161.会談をセッティングされる
あっという間に初夏が過ぎ去り夏真っ盛りの昼過ぎに、三善の爺さんからの呼び出し笛が鳴った。
「何だい爺さん。この暑いのにご苦労なことだ」
「何じゃタケル。暑さで態度までだらけてはおらんだろうな」
暑い暑いといっても体感気温では28℃も行ってはいない。夏日の定義が25℃以上だった古き良き日本の夏だ。
とはいえ暑いものは暑いのだ。
しかしクーラーがあるわけでもなく、冷房器具といえば自然の風か打ち水程度。それでも里の住宅は水路に面しているから、風さえ吹けば多少は涼しい。
熱心に防火設備は整えていたが日除けや風通しについて配慮が足りなかった名越勢の集落などは、急いで日除けの葦簀を製作したほどだ。
「それで要件だがの。タケルよ。宗家と会談せい」
「宗家?誰だ?」
「お主にも伝えておいたであろう。対馬国の守護代じゃ。少弐家の地頭でもある。当主の助国が参っておるでな。明日の朝、ちと会え」
まったく……この爺さんときたら一国の守護を呼びつけたらしい。どれほどの影響力を持っているのやら。
「明日の朝だな。場所は?」
「博多の儂の家じゃ。お主なら庭先に直接来れようて。供も連れて来い。団子ぐらいは進ぜよう」
そして俺達も呼び付けるのだな。まあれっきとした守護代を呼び付ける爺さんだ。なんちゃって地頭の俺を呼び付ける事ぐらい何とも思わないだろうが。
「わかった。何か土産がいるか?」
「そうじゃのう。かの地を守るのに手を貸すという決意でも持ってきてくれると助かる」
「何を今更……証文でも書くか?」
土笛の向こう側で爺さんが鼻を鳴らす音が聞こえる。
「証文か。そんなものは強制力を持った上位者がいる場合にのみ有効じゃ。現状、お主らよりも強大な武力を持った存在がおらぬ以上、証文なんぞに何の効果も無い。それよりも頼みがある」
それは買いかぶりすぎというモノだ。筑豊国の周囲の諸国、例えば筑前国と筑後国が一斉に国境を越えてきたら、今の俺達に全てを護る力は無い。
尤もそうなれば真っ先に敵本陣か屋敷を急襲するが。
それよりも頼みとは何だ。
「嫌な予感しかしないが?」
「なに、簡単な仕事じゃ。平戸島に鬼が出た。退治してくれ」
爺さんは事もなげにさらっと言ったが、今何と言った。
「はい?鬼?鬼ってあの鬼か?」
「ああ。身の丈九尺はあろうかという赤鬼じゃ」
聞き違いではなかったようだ。そういえば船上でも四天王の誰かがそんなことを言っていたな。
「そういうのは爺さんのとこの四天王の仕事だろう」
「そうは言ってもなあ、広目天以外は全員出払っておるでな。すまんが頼む」
鬼という言葉に反応したのか、皆が集まってきた。
ここは皆の意見を聞いてみよう。何せ鬼退治と言われても俺には桃太郎伝説ぐらいしか思い浮かばない。
まさかキビ団子でお供を誘うのが習わしなどと言うことはないだろうが。
「平戸に鬼が出たらしい。退治してくれということだが、行けるか?」
「鬼?こりゃまた久しぶりに聞いたな。四天王の旦那達は何やってんだ?」
紅の質問を土笛越しに聞いた三善の爺さんが返事する。
「増長天は東国で、多聞天は京でそれぞれ物の怪退治をやっておる。持国天は豊後国だが、ちと遠いでな。広目天は儂の側からは離せん。すぐに動けるのはお主らだけじゃ」
「旦那様。そういう事でしたら致し方ないかと」
青がそう言うなら大丈夫なのだろう。
「ついでに松浦郡の佐志家と話をつけてこい。蒙古襲来の折にも役に立つはずじゃ。ああ、それとな、娘っ子には巫女装束を着せておけ。宗像からの使いという触れ込みにするでな」
巫女装束だと?そんなもの持ってないぞ。
「黒、巫女装束って作れるか?全くピンとこないが……」
「タケル、こすぷれ?」
黒よ……俺にそんな趣味はない。
「作れるかと言われれば作れる。何人分?」
作れるのかよ。
「爺さん。何人分かと聞いているぞ。全員分必要か?」
「いやいや、一人でよい。できれば白い嬢ちゃんに着させてくれ」
「なんで白なんだ?」
「お主らの中で一番神々しいからの。紅い嬢ちゃんに着せても仕方なかろう」
「あ?爺さん今悪口言ったろ!」
「ほれその口の利き方じゃ。似合わぬ者に似合わぬ服を着せても詮無きことじゃ」
紅はスタイルいいから巫女装束も似合うと思うがな。何せパーソナルカラーが赤だ。緋袴も似合うだろうが、確かに神々しさには欠けるか。
「黒。一着なら急いで作れるか?」
「木綿の白衣、木綿の緋袴、絹の千早までなら。水干は間に合わない」
「爺さん聞こえたか?それでいいか?」
「よい。充分じゃ。白の嬢ちゃん以外の人選はお主に任せるよって、よろしく頼む」
「承知した。では明日の朝に伺う」
掛かってきた時と同じく、唐突に土笛の通信が切れた。
“また厄介事を……”と言わんばかりに小夜がため息をつく。
「さて、準備しないとな。タケル、誰を連れて行く?鬼退治ってことなら当然俺だろ?」
「指名されたから私もだね」
「私は今回はパス。監視任務は放棄できない。何かあったら自力で帰ってきて」
「旦那様のお許しが出るならば、今回は私にご一緒させてください。そろそろ里の運営は私以外の者が務めることに慣れていかなければなりません」
ほほう。黒の参加見送りはともかく、青が同行を申し出てくるのは珍しい。
名越勢の合流によって里にも頼もしい仲間が増えてきたし、板塀の内側、里の中心部だけであれば青の不在を心配することもあるまい。小夜と椿を残しておけば運営に支障はないだろうし、防衛戦力という意味では黒が残る。緊急時にはさっさと帰ってくればよい。
だが紅の言う準備とは何だ。鬼退治にはやはり何か特別な武器や装備が必要なのだろうか。
まさか鬼切丸でないと滅せないなんて言うなよ。
「わかった。では同行する式神は白、青、紅の三名とする。準備は紅に任せるぞ。あとは佐助と梅。行けるか?」
梅はただ頷いただけだが、佐助が意外そうな声を上げる。
「ああ。でも俺でいいのか?」
「佐助。お前は対馬防衛の立役者の一人だ。せいぜい自慢してやれ」
「わかった。そのまま鬼退治に行くのだろう?」
「そうだな。急いでいるようだし、他の国とはいえ人々が苦しめられているのは忍びない」
「タケル殿は怖くないのか?俺は鬼というか妖の類は見た事もない。紅姉は戦ったことあるか?」
怖いか怖くないかと問われれば当然怖い。俺だって鬼なんぞ見た事はない。そもそもこの世界に妖怪や妖魔の類がいること自体、四天王から聞くまでは知らなかった。
だが考えてみれば精霊や式神がいる世界で妖魔がいないなんて都合のいいことはあり得ないか。
「まあな。タケルが来た辺りから、この界隈の妖魔は一斉に逃げ出したからな」
「そうそう。古狸や猫又なんて小物から彦山の天狗まで、転がるように逃げていったよね」
俺が来たから逃げ出したとは……俺は天災か災厄か何かか。
それにしても猫又に天狗とはな。ろくろ首やぬりかべといった妖怪もいるのだろうか。
「天狗?やっぱり天狗は実在したのか?」
「もちろんです。あれは山の神ですから。もっとも今では旦那様が代わりに山の神を務めておられるようなものですが」
だから俺を神様扱いするのはやめてくれ。里の者以外が神格化するのは好都合だが、何も俺を良く知る式神や里の者達まで俺を祀り上げる必要はないだろう。
「ともかく、同行者は決まったな。それぞれ装備を整えて明日の朝に広場に集合だ」
とまあこんな具合で守護達との会談と鬼退治が決まったのである。




