114.胡椒とゴムの木を探す
海外遠征の支度はできた。
黒と白による綿密な上空偵察と現地スタッフ(という名の精霊)によって、胡椒とゴムの木を入手する場所は決まった。
インド亜大陸の南の玄関口、ムンバイ。
元の世界でもインド有数の都市だったが、この世界でも立派な交易都市だ。
港には大きな帆船が行きかい、近くでは開かれている市では籠に山盛りの香辛料が所狭しと並ぶ。
この時代のインド亜大陸の支配者はイスラム教徒によるデリー・スルタン王朝だが、有史以前から脈々と続くヒンズー教の慣習や風俗が根付いており、悪名高きカースト制度の被害者らしき人々の姿も見られる。
まあ俺達としては、目的の物さえ手に入ればそれでいい。
冷たいようだが、一介の買い物客でしかない俺達ができることなどたかが知れている。
一時の正義感に駆られて、仮に悪代官を懲らしめ数人の命を救ったとしても何も問題は解決しない。
この地に根を生やして、それこそ何百年でも掛けて人々の意識を変えるぐらいの覚悟がないならば、いたずらに騒ぎを起こすべきではない。
そう言い聞かせているのだが……
「タケルよう、そんなに心配しなくったって大丈夫だって。グッと我慢すればいいんだろ?」
「紅姉はその我慢ができる性格じゃないから心配されている。私はその点大丈夫。基本的に我慢の子」
「いやいや、黒ちゃんも大概感情のままに生きてるよ?私は風のようにスーッと嫌なことを流してしまうから平気だけどね!」
そういう軽口を叩いているのが心配なのだが。
ともかく、買い物の対価として銀貨と砂金を用意した。
銀貨の刻印はフランスのドゥニエ銀貨のものをコピーしている。
まあ偽造と言えば偽造なのだが、銀としての価値は申し分ないだろう。
そもそも金貨ならともかく銀貨など、その時々の為政者の意思でいくらでも混ぜ物の量を変えられるようなシロモノだ。
砂金は嘉麻川の水から抽出した金に、適当に石灰の粉などを配合した。
これらを麻でできた巾着袋に入れる。
服装はゆったりとした身幅の綿のパンツを履き、腰を紐で締めたものだ。
タイパンツ……と言えなくもない。この夏はこの涼しい服装が気に入っていた。
上着はシンプルなカーキ色のTシャツにジャケット。足元は革のサンダル。
黒と白も似たような格好だが、どうもTシャツの脇に入ったスリットが気になる。最近の黒のデザインは、少々肌の露出が多い。
ましてや紅など、絹で織られたシフォン素材の白いシャツなど着るものだから、目のやり場に困る。
武装は小太刀を腰に履くのみ。まあ緊急時には黒の収納から手持ちの武器は取り出せる。
「またそんな夏服を持ち出して……寒くないんですか?」
小夜の視線が痛い。しかし現地はこの季節でも最高気温が30℃を越える真夏日だ。
朝の日課を終え、早めの昼食も済ませて、ムンバイへと出立する。
黒の門を潜入り、市場の外れの路地裏に降り立つと……
一気に香辛料の香りが温かい風と共に押し寄せてきた。
「いやあ、あっちいなあ!!」
早速紅がシャツの裾をバタつかせている。いや現地時間は朝の八時半過ぎ。まだそんなに気温は上がっていないだろう。せいぜい25℃ぐらいだ。
「里の気温は10℃ぐらい。この気温差は余計に暑く感じる」
まあ確かにそうだがな。このまま昼過ぎには30℃を越えると思うと……さっさと退散したいぐらいだ。
そのまま適当に市場を流し、港を覗く。
ゆったりとした民族衣装を着た男性達に混じって、上半身裸の体格のいい日焼けした男達が荷物を船に積み込んでいる。
別に俺達を誰何する声は聞こえない。大層奇抜な格好をしている自覚はあるが、さほど珍しくもないらしい。流石は港町というべきか。
市場に戻ると、紅達が物色を始めた。
特に黒は籠の一つ一つの前で立ち止まり、積まれた香辛料を摘み上げ匂いを確かめている。
「これは何?」
「なんだ姉ちゃん、異邦人なのに買い物か?それはクミンって草の種だ。油で炒ってやりゃ良い香りが拡がるぜ」
「こっちの葉っぱは?」
「それはローリエの葉だ。肉料理の風味付けには欠かせねえよ!」
「こっちはショウガに見えるけど……」
「ショウガ??違う違う、半分に割ると中身が黄色いだろ?これはターメリック。日干しして粉にして使うんだよ」
まあコミュニケーションに問題はないようだ。
ちなみに白はというと、香辛料の反対側に並んでいる宝石に捕まっている。
明らかに質の悪そうな、濁った色の物が多いが、見方によってはカラフルで楽しいのだろう。
そうこうしているうちに、目当ての黒い粒を黒が摘み上げた。
「これはコショウ?」
「おう、姉ちゃんよく知ってるな。そりゃペッパーだ。なんだ、ペッパーを買いに来たのか?」
「そうなんだよ兄ちゃん、ちょっと大口でさ!どうせならこいつを育ててる農場みたいな所を紹介して欲しいんだが、どっか良い所知らないか?」
紅が黒と香辛料売りの男の会話に割って入る。
「なんだよ、ここの籠にある量じゃ足りねえってか?」
「いやいや、今後の話もあるしよ?兄ちゃんには悪いようにしねえからさ!いいだろ?」
「それならスンのところはどうだ?お前さんのところも付き合いあるだろ?」
別の男が助け船を出してくれた。
「そうだなあ、あいつなら根はいい奴だし、それなりに手広くやっている。ちょうどいいか」
「なんだよ兄ちゃん、いい男なら紹介してくれよ~」
紅がねだっている。何だかイラっとするのは保護者意識か、独占欲か……
「まあ、付き合ってみればいい男なんだが……ほら、噂をすれば何とやらだ。来たぞ」
そう言って顎で示した香辛料売り男の先に、不機嫌そうな表情を浮かべ、小柄な馬を引いた男がいた。
「ようスン!景気はどうだ!」
「いつもどおりだ。船への積み込みが終わったから、農場へ帰る」
はあ……香辛料売りの男が『根はいい奴』と含みを持たせたのはこういうことか。ぶっきらぼうと言うか、つっけんどんと言うか、要は愛想に乏しい。
スンと呼ばれた男は見た所二十代後半ぐらいか。身長170㎝ほど。体格はいいほうだろう。ゆったりとした黄色っぽい民族衣装では筋肉の付き方までは分からないが、引き締まった顔立ちをしている。
引いているのは馬かと思ったが、どうやらロバのようだ。
「相変わらず愛想のない奴だな!そんなんじゃ女の一人も寄り付かねえぞ?」
香辛料売りの男たちが囃し立てる。
「この性格は生まれつきだ。用がないなら俺は行くぞ」
「まあそう言うなよ。こっちの姉ちゃん達が、ペッパーを育てている農園に用があるそうだ。お前のところで面倒見てやんな?」
そう言って香辛料売りの男が紅をスンの前に押し出した。
スンは紅、俺、黒の順で眺め、最後に白に目を留める。
しばらく白をじっと見ていたスンが、おもむろに口を開いた。
「いいだろう。ついてきてくれ」
「あはは、よろしくお願いしま~す。俺の名前は紅。こっちの白いのが白……」
紅の自己紹介を聞く気もない様子で、スンは踵を返し歩き出す。
俺達は慌ててスンの後を追う。
「姉ちゃん達!そいつのこと、よろしく頼む!」
香辛料売りの男達の囃す声が遠ざかっていく。




