2-2 AIに反乱
「バイタルチェック。少し血圧が低い? 血中の糖度も低いけど、死にはしないわ」
傍で誰かの声が聞こえる。
良い匂いもする。香水というよりもフェロモン的なものの気がするが、俺、今眠っている最中なので細かい事は分からない。
「一晩世話したならもう良いでしょう、シリアルナンバー001。食堂が開いて、コイツを放り込んだらタスク完了にして」
傍で誰かの声が聞こえる。
具体的には十センチ先。瞼を閉じている俺には、そこに誰がいるのか分からない。ぐー。
「緊急回線の割り込み? ……はァ?? 女子寮に侵入者警報。どこの馬鹿よ。…………男子共……はぁぁ」
俺は柔らかいベッドで眠っている。寝心地はとても良いが、二人用ではないのでかなり狭い。寝返りをうった腕が、一緒に眠っていた者の頬に触れてしまう程だ。
まあ、俺は自分の意思でここに寝かされている訳ではないのでオールオッケーだろう。合法。無罪確定。白々し……白である。眠っているので鏡を見れないものの、俺の顔はまるで漂白剤で顔を洗ったかのようにツヤツヤしているはずである。
「まさか、コイツを取り戻しに。何たる無意味な。同種同士の助け合いって奴? それで星姫区画の外周セキュリティ突破するなんて、むしろ警備の怠慢じゃない。……三百秒後に地下第一層を突破? 寮の警備は017と018がいるのに慌ててどうするのよ。……私? 私、知らない。権限制限されたままだし。知らないから。もう寝るっ」
どこかと量子通話していたらしき隣の誰かさんが一方的に回線を遮断した。直にスリープモードに移行して、寝息を付き始める。
「…………特優先S級コードゥ……クソくらえェ……」
うむ。流石は超高度AIである。寝言を言っちゃうんだ。
「諸君、男子寮諸君! 我が親愛なる同胞達よ! 太陽さえ昇っていない早朝だというのにすまない。しかし、我々が眠っている夜の間に重大な出来事が起きているのだ。眠っている場合ではない!」
男子寮の共用スペースには、いつになく真剣な面持ちの男子生徒三十人弱が全員集合している。彼等が真剣な顔をしているだけでも不気味であるが、彼等が午前三時に目を覚ましているのも不気味である。
男子生徒を招集したのは、先頭に立っている大和だ。
二人部屋の同居人、武蔵の不在に気付いていたのは彼だけなので必然と言える。
「昨日、武蔵の奴が帰って来なかった」
男子生徒の真剣な顔付きが一瞬で崩れ、またかよ、的な楽観が多数漏れ出る。
「昨日の段階では、寮母システムからまた入院したと連絡があったため気にしていなかった。だが、俺は迂闊だった。大事な友を、一緒に研究所で培養された輩の安否をっ、きちんと裏取りするのを怠ってしまった。くッ」
「何が……起きているんだ。大和っ!?」
奥歯を噛み締めて心痛に耐える大和。
話の続きを促そうと、上野が片脚立ちになって詰め寄る。
「武蔵の奴の現在位置は……星姫区画の地下、女子寮だ」
空気が絶対零度まで冷えた。
シベリアの極寒地帯よりも凍えた共用スペースが静まり返る。三十人近く人が集まっているというのに、心臓の動きが止まっているかのように誰も動かない。
それでも、生物である彼等には呼吸が必要だ。
次の息を吸うタイミングで皆は動き出す。
「う、嘘だ!?」
「そんなっ! 武蔵に限ってっ」
「大和の馬鹿野郎がッ。友達を信じないのかよ!」
拒絶的な事実の否定をしようと大和に対して非難が集中する。世界各国で『凶弾』の情報が一斉に開示された日のように、日常を崩された者達が日常を取り戻すべく、真実を告げる勇気ある者を糾弾する。
「星姫区画の職員に熱心な星姫カードのコレクターがいる。俺の資金源の一人だ。彼を通じて得た情報だから間違いない」
「そいつが、嘘を言っているんだァ!?」
「シリアルナンバー009、玉蜀黍の隠しレア、その印刷エラーカード。末端価格一千万円のカードと交換して得た情報なんだぞ! 嘘な訳……ないッ、だろがッ!!」
否定の言葉は即時否定された。大和の覚悟は既に終わっている。
「水着姫、玉蜀黍のレアカード。しかも印刷エラーってお前ッ?! いくら大和の豪運でも二度と手に入るか分からないカードを、武蔵のために、手放したのか!」
「ああ、そうだ」
「大和は友達のためなら、そこまでするというのか」
「ああ、当然だろう」
大和は大金を支払う覚悟を持って武蔵の現在地位を特定した。その意気込みは本物。もう誰にも武蔵が女子寮にいる事実を否定できない。
「俺は、武蔵を助け出したい! 武蔵の手から我々の星姫候補達を救いたい! そのためには皆の協力が必要になる。危険を承知で、皆の力を借りたいんだ」
大和は一緒に育ってきた仲間達に頭を下げた。
「頼む。お願いだ! 武蔵が星姫候補の子達に手を出す前に、一緒に武蔵を葬ろう! 奴に世紀末は訪れない!」
再び、部屋がしんとした。部屋に意思があったなら「こいつ何言っているんだ」と冷静に呟いた事だろう。
「う、うおお! やってやる」
「友の頼みだ! 裏切り者の一人や二人、人工島の藻屑にしてやるぞ!」
「全員装備を整えろ! スサノウ計画ESP連隊をここに再結集させる。サイコキネシス系、集合! クレアボイアンス系は偵察部隊として即時出撃だ。時間がないぞ。ハリーッ、ハリーッ!」
男子寮の男子は早朝から一つにまとまった。元々、生まれる前から遺伝子調整された少年達である。荒事に対する適性はただの学生の比ではない。
複数の超高度AIにより警備されている女子寮は世界で最も難攻不落の要塞の一つであるが、男子寮の三十人弱は生来の特殊能力を最大限活かして無謀に挑戦する。
「皆、ありがとう。あり、がとう」
「泣くな、大和! 泣くのは武蔵をボコった後だ!」
「ああ、そうだな。行こう、皆!」
こうして、超高度AIとESP調整デザインチャイルドの最終戦争が開始された。
男子共が星姫区画の地下第三層、女子寮へと到達するまでの通路には、武装ドローンやサイコロステーキレーザートラップが多数配備されている。学生はもちろんのこと、人類ごときが突破できるはずがない。
「ゴーゴーゴーッ。讃岐、未来予知だ。薩摩、瞬間移動で背後を盗れ!」
「俺達は、諦めない!」
「俺達を、武蔵はっ、待っているんだ!」
だが、仮に道中を突破できたとしても女子寮の手前で彼等は終わる。最強の門番、星姫のプロトタイプを転用した全長十メートルの防衛機動兵器が立ちはだかるからだ。
しかも門番は二体。それだけでも絶望的であるが、男子生徒達が絶望するにはまだ早い。
門番二体は女子寮の生徒、つまり、星姫候補がダイレクトコントロールしているのだ。人類救済のために製造された世界で最も知能指数の高い二十五体。その内の二人が直接女子寮を防衛していた。
ようするに絶対に男子共では突破できない。
彼等の友を思う旅は、ここで終わる。
「本当に来ちゃったの!? 非殺傷って逆にムズいのに。017、エンゲージ」
「手加減の必要なし。ふ、丁度良い。今なら特優先S級コードを優先して三原則を無視可能。事故で殺処分できる。018、エンゲージ」
「来たぞッ。サイコキネシスを全開にしろ! 駆動系を狙うんだ!」
「近接対人兵器ッ。うぉおおおッ」
「たった一人でも生き残れば良いッ。女子寮に行くんだ!」
十メートルの女神を相手に生身の少年達が立ち向かう。それは、まるで神話の中の出来事のよう――、
「一人だけ良い思いをしている武蔵の野郎をッ、討ち取ってやるッ!!」
――実際は世紀末の馬鹿騒ぎ。
少年達は機械では演算できない超自然的な力を用いて、一億馬力の機動兵器と互角に戦う。宇宙で隕石を破壊するために設計された星姫と同じ強度の装甲が、パイロキネシスによる加熱によって融解した。
脱落していく女神のメカニカルな片腕。
「ちょっと018、対人兵器はヤバい……パワーダウン、はぁぁあ?! 嘘よッ」
「ひィ、こ、こないでッ」
対人用の小型鉄球が吹き荒れる中、少年達は獰猛に追撃を加える。
「力負けして、このままだと女子寮まで押し込まれる」
「こちらシリアルナンバー018、鰐梨。至急増援を、増援をッ。こちらシリアルナンバー018。至急増援を。早くしてよッ。ひィ、い、いや。助けて、助けてッ!!」
現在時刻は朝の六時。
おはよう。星姫学園の生徒達は今日も元気です。