本人が決めることだ。
「弥太郎さん。あの辺りの地名が汐原ってことは、塩を作っているのか?」
「ええ。あの辺りは海は遠浅、陸は固い地盤で、漁にも米作りにも不向きなのです。ですから地面を固めた揚浜を作って海の水を撒き、ほら、あそこで男が手桶に汲んだ水を撒いているでしょう。ああやって海の水を撒いては乾燥させて、塩を作っているのです」
「あれなら煮詰める薪は少なくて済むな。俺の村でも塩は作るけど、海藻を海水に浸して乾燥させては塩を集めるやり方だ。どちらかといえば漁に出にくい冬の仕事だな」
佐助が言っているのは藻塩焼きの方法だ。藻塩焼きならば天日干しの時間も短くて済むのかもしれない。
◇◇◇
「しっかし平和だなあ。盗人やら追剥は出ないのか?」
早速歩くのに飽きてきたらしい紅が物騒な事を言う。
「この辺りは少弐様のお膝元ですからね。真昼間から悪党が横行するのは、もっと山中ですよ」
「じゃあ、あの山の中とか行かねえか?」
「油山ですか。確かに山越えを続けても平戸島には行けますが……」
「紅。今回の目的は平戸島に向かうついでに松浦郡に立ち寄る事と、蒙古軍襲来時に戦場になるであろう場所の下見だ。山越えしてどうする」
「でもよう。ただ歩いてるだけってのもさあ」
それについて文句を言っているのは紅だけだがな。
と、土笛から呼び出し音が鳴った。
「タケル!聞こえる?今から馬と第一班を送るよ!」
「椿か。早かったな」
「私っていうより皆がね。じゃあ門を開くよ!」
俺達の後方に直径2mほどの黒の門が開き、中から騎乗して手綱を左右に2本づつ引いた小夜とエステル、そして杉が出てきた。これで鞍も鐙も備えた馬が9頭。あれ?1頭足りない。仕方ない。杉か小夜を俺の前に乗せるか。
「お待たせ!ああ、私は二班よ。タケルの馬を連れて来ただけ」
そう言いながら出てきたのは椿だ。
「ありがとう。助かる」
椿から手綱を受け取る。と、椿が手を伸ばして俺の耳を掴んで自分の方に引き寄せた。
「次からは何かするなら前以って言っておいて。無駄になっても心積もりだけはしておくから」
はい。承知しましたと思うしかない。
若干10歳の娘に指導されたのだが、別に嫌な気はしない。椿のこういう所はいったい誰に似たのだろう。
「じゃあ私は里に帰るね。今夜はみんな帰ってくるの?それとも一部だけ?」
「毎晩帰るのは梅だけの予定だ。あとは枕が変わって寝れなくなったチビが出れば帰すが」
「あは。そんな繊細なの里にいるわけないじゃん。まあ了解です。明日の朝には二班と交代だからね。今来た三人は自力で門を開いて帰ってらっしゃい。二班も準備しておく」
「わかったよ椿ちゃん!」
「んじゃ気をつけてね!」
一班の小夜と手を振りながら、椿は黒の門へと消えていった。
嵐のように帰って行った椿を、青がまるで母のような目で眺めている。
「旦那様。やはり私がいなくても、あの子達は立派に里を運営できるようですね」
たった数時間で班編成を行い、馬と共に3人の準備を整えて送り出したのだ。
食料や着替えの用意をしなくてもいいとはいえ、馬には馬具を装着しなければいけないし、送り出す3人の里での仕事も調整しなければいけない。名越勢が合流したことで幾分と仕事の量は減っているとはいえ、皆それぞれに固定の役割や業務は受け持っていることに変わりはないのだ。
以前から子供達に里の外を見せたいとは思っていたが、今連れて行くというのはほんの思いつきのようなものだった。その“思いつき”を叶えるために、椿や小夜がどれだけ慌ただしく立ち回ったのか、機会があれば聞いてみよう。
「よし。出発しよう」
一行は10人に増え、10騎が2列になって街道を進み始めた。




