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100.フェノールを採取する

『ぴくりん』という名前に黒と小夜が喰いついてきた。しかし有機化合物というのは、時々妙に可愛らしい名前になることがある。ピクリンとかキノリンとか……

まあ今回用があるのはピクリン酸だ。


ピクリン酸の出発原料としてフェノールを採取しなければならない。

フェノール。和名で石炭酸。

つまり石炭から採取が可能だが、そのためにはコークス窯の改造が必要だ。


「フェノールってのが石炭から取れるの?」

「正確にいうと、石炭や木材など有機物を乾溜すると出てくるコールタールと呼ばれるドロドロとした液体から抽出できる。今のコークス窯や木炭窯は崖を掘っただけだから、コールタールは回収できていない」

「うん。土間がドロドロになってる」

「だから、あのコールタールを回収できるような窯を作らなくてはいけない」

「わかった。具体的には?」


「土間を耐熱レンガで覆い、コールタールが流れる溝を作って回収槽を作る。排ガス中にも有用成分が含まれるから、将来的には回収できるようにしたいな」

「じゃあまずはレンガ作りからだね!」

小夜は自分は活躍できる分野が出てきて嬉しそうだ。

思えば里の鉱業は、小夜の採集物から始まったのだ。


翌日の午後は粘土と珪石、石灰石そして石炭の採掘から始まった。

杉・松といった経験者に加え、平太や惣一郎・惣二郎兄弟も加わる。


粘土はコークス窯の前でレンガ状に加工され、藁火で焼かれてレンガになる。レンガ加工の指揮は小夜に任せる。


その間に俺と椿はコークス窯の改造の準備をする。

コールタールが染み込んだ土間を掘り、地盤を剥き出しにして水平を出す。

天井や壁の岩盤に亀裂がないか点検し、亀裂があれば珪石と石灰石を砕いたモルタルを詰めていく。


土間の水平出しと亀裂の補修が終われば、土間を入り口に向かって緩やかに傾斜するよう修整する。


修整が終われば、土間と壁にレンガを積んでいく。ここで活躍するのは松だ。松の左官の才能はパン窯を作った時に発揮された。ここでもきっちりとモルタルを塗りレンガを積んでいく。


あとは火入れを行い、レンガの割れや天井の痛みが無いことを確認できれば、コークス窯の改造完了だ。


一旦換気を行い、石炭を並べ点火する。

入り口を塞げば作業は完了だ。

石炭の乾溜が終わるまで24時間は必要だから、次の作業は明後日の午後からとした。


ということなので、1日オフ!というわけにはいかない。乾溜を待つ間に、化学実験室を建設する。

いろいろ悩んだ結果、コークス窯の近くに平地を作り、そこに建設することにした。


最初は地下室にしようと黒と2人で盛り上がっていたのだが、小夜の「そんなところに迎えに行きたくない」の一言で断念した。


木造平屋建ての土間のみの構造で床板は貼らない。

万が一フラスコをひっくり返して火災になっても、延焼を防ぐためだ。

里に向かう谷側に壁は土壁にしたが、山側の壁は薄い板張りとした。窓も里側には作らない。爆発が起きても、里側に直接爆風が襲いかかることは防ぎたい。

代わりに膝ぐらいの高さまでに鎧戸状の換気口をつけ、有毒ガスの滞留を防止する。

出入り口は外開きにして、施錠時は閂を掛ける。

天井の高さは3m、四隅に換気口を設けた。


実験台は木製だが、天板にタイル状のレンガを貼り、耐熱性を持たせた。ここでも松の左官の腕が活躍した。

「タケルさん!ちょびっとだけ西に傾いてます。ちょっと削ります!」

「そうか?俺には水平に見えるが……」

「いやいや…ほんのちょっとなんですけどね」

若干7歳の棟梁の腕が光る。こういう時の松は、誰よりも大人びた口調になる。


水利は母屋と同じ自噴式井戸を掘り、濾過した水を貯めたものと、水の精霊で生み出した純水をそれぞれ別に準備し、奥の壁沿いに流しを据え付けた。


排水は一旦実験室の外の排水ピットに溜めておく。

油分や浮上物は回収して焼却する予定だ。


こうして、素朴ながらも立派な実験室が完成した。


さて、ではピクリン酸の合成を始めよう。


まずは…コールタールの回収からだ。およそ白衣の似合わない作業だが、そもそも白衣など着てはいない。


俺と黒の2人がかりでコールタールを掘り出す。

その間に小夜にフェノール塩を作る為に水酸化ナトリウムの合成を頼む。


水酸化ナトリウムは工業的には電気分解によって得られるが、今回は断念した。

電気分解しようにも、そもそも電気がない。

そこで炭酸ナトリウムと水酸化カルシウムから得る方法に決めた。


炭酸ナトリウムは石鹸を作った時にワカメの灰から製造している。


水酸化カルシウムは……石灰石つまり炭酸カルシウムから合成するのがもっと確実だろう。


同量の石灰石とコークス、少量の塩を窯に並べ、空気を送り込みながら燃焼させる。

石灰石が赤熱してから一昼夜、コークスが燃え尽きるまで燃焼させる。

すると、炭酸カルシウムに以下の変化が起きる。


CaCO3→CaO +CO2↑


得られた白い塊が酸化カルシウムだ。

燃え残ったコークスくずを分別し、酸化カルシウムの白い塊を(つぼ)に入れ水を加えると、酸化カルシウムが熱を発しながら消化し、水酸化カルシウムCa(OH)2となり粉々に砕けて沈降する。


CaO +H2O→Ca(OH)2↓


あるいは酸化カルシウムを2000℃以上に強熱して得られた炭化カルシウムを作り、その炭化カルシウムに水を加えても水酸化カルシウムは得られるが、この場合得られる副生物のアセチレンが現時点では使い道がない。アセチレン灯ぐらいか?


まあアセチレンの利用法は後ほど考えるとして、とりあえず水酸化ナトリウムを合成する。


炭酸ナトリウム水溶液と水酸化カルシウム水溶液を作り、混合する。

すると以下の反応が起きる。


Na2CO3(aq) + Ca(OH)2(aq) → 2NaOH(aq)+CaCO3↓


こうして得られた水酸化ナトリウムの希薄溶液を濾過し加熱濃縮すると、濃度の高い水酸化ナトリウム水溶液が得られる。


これでコールタール中のフェノールを抽出する準備ができた。



では早速フェノールを抽出してみよう。


まずはステンレスの反応缶を製作する。これは仕方ないので精霊の力を借りる。

200ℓのドラム缶程度なら、空重量は概ね35Kg程度だから、なんとか一人でもハンドリングできる。


反応缶にコールタールと水酸化ナトリウム水溶液を入れ、よく撹拌し、フェノール塩を水相に抽出する。


フェノール塩が抽出された水相を取り出し、一晩静置し油分を浮上させる。


下層の水相を取り出し、コークスを燃焼させて得られる排ガスを吹き込む。

これにより、フェノール塩が中和され、フェノールとなる。


フェノール水溶液からフェノールを取り出すには、分留するか結晶化すればよいが、今回は結晶化により取り出す。

分留するほどの設備はないし、何より細かい温度制御ができない。


フェノールの融点は40℃程度だから、水溶液をゆっくり冷やしていけば結晶が得られる。


こうして、およそ200Kgの石炭から、0.5Kgのフェノールを取り出した。


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