121セビリア郊外にて
豚の王に話しかけられて直立不動になっていた女は、俺の声を聞いて糸が切れたかのようにその場に膝から崩れ落ちそうになる。
慌てて駆け寄り支えるが、女の目の焦点が合っていない。
いろいろ短時間で起こりすぎて、精神的なダメージが大きいようだ。自分の命が危機に瀕した直後に、目の前で僅か数秒で10人もの命が消え去り、しかも大きな豚が話しかけてきたのだ。普通の神経なら気を失うか正気を失うかだろう。
とりあえず女を柔らかい落ち葉の上に仰向けに横たえ、緑の精霊を張り付けて眠らせる。
村人の4人の男達にも同様に緑の精霊を使い、とりあえず眠ってもらう。
その間に豚泥棒達の遺体を並べ、検分を行うことにした。
リーダーはやはり首が折れて即死だった。
均整のとれた筋肉質の身体は、歴戦の戦士を思わせる。
所持品は直剣が一振りと短剣が二振り、腰には雑多な銀貨が入った布袋が一つと、硬いパンやドライフルーツの入った袋。ロザリオのような十字架を首から掛けていたことから推察するに、キリスト教徒と思われる。
直剣はクルセイダーソードと言われるやつだろう。60cmほどのブレードの手元には大きな棒状の鍔があり、柄の先端には丸い柄頭が付いている。
短剣はスティレットと呼ばれる刺突に特化したものと、いわゆるサバイバルナイフのようなもの。
裾の長いチュニックの中には、やはり革鎧を着込んでいた。革は牛革のようだ。要所に金属鋲が打ち付けられている。
その他の男達は鎖帷子か革鎧を着ているが、似たり寄ったりの持ち物だった。
違うのは主武器。弓を持っていたのが3名、槍が2名、リーダーと同じ直剣が4名だった。
ちなみに紅が斬り飛ばした男の頭は、紅が責任を持って回収してきた。
「タケル兄さん、この弓変だ。撃ってみてもいいかな?」
白が聞いてくる。
「ああ。異なる文化の武器を使ってみるのも経験だ」
白が豚泥棒の弓矢を構え、10mほど離れた木に狙いを定め、放つ。
矢は寸分違わず木に命中した……わけではなさそうだ。
白は首を傾げ、次々と矢を距離を変えながら放つ。
10本ほどの矢を撃った白が、不満げにこちらを振り返る。
「タケル兄さん、この弓変だ。射程も短いし威力も弱い。速射性には優れるかもしれないし、取り回しもいいけど。私は嫌いかも」
「その速射性に優れ、取り回しがいいのが短弓の利点だ。材質が違うから、長弓のように長くすると反発力が強すぎて弓を引くことすら難しくなるだろうしな」
「槍も結構違うな!重量バランスも長さも悪くはないけど穂先の形が二種類あるな。穂先が尖った円錐状のものと、細長い木の葉のような形のやつ。こりゃ鉾に近い気がするな!」
「剣も重いけど切れ味は良くない。切り裂くというより叩き切る感じ」
戦闘に対する思想が違えば、おのずと武器の発達も変わってくる。
戦列を組み数で押しつぶしていく大陸の戦闘思想と、少数精鋭で個々の武技に頼りがちな日本では、求められる武器も異なるのだ。
さて、遊ぶのも程々にして、村人達を起こすとしよう。
豚泥棒の持ち物を一か所に纏めてから、村人達を起こす。
最初に目を覚ましたのは、女だった。
仰向けのまま顔だけで周りを見渡し、俺達が視界に入るや否や跳び起きて大地に平伏す。
「天の父の御使いの前でとんだご無礼を!どうかご容赦くださいませ!」
そんな女の様子を見て、意識を取り戻した男達も女に倣い平伏する。
「タケルよう、神の使いとか精霊使いに加えて、天の父の御使いって称号が手に入ったらしいぜ?」
天の父とはつまり神のことだろう。
「神威を使う者なのだから当然」
黒が胸を張って応える。そういうものか?
「いや、俺達はそんな大したものじゃない。ただの買い物客だ。名をタケルという。怪我はないか?お嬢さん」
「ははっ。無事でございます!」
「いや、その……俺達はただの買い物客だと言っているのだが、意味は通じているだろうか?」
「神の御業の使い手が、ただの買い物客なはずがありません!」
らちがあかない。業を煮やした紅が割って入る。
「あのなあ姉ちゃん、タケルが名を名乗ったんだ。お前さんも名乗るのがスジだろ?ちなみに私はベニ、あっちの黒いのと白いのがクロとシロだ。姉ちゃん達の名前も教えてくれ」
「はい。私はエステル、後ろの男達は順にルカ、アーロン、ダビド、イサークと申します」
「わかった。エステル、ルカ、アーロン、ダビド、イサーク。そろそろ顔を上げてくれ。俺はただの人間だ。お前達ときちんと話がしたい」
俺はエステルの前で膝を折り、顔を上げさせる。
「よろしいのでしょうか……?」
エステルと名乗った女が恐る恐る顔を上げる。
そばかすの浮いた痩せ気味の肌、薄いグレーの瞳、くすんだ金髪は少しゴワゴワしてそうだ。洗えば綺麗になるのかもしれないが、もしかしたら入浴の習慣がないかもしれない。たぶん風呂にでも入れて、髪を整えれば、さぞ美人になるだろう。
ルカとアーロンは中年の男性。茶色の短髪に同じく茶色の瞳。こちらもあまり健康そうには見えず、中年太りとは無縁の体形をしている。
ダビドとイサークは、エステルと同じようなくすんだ金髪の若者だ。
元の世界でのイベリア半島は、ラテン系というかあまり金髪碧眼のイメージはない。金髪といえば北欧やゲルマン民族の特徴だと思われる。とすると、この者たちは土着の住人ではないのかもしれない。
「ああ。ありがとう。皆少し落ち着こう。当面の命の危機は去った。豚の被害も最小限に抑えられた。誰も傷ついていないし、今回殺された豚はいない。そうだろう?」
「はい……」
「では、とりあえず怯える必要はないな。目の前の問題を片付けよう。まずは豚泥棒達の処遇だが、こういった豚泥棒や盗賊の類は、この地の法ではどのように裁かれることになっている?」
「それならルカさんが詳しいです」
エステルが振り向いた先には、ルカと紹介された中年の男性。50歳は超えているかもしれない。
「はい、盗賊を生きたまま捕らえた場合は、街に送り騎士団に突き出します。大抵の場合はそのまま死刑になります。盗賊に襲われた場合は自衛権が認められています。その結果倒した盗賊は埋葬してかまいません」
「そうか。ならばさっさと埋めてしまおう」
「あ!しばしお待ちを。殺された死者はそのまま埋葬すると魔物になってしまいます。聖水を撒くか、灰になるまで焼かねばなりません」
魔物か……いわゆる不死者のようなものだろう。
「わかった。聖水などは持っていないから、焼くことにしよう。こいつらの持ち物についてはどうだ?大したものは持っていないようだが」
「盗賊が持っていた物で、元の持ち主が判明した物については返還されます。ただ、ほとんどの場合は持ち主などわかりませんので、盗賊を討ち果たした者の持ち物となります」
「ちなみに、こいつらに見覚えは?どうやら騎士崩れのようだが?」
「はい。着ている服が去年の戦さに参戦した軍の旗印と同じものです。どこの軍かは存じ上げませぬ。ただ、最近このあたりの開拓村を襲っていた連中と同じようです」
「分かった。では身ぐるみ剥いでから、焼いて埋めることにしよう。紅と黒、準備を。臭いが気になるから、高温で頼む。可能なら男達は手伝って欲しいのだが」
「わかりました。もちろんお手伝いいたします」
「白は周辺の警戒をしながらエステルの相手を頼む」
「タケル兄さんは?」
「さっきのルカの話が気になる。少し周囲を探索したい」
「タケル!こいつらの持ち物を見ててづいたんだけどよ~」
「水と食料がほぼない。豚を盗みに来たにしても、異常に軽装。数時間しか行動しないつもりの装備」
「ああ。だから、近くに拠点あるいは根城のようなものがある気がする。それを探す」
「まだこのような者たちが近くにいるのですか!?」
せっかく顔色が戻ってきていたエステルが悲鳴を上げる。
「まだ決まったわけじゃない。だが、安心もできない。だからこその探索だ。白、よろしく頼む」
そう言い残して、俺はこの場所を離れた。




