10.旅を続ける
昼食の後片付けも終えると、更に山頂方向へ進んでいく。最初にいた場所からは西に向かっている。標識や塚があるわけではないが、明らかに日常的に人が通っている幅2m弱の道がある。
小夜の話では、この山を越えるとザイフという別の行政区分があるらしい。
ザイフ…太宰府のことだろうか。
日が暮れる頃に、峠道の頂上を越えた。峠道を少し離れた場所に数畳ほどの平らな場所があったので、今夜はそこで野営することにする。
太陽が沈んでいく方角には平野が広がり、数本の川が左手方向から北に流れているようだ。流れていく先には湾が見える。
山裾には五重の塔のようなものと、その周囲を囲む低層だが大きな建物がある。
小夜が指差しながら教えてくれた。
「たぶんあの辺りがザイフ、流れている川の先がハカタだと思う。行商人のおじさんはハカタから来てるって言ってた」
ザイフ…ハカタ…うん、ここはやはり前世で福岡県と呼ばれていた場所だ。とすると今越えてきた山は米の山、流れている川は御笠川、注ぎ込む先は博多湾だろう。ただし博多湾の形が知っているものと全く違う。また、太宰府政庁を守るように築城されたはずの水城の堤が見当たらない。元寇より前の時代か…あるいは知っている歴史知識とは異なる時間が流れているのか。
いずれにせよここが福岡であるのなら、生きていくのはだいぶ楽になるだろう。これが京都などなら、漏れなく激動に巻きこまれていただろう。記憶の限りでは北部九州を巻き込んだ大きな戦乱は、元寇と太平洋戦争の空襲ぐらいだったはずだ。
古墳時代には筑紫の磐井という豪族が当時の大和朝廷と戦ったはずだが、遣唐使が派遣され、太宰府や博多の港が整備されているなら、少なくとも古墳時代よりは後の時代だろう。
まあまずは今夜の野営を無事終わらせることだ。幸い西の空には雲はなく、天気が崩れる心配はなさそうだ。道すがら獲っておいたノウサギを捌き、少量の醤油と香辛料で炙り焼きにして夕食にする。主食は白飯を炊いた。昼は小夜に任せっきりだったから、夜は俺の当番にする。
小夜には焚き木を集めてもらう。またテントを渡して張ってもらうよう頼んだ。
驚くことに、特に何も説明せずに小夜はテントを張っていく。いや女性とキャンプなどしたことはないが、普通もう少し慌てたりするだろう。
「あれ…もうやり方覚えた?」
そう聞くと、だいぶ嬉しそうにこちらを振り返る。
「タケルさんが片付けていたの見てたから、大丈夫です!」だそうだ。優秀な娘だ…
食事の方は、調味料として使った醤油に興味津々だ。
試少し舐めさせてみるが、ものすごく不思議な顔をした。
「美味しいんだけど…とにかく塩辛いです!」
だそうだ。このまま舐めるものではないことは理解できたらしい。試しに麦味噌を人さじ渡すと、こちらはだいぶ気に入った様子で少しずつ舐めている。豆主体の味噌ではなく、甘みの強い麦味噌だったのがよかったのか。味は違うが似たような調味料はこちらにもあるようで、汁の味付けで使うとのことだった。明日の夕飯は鍋仕立てにしてみよう。
食事が終わる頃にはすっかり日も暮れていた。
日が落ちると灯りもないため、小夜をテントに入れる。
「タケルさんはどこで寝るの?」
小夜がテントから顔だけ出して聞いてくる。
心配してくれているが、さすがに1人用のテントに二人入って寝るのはいろいろと問題があるだろう。
「見張りもしたいから、このまま外で寝るよ。何かあったら起こすからね」
そう伝えると、なにか言いたげにこちらを見ていたが、納得したようでテントに引っ込んで行った。
小夜が寝たのを確認すると、昨夜と同じように四方に黒い精霊を飛ばす。昨夜でだいぶ慣れてきたので、今回は一辺を300mほどにして3Dスキャンを試みる。
すると、山裾の下方200mほどのところに、3名の集団を見つけた。その後方50mにさらに5人。この5人は等間隔に散らばり、3人の様子を伺っているように見える。
言葉にすると200mや50mはすぐそこのように感じるが、山深い場所では全く気配もない。旅慣れた連中や猟師なら、敢えて炊事の煙など立ち上らせないし、双方に気づいていなくても仕方ないが…5人の配置は気になる。
黒い精霊を6体追加で飛ばして、5人それぞれと3人組を監視する。
俺の目の前に6個の窓を開くと…3人組は行商人のようだった。烏帽子をつけ、大きな背負子と木箱を傍らに置いている。足は脚絆に草鞋履き。服装は…いわゆる小袖に袴、小さな腰刀を帯に差しているが、恐らく護身用だろう。地面にゴザを敷き、小さな焚き火を焚いてその周りに集まっている。見た感じ20代後半だろうか。髭は生えていない。
その3人に迫っている5人は、やはり山賊というか追い剥ぎ目的のようだ。胴鎧だけは身につけているが、兜や小手はつけていない。擦り切れた草鞋履きで下半身は褌だけのようだ。太刀を持っているものが2名、小槍が1名、残り2名は小太刀のみを持っている。顔は髭だらけで…明らかな悪人顔だ。
1時間ほど様子を見ているが、特に動きはない。夜更けになるのを待つのだろうか。とりあえずずっと見ていても仕方ないので。3人組にこれ以上近づけばアラームがなるようにして、仮眠することにした。
どのくらい経っただろう。寝る前は月はまだ登っていなかったはずだが、今は天頂にある。
小夜が起きてきて、俺を揺すって起こしたのだ。
「タケルさんタケルさん!なにか良くない気配がします!」小声で俺に伝える。
「ああ…追い剥ぎのような集団が、近くにいる行商人のような3人に迫っていたが…」
そう言いながら、黒い精霊の窓を開く。と同時に頭の中でアラームが鳴る。追い剥ぎがジリジリと行商人達に近寄っていく。
小夜は追い剥ぎの殺気にこの距離から気づいたということか。もしかして黒い精霊を自然に使っているのかもしれない。
黒い精霊が写す光景をじっと見ていた小夜は、行商人の一人の顔を見て驚きの声を上げる。
「いつも塩を持ってくるおじさん!」
まじですか…顔見知りを見殺しにもできないが…




