144.そして春が来る
慌ただしく2月が過ぎ去り、季節は巡り春の訪れを感じるような気温になってきた。
しかし本当にバタバタした一か月だった。
新しく迎えた実習生と入植者達の生活が起動に乗った所への突然の宇都宮家の侵攻に始まり、お家騒動に敗れた名越一族の襲撃、その名越一族の生き残りの合流と、正に激動の一か月となった。
その名越一族が入植するエリアの開拓は、精霊の使役精度をメキメキと上達させた嘉六や嘉七の応援や、白と黒、小夜や椿の助力もあって順調に進んでいる。
まずは50人が生活する長屋を建て、用水路を掘り田畑を拓いた。
後は大工経験のある男達が中心となって長屋を作り、当面の間の食料と交換する為の炭焼きを始めた。
近隣の小野谷や大隈といった集落での作業請負も、重要な食料確保の手段だ。
里の子供達にとっては重労働だった石炭の採掘なども、請け負ってくれている。報酬は籠1つにつきソーセージ2本だ。
宗像氏盛に請われる形で宗像に残った桜は、昼か夜のどちらかは必ず帰って来ている。
桜の情報によると、宇都宮家の敗残兵を追いかけて行った少弐景資は、宇都宮家の本拠地がある京都郡まで攻め入り、宇都宮家に城下の盟を誓わせていた。
その結果、少弐家が豊前国守護となり、宇都宮家は豊前の南半分を治める地頭という扱いになったらしい。
ちなみに御牧郡を守りきった俺達と宗像家への恩賞は、田川郡の割譲と御牧郡の編入であった。
田川郡は里の東の山向こうに広がる山間の地域だ。
これにより遠賀川の両岸は筑豊国の支配地域となり、九州各地への軍馬の供給は宗像家が独占することになった。
さて、春が近づくにつれて、里は田植えの準備も加わり忙しくなってきた。
春の作付面積は去年の数倍となる。何せ里の二十人程度だけでなく、入植者達と名越勢が拓いた田に植える苗代も、今回までは里で面倒を見らねばならない。
ちなみに板塀の内側の田は、青と小夜の主導で2月のうちに田植えを終わらせている。
単に時期を早めたというより、今回の襲撃のように圧倒的な大戦力で攻め入られ何か月も籠城しなければならなくなったり、外の田を荒らされた時に備えるためだ。
これは、自分達の食い扶持を村内の畑で賄っていたリンコナダを参考に、エステルの提言に沿って行っている。
もちろん稲さえ育てればいいというものではない。
名越勢には豚や羊の放牧も手伝ってもらうことにしている。
豚や羊を放牧する場所を選定し、その場所にある有毒な植物を除去する。
理想的には柵で仕切ったほうがいいのだが、それは名越勢にぼちぼち設置してもらおう。
そんな準備に明け暮れていると、あっという間に3月も半ばになった。
「タケル兄さん!大隈方面から三騎来ます。あれは桜と……太郎と元親殿?」
昼食も終わり午後の作業に掛かろうとしていたところに、白が報告してきた。
桜がわざわざ馬で帰ってくる?今日は天気もいいし、久しぶりに遠乗りでもしたくなったのだろうか。
それにしてもわざわざ太郎と元親を伴う必要はない。
まあいいか。
「梅!千鶴を連れて迎えに行けるか?椿は宿舎を、青と小夜は客間の準備を頼む」
「了解!でも桜はどうしたんだろう。帰ってくるなら門を使えばいいのに……」
梅があやしていた柚子と八重を棗達に託して、馬場に向かう。
千鶴がそのあとを追う。
ふむ……双子同然の梅も聞いていないか。
まあ、あと30分もすればわかることだ。
客間で青の入れてくれたお茶を飲みながら、のんびり青と談笑しながら到着を待っていると、梅に連れられた一行が入ってきた。
紅や白、黒、そして小夜も一緒だ。
そういえば元親と太郎、千鶴を客間に通すのは初めてかもしれない。桜と梅は学習時間に客間と仏間を繋げて使っていたから、初めてではない。
「元親殿!わざわざお越しになるとは、如何なされた?」
とりあえず車座に座り、そう切り出した。
桜と太郎の顔がいつになく緊張しているように見える。
「斎藤殿。今日は我が息子太郎、いや、今は親成と名乗っておるが、その息子の一世一代のお願いをしに参った」
元親の顔も緊張している。
「斎藤殿!某が桜殿と夫婦になる事、お許しください!」
胡座をかいた太郎と桜が、両膝の横に拳を突いて深々と頭を下げる。
ん??今、何と言った?
青、紅、白、黒、小夜、梅の順に顔を伺うが、皆一同にポカンとしている。
千鶴だけが口を覆い驚いているが、目は優しく微笑んでいる。
どうやら聞き間違いではないらしい。
「親成殿。いや敢えて太郎と呼ぶが、今、夫婦になると言ったか?」
どうも口の中が乾く。いつかはこうなる事もあるだろうと考えていた。どこか良縁があれば桜や梅は嫁がせるべきと常々考えてはいた。
しかし佐伯家とは。しかも太郎は長男だ。
「はい。若輩者ではございますが、何卒お許しいただきますよう」
「タケル様。私からもお願い申し上げます。私は親成様と添い遂げたく存じます」
そうか。ならば嫌はないのだ。だが、二、三確認する必要はある。
「太郎よ。知っておるとは思うが、桜は我が娘ではない。小野谷の炭焼きの娘だ。そうと知っていて、夫婦になると申すのだな?」
「はい。存じ上げております。某は桜殿の生まれなどではなく、その人柄に、そしてその強さに惚れ申したのです」
「そうか。俺が言うのもなんだが、桜は我が里の子供達の面倒を見、家事をこなし、勉学に励み、更には修練を怠らなかった。その結果がそこらの武者にも負けぬ強さと、陰陽師にも負けぬ精霊術を両立させることに繋がった。桜は良い娘だ。泣かせるなよ」
「ははっ」
太郎が再び深々と頭を下げる。
「さて、桜よ。柚子をどうする気だ?お前が腹を痛めて産んだ、お前の子だ。連れて行くか?」
これは少々意地の悪い質問だ。
連れて行くと答えれば、佐伯家にとっては長男の養子という扱いにせざるを得ないが、太郎との間に男子が産まれた時点でお家騒動の元凶になる。
一方で里に置いて行くとすれば、柚子を切り捨てて己の幸せを追い求めた酷い母親の烙印を押されるかもしれない。
「それは……」
言い淀む桜に助け船を出したのは、梅だった。
「桜。柚子は俺が面倒を見る。なに、八重とは双子みたいなもんだし、この半月と何も変わらねえ。でも、俺は柚子の母親代わりになれても母親にはなれねえからな。柚子だって誰が自分の母親かぐらい、ちゃんと分かってんだ。だから偶には帰ってこい。タケル様もそれでいいだろう?」
「桜、それでいいか?」
「はい。梅の申し出に心から感謝致します。許されるのであれば、毎月のように里帰りさせていただきたく」
「桜よ。許すも何も、ここはお前の家だ。先ほどは我が娘ではないと言ったが、俺はお前を自分の一部のように思っている。もちろんお前だけではない。梅も、椿も、嫌かもしれんが千鶴や加乃も俺自身の一部のようなものだ。好きな時に帰ってこい。ただし、太郎との子を孕んだら門は使うな。胎児にどのような影響があるか分からんからな」
「承知……いたしました……」
桜の声が潤んでいる。
梅が桜に抱きつき、二人で泣きはじめた。
喜ばしい報告の席で泣くなよ……俺まで泣けてくる。
春の気配と共に、桜にとっては本当の春が訪れた。
もうじき梅の、そして桜の花が咲く季節がやってくる。




