108.漁を始める
紅達の鯨狩りの準備は着々と進み、捕鯨砲まで開発してしまった。
長さ1m×直径3cmほどの鉄棒の先端に30cmほどのカエシ付きの銛がついており、銛には長いロープが結ばれている。
打ち出す砲は先込め式で、発射薬には綿火薬を使っている。射程距離は50mほど。目標に向かって緩やかな曲線を描いて打ち出す曲射砲だ。
しかし、いつの間にこんな砲身を開発したのやら。
元込め式の重火器の開発も時間の問題かもしれない。
そしてこの砲を運用するための船まで作っていた。
この時代のいわゆる漁船は、大木を刳り抜き何枚かの板を継ぎ足した準構造船か、平底船が主流だったのに対し、黒が造った船は竜骨を備え甲板を張った構造船だ。
数本の櫂も備えているが、基本的な動力はメインマストで受ける白の風だ。
帆船というよりヨットといったほうが適切だろう。
嘉麻川で進水式を終え、水密チェックを行ったあとは、黒が収納して宗像の近くにある神湊の漁村に運ぶ。メンバーは紅・白・黒・小夜、そして俺の5人だ。
漁民たちに交渉し、米一俵と引き換えに係留と漁の許可を貰ってから、簡単な船着き場を作って係留した。
突然出現した見慣れない形の船に、住人たちがわらわらと集まってくる。
とりあえずヨットに乗り込み、改めて浸水がないかを確認する。
「斎藤殿、またこれは面妖な船ですな」
住民達に交じって、佐伯元親がいた。次男の次郎も連れている。
「佐伯殿。ちょっとうちの子達が海で漁をしたいそうだ。軒先をお借りする」
そう言うと、佐伯がカラカラと笑って答えた。
「それは女神様達がそう仰るのなら、皆に異存はないでしょうな。して、一体何を獲るおつもりです?」
「最終的にはクジラだな!」
紅の答えに、佐伯や漁民たちが目を丸くする。
「クジラ……というのは勇魚のことですかな?あれは狙って獲るものではありませんぞ。時折弱って近づいてきたものを獲ることはありますが、それも一生に一度あるかないかといった代物。それをこんな小さな船で?」
「まあやってみなきゃわからないだろ?タケル!さっさと出航しようぜ!」
そう紅が急かす。
「それなら儂も一緒に行きますぞ。こんな面白そうなこと、放っておけませぬ!海に詳しい若者もご一緒させてよろしいか?」
佐伯のありがたい提案を二つ返事で了承する。
「いやあ全く揺れませんな!船とはこんなに快適でしたかな!」
玄界灘を滑るように進むヨットの上で、佐伯がはしゃいでいる。佐伯と一緒に乗り込んだ、よく日に焼けた二人の若者も、ぽかんと口を開け、ぐんぐん離れていく陸地と大きくはらんだ帆を交互に見ている。
今日はたまたま凪で海が穏やかなことと、大きく海中に張り出したキールのおかげでそもそも揺れは少ない。
「そろそろよさそう。白ちゃん、ゆっくり流して」
小夜が風を操っていた白に合図をする。
黒がおもむろに葉のついた竹竿を取り出す。竹竿の根元側には短い竹を何本か巻くように結び付けられており、下には石がぶら下がっている。ブイのつもりのようだ。
そのブイを海中に投入し、竹竿が水面に浮くことを確認して、黒が厳かに宣言した。
「延縄漁を始める」
ブイには幹縄が付けられており、その幹縄から数メートルごとに枝縄が伸びている。
「幹縄は100m準備した。枝縄は5m、間隔は3m。枝縄の数は30本。餌はさっき買った鯖」
そういいながら、黒は次々に鯖付きの針を海中に投入していく。
縄は麻製のようだが、そういえば夜な夜なゴソゴソしていると思っていたが、まさかこんな長さの縄を綯っていたとは。
仕掛けの最後にはまた最初と同じ竹竿のブイが投じられ、延縄漁が始まった。
延縄の仕掛けはこのまま潮流に任せてしばらく流す。
俺達は仕掛けから数百メートルの位置で釣りをしながら時間を潰すことにした。
釣りといっても、まともな釣竿やリールがあるわけではない。
タンニンを染み込ませた麻糸をリール代わりの木枠に巻きつけ、麻糸の先端に錘とスイベルが一個、そしてスイベルの先には透明の……テグスか?
「シラガタロウの絹糸腺から取り出した。子供達が山のように捕まえてきてたから、ストックは大量にある。テグスを作るのは桃が上手」
ああ、白の採集物の中に確かにシラガタロウ、つまりヤママユガの幼虫がいた。幼虫の両肩にある絹糸腺を取り出し、酢につけてからゆっくり引き伸ばせば、約2mの天蚕糸が取り出せる。
それにしても桃とは……可愛い顔をして、シラガタロウの解体をやっていたか。
テグスの先には鉄製の釣り針が結び付けられている。フトコロが狭く胴が長め……これは丸セイゴと言われる形に似ている。そういえば延縄仕掛けに使われた針も、大きさこそ違うが環付き丸セイゴだと思われる。
餌はゴカイやカニ、潰したアサリ。どうやら俺と黒が漁民たちと交渉している間に採集していたらしい。
皆思い思いの餌を付け、仕掛けを海中に投入する。
佐伯と二名の若者もちゃっかり仕掛けを受け取っている。
ちなみに俺のチョイスはカニだ。
30mほど下の海底まで沈め、ゆっくりと引き揚げ、海底から3mほど上げたところで仕掛けを漂わせながらアタリを待つ。
ゴツゴツとした先触れのアタリから、一気に右手が海中に引きずり込まれる本アタリが来た。
大きく右手を呷り、そのまま強烈な引きに耐える。元の世界のリールのようにドラグもないし、竿の弾力もない。そもそも糸の強度さえ不明だ。
慎重にやり取りし、弱った獲物を引き揚げにかかる。
5分ほどのやり取りの末、ようやく揚がってきた獲物は立派なマダイだった。
皆も次々にマダイを釣り上げている。さすがに若者二名は手慣れた手付きだ。
小夜だけがホウボウを釣り上げている。30センチほどの胴体に大きな胸鰭が特徴の、ピンク色の綺麗な魚だ。ゴカイを餌にして海底近くを釣っていたのだろう。
あっという間に餌が無くなった。代わりにマダイやホウボウなどで船上が一気に華やかになった。
「餌もなくなったし、延縄を回収に向かう」
その黒の掛け声で、延縄のブイに向けてヨットを進める。
延縄に付けたブイが、大きく上下しながら海面を動き回っている。何か大型の魚が針に付いているようだ。
「タケル、スキャンで海中の様子はわかる?」
「ああ……大きな魚が針に掛かっているな。これは……サメか?もう少し小さな魚も鈴なりだが、小さいといってもかなり大きいぞ」
「そう……それじゃさすがに回収は難しい」
残念だがそうだろう。既に船上はピンク色の魚で埋まっている。
黒が船上を見渡し、決断する。
「このままブイを一つ回収し、そのまま延縄を引きずって船着き場まで戻る。紅姉は幹縄をしっかり保持しておいて。間違っても海中に引きずり込まれないように」
「おう!任しとけ!」
こうして、海中に引きずまり込まれそうになる紅を皆で支えながら、何とか船着き場まで辿り着いた。
上陸した俺達は、漁民たちにも手伝ってもらい、延縄を浜に引き上げる。
1mほどの大きなカツオに混じって揚がってきたのは、二匹の大きなサメだった。
全長3mほど。恐らくメジロザメの仲間だろう。
大きな口にギザギザの歯、大きく尖った背鰭。まさしくサメらしいサメだ。
頭だけを残したカツオも揚がったから、恐らく針に付いたカツオに喰いついたのだろう。
紅と黒が暴れるサメにスタスタと近寄り、若者から受け取った銛をサメに打ち込み止めを刺す。
一斉に漁民たちが歓声を上げた。
紅が村長に熱い抱擁を迫られ、逃げ回っている。
「まさかこれほどの大物を仕留めるとは、さすが女神様!今後ともこの海に祝福を!ぜひ勇魚獲りの際にも手伝わせてくだされ!」とまあ、こんな具合だ。
黒と白、そして小夜はさっさと俺の陰に隠れたから無事のようだ。
漁の成果はマダイ30匹、ホウボウ3匹、カツオ25匹、そしてサメ2匹となった。
流石にこんなに大量の魚を持ち帰っても仕方ないので、マダイとホウボウ、カツオをそれぞれ3匹づつ持ち帰る。残った魚とサメは、手伝ってくれた漁民達と佐伯にプレゼントすることにした。
サメから採れる大量の肉は、神湊だけでなく周辺の漁村にも配られるようだ。
こうして、初めての漁は終わった。成果はヨットの性能と操船技術が確認できたこと、漁民達の協力を取り付けられたこと、そして数匹の新鮮な魚となった。




