137.飛び込んできた戦さの報せ
2月。最も冷え込むこの季節も、この地域では霜が降りるほどではなかった。
辺りの植生と桜や小夜の話から降雪はないと予想はしていた。
そのかわり、シトシトと雨が降る。
大雨ではないが、水源となる山が春に向けて水を蓄えるには十分な量だ。
しっかりしたデータは取っていないが、夏前の梅雨が最も降水量が多く、それ以外の季節は満遍なく雨が降っていたように思う。
4月に入ったら日照時間のデータと合わせてしっかり記録しよう。
雨が降ればさすがに農作業は行えない。
入植者エリアの田畑の開墾もストップするが、その人手は縄を綯ったり草鞋を編んだりといった家仕事に振り分ける。
それ以外にも、例えば炭を焼いたりコークスを製造したりといった作業は、大雨でもない限り可能だ。
2月に入植してきた入植者の中に、鍛冶屋の正吉一家がいる。
正吉は20代後半のまだ若い鍛治職人、里の見学時に“ここに留まりたい”と訴えてきた者の一人だ。
正吉は言葉違えず嫁さんと幼い子供を連れて、来てくれた。
嫁さんの名前は加代。子供の名前は正次。正次は今年3歳になったばかりだ。
正吉の本業は鋤や鍬、鎌や包丁といった道具を打つ道具鍛冶だった。
その傍らで刀や槍といった武器も打っている。
彼は鍛治という仕事の都合上、大量の燃料を利用する。それで入植者エリアで使用する木炭やコークスの製造も彼の重要な仕事になった。
近いうちに陶工が入植すれば、役目を分担してもらおう。
もちろん炭焼き経験者の椿や、コークスの製造に慣れた小夜や平太がバックアップに入っているし、石炭の採掘は子供達が行なっている。
今は露天掘りだからいいが、本格的に炭鉱に潜るようになれば、やっぱり大人の仕事にするべきだろう。
そんな雨天の炭焼きを行っている午後に、白から連絡が入った。
「タケル兄さん!大隈方面から騎馬が3騎来ます。次郎さんみたいです!」
佐伯次郎。佐伯元親の次男で、現佐伯家当主の弟。
そんな次郎が冬の雨の日に騎馬でやってくる。
よっぽどの急用に違いない。まさか元親か宗像氏盛の身に何かあったか。
勾玉を使い一斉連絡する。
「青、次郎達はびしょ濡れでやってくるはずだ。男の子の家の室温を上げて、温かい飲み物と風呂の準備を。紅と梅、惣一朗は次郎達を迎えに出てくれ。白と黒は宗像方面に精霊を飛ばして監視活動を開始。小夜は里の周辺を全周囲監視。椿と平太はこの場を任せる。その他の者は今の作業を継続。俺は直ちに里に戻る」
『了解!』
異変を感じたのだろう。皆の空気が張り詰めていく。
結局子供達が広場に集まってきた。
まったく、仕方のない子達だ。
15分ほどで、紅達に抱きかかえられるように次郎達が到着した。
「タケル!こいつら身体が冷え切っている!どうする!?」
次郎達の顔色は真っ青で、ガタガタ震えている。歯がカチカチなる音が雨音を通して離れた場所でも聞こえそうだ。
陣笠に藁を分厚く重ねた蓑で一応の雨対策をしていたようだが、気温5℃程度の中を雨に打たれながら馬を走らせていたのだ。体感気温は0℃を下回っていただろう。
千鶴が兄である次郎に駆け寄り、その冷えた身体にしがみつく様に支えている。
次郎達を男の子の家に運び、濡れた服を全て脱がせる。
男の子の家では普段使用しない竈で湯が沸かされ、沸き上がる蒸気でムッとするほどになっていた。
手足をお湯に浸け、濡れた体を乾いた布で拭く。
震えが落ち着いたところで、温かい白湯を飲ませて身体を内部から暖める。
「タケル。宗像に兵が集まっている。どうやら博多の街や周辺の集落から来ているみたい」
黒が耳打ちしてきた。
「兵が?少弐家が宗像に攻め込んだのか?」
「違う。宗像で戦さは起きていない。雰囲気的には宗像が集結地点のように見える」
どういうことだろう。筑豊国は少弐家の守護する筑前国から実質的に割譲されたとはいえ、扱いとしては筑前国の一部だし、宗像家は依然として少弐家の家臣団の重鎮でもある。わざわざ兵を挙げて攻め込む必要はないのだ。
とすると、外征か外患、つまり攻め込むか攻め込まれているかだ。
蒙古が攻めて来たか?
しかし位置関係から考えて蒙古が初めに襲来するのはもっと西寄りになるはずだ。
それ以外の可能性となると、宗像の北東から東に位置するのは豊前国だが。
そんなことを考えながら次郎達を介抱する。
ようやく落ち着いた次郎が、姿勢を正して俺の目を見据えた。
「タケル様!宗像様と我が父からの伝言です。“御牧を巡って宇都宮家と戦さになる。タケル殿には佐伯家の名代として、参戦いただきたい” 以上です」
次郎はそこまで言うとそのままぐらりと倒れ込んだ。慌てて傍らにいた千鶴が支える。
どうやら張り詰めていた糸が切れたようだ。
次郎達を男の子達の家に寝かせる。
「状況を整理したい。桜、梅、椿、平太は母屋の客間に来てくれ。その他の者は女の子の家で待機だ」
介抱役として千鶴を男の子の家に残し、一旦解散する。
母屋の客間に集まった面々は次のとおりだ。
青、紅、白、黒、小夜、エステル、桜、梅、椿、平太
俺も含めた11人で車座に座る。
「さて、今集まっている事実だけを共有しよう。まずは白と黒から頼む」
「はい。宗像の映像を出します。黒ちゃんお願い」
黒が窓を開き、白の精霊が監視する宗像の空からの映像を映し出す。
宗像の東、湯川山の麓から宗像大社に続く平地に武者姿の者達が集まっている。
「この一時間ほど監視していますが、鞍手郡や宮地、香椎といった場所からも兵が集まっています。兵の中核は旗指物から見て、少弐家で間違いないようです」
確かに、武者姿の者達の多くが、黒い菱型を四つ纏めた“寄懸目結”の家門が入った旗を背中に刺している。
「ざっと数えた感じ、兵の数はおよそ五百。騎馬が百に徒歩四百ってところ」
「わかった。次郎の言うとおり、どうやら本格的な戦さになるようだ。次郎の言っていた御牧方面を映せるか?」
「もう精霊は配置してあります」
白が映像を切り替える。
遠賀川下流域、御牧川と名前を変えた辺りが御牧郡だ。
この辺りは豊前国と筑前国の双方に軍馬を供給する牧場があったはずだ。
次郎の話では、この牧場を巡って宇都宮家との戦さが始めるとのことだった。
宇都宮家とは豊前国の守護だろうか。
「旦那様。いかがいたしましょう」
青が確認してくる。
これ以上は次郎が起きてくるのを待つか、あるいは佐伯家に乗り込まないとはっきりとは状況がわからない。
「いずれにせよ、少弐家との約定は“筑前国の護りには貢献する”というものだ。今回の戦さが宇都宮家が仕掛けたものなら、約定に合致するかもしれない。少弐家または筑前国が仕掛けたものなら、“護り”という前提にはそぐわないだろう」
「じゃあ、少弐家が仕掛けたものなら無視するのか?」
紅が問いかけてくる。
「問題はそこだ。御牧郡は宗像郡の目と鼻の先。少弐軍が壊走するようなことがあれば、宗像郡、つまり筑豊国の領地が戦場となる。これは看過できない。とすれば少弐軍が壊走しないようにしなければならない。それに佐伯家と宗像家には親交もあるし、千鶴や加乃といった武家の娘も預かる身だ。まさか知らん顔もできまい」
「じゃあ参戦するか!」
「そうだな。とりあえず戦支度を整えて、宗像へ向かう。紅、白、黒、それから桜と小夜は準備をしてくれ。俺が不在の間は、里の防衛は青に一任する。梅と椿、平太とエステルは青の補佐だ。椿は結界の維持と周辺監視。梅とエステルは子供達を掌握して、いたずらに動揺しないよう注意してくれ。平太は入植者達への説明を頼む」
『了解!』
皆が準備のため動き出したところで、勾玉に千鶴から連絡が入った。
「タケル様!お兄様が目を覚ましました!」




