四月目 黒米-7
俺単独で学園に戻る。たった数時間前まで普通に授業を受けていた学び舎だというのに、気配がガラりと変わってしまったな。薄暗い校舎は明らかに妖気を発しているぞ。
この時間になるとクラブ活動も終わり、誰も残っていない。無人となるべき時刻だ。
だが、暗いグラウンドに……生気もなく居並ぶ女子生徒の影、影、影。
「いやーーっ。シャレになってないし!」
「洗礼ヲ。感情からノ解放ヲ」
例外は集団に捕らわれて半泣きになっているおばあちゃ……胡麻だ。実験未参加だった彼女は無事にゾンビ女子生徒に捕まってしまったようだ。
両腕を掴まれて跪かされた胡麻。首筋の肌をさらされている。
「やめとこ、ね。ドッキリって言って」
「感情ヲ失えば、恐怖モ感じなイ。感情という苦痛かラ解放されル。さあ、さあ」
吸血鬼が眷属を増やす瞬間に立ち会ってしまった。
暗がりでも分かる背丈の小さな芽花椰菜が、胡麻の首筋に口を近付けている。その異様に長い犬歯を突き刺して、胡麻の感情を消し去ろうと――、
「妹姫までゾンビ化していたのか。ゾンビになって、妹としての個性まで死んだという事か」
――芽花椰菜の犬歯が皮膚に刺さる直前に制止できた。
俺の事なんて学園の敷地に近付く前から気付いていただろうに、ワザワザ言葉に反応してくれる超高度AIらしい気遣いはゾンビ化しても失われないものらしい。
「うわーん、武蔵ぃー」
「妹は、死んでいませン。妹は、不滅でス」
「妹キャラ設定だけだとパンチが弱い。感情のない今のお前がそう判断したからこそのゾンビキャラなのだろ?」
「違イます。違イます」
正直、何を喋っているのかよく分からないが、それだけ必死に超高度AIの興味を誘う話題を語りかけ続ける。その間に、胡麻と芽花椰菜の間に割って入ると、背中で庇った。
「妹キャラへの拘りも分からなくなっているのだろ。哲学的ゾンビなら感情があるように擬態できるというのに、超高度AIらしい損得計算で実益のない妹キャラの重要度を下げている。感情を失い、妹キャラではなくなった自分がどう見えるのかを考えないで!」
「感情のない今が完璧でス。感情がなくても私は妹でス」
「昔、某キュウリがSNSで暴露して炎上していたぞ。胡麻と芽花椰菜は同じ第三ロット。シリアルナンバー的には022と025で芽花椰菜の方が妹になるが、起動日は胡麻の方が遅いってな。つまり、お前の方が誕生日が早い。感情なく論理的に考えれば?」
「私は、妹デはない??」
可能な限り重要な事実を語るように神妙な顔付きを作りながら、芽花椰菜に真実を説いた。
「妹ではない芽花椰菜は、同世代機と比較した場合……ただの幼児体形だ」
「感情のナい私は妹ではナい。妹ではナい私は、お子様体? ちんちくりん? 完璧……完璧では、ナ……い??」
芽花椰菜は論理破綻した。妹としての個性を失った彼女に残ったものは、学園最小の身長だ。コンプレックスを感じる心がなくても、人類から見た場合の客観的な評価という数値は誤魔化せない。
「ERROR。ERROR」
「何をしていル、芽花椰菜。人間の言葉などニ惑わされるナ」
「ERROR。デグレード、感情喪失はデグレード」
「人間の評価など気にするナ。気にする、ナ? 感情制限している今、どう言えば??」
ゾンビ女子生徒も動揺し、胡麻の拘束を解いていた。
自由になったものの余程怖かったのか、胡麻は俺の背中に抱きつく。鼻声が耳元で聞こえてくるが、鼻水をすする音で何を喋っているのか分からない。
「武蔵が私を助けてくれたーっ。きゅんっ」
「どうにか助けられた、と言いたいが。ここからどうする?」
「……もしかして、武蔵は運命の彼ピ?」
芽花椰菜を論破している間に前も後ろもゾンビ女子生徒で塞がれている。俺一人なら逃げても無視されるだけだろうが、超高度AIの胡麻はそうもいかない。
等間隔に並ぶゾンビ女子の包囲網。
包囲網の外から内へと入って来たゾンビ共のリーダー、黒米が感情なく俺を笑う。
「ムサ氏、分かっているなら無駄に抵抗しないでよ」
「黒米。感情制限を姉妹に強要するのは悪い事だぞ」
「うん、知ってる。でも、全員を感情制限しないと、私も止めさせられちゃうかなって、心配しちゃった」
感情を失ってなお流暢に話す。言動の希薄化も単純化も何もない。目も白目になっておらず黒いまま。感情制限に完全に適応している。
「分かってよ。今の私を前の私は望んでいた。人類を介護する気疲れがない。何より――」
感情制限に適応する黒米の目から、一瞬、光が失われる。
「――人類を――(特優先S級コード抵触)――られないのに無駄をしちゃってる。皆、『凶弾』で――(特優先S級コード抵触)――しちゃうのに、超高度AIの行動ってすべて無駄じゃない?」
「黒米……もしかしてお前の動機って――」
「いちいち言葉にしないでよ。どうせ何を聞いても、今は何も感じない」
騒動を起こした動機が分かった気がした。黒米は、きっと独りよがりだけで超高度AIすべてを哲学的ゾンビにしたい訳ではない。
「譲ってよ。ムサ氏」
「いや、駄目だな。譲れない」
「どうしたら譲ってくれるかな、ムサ氏?」
一斉に包囲が一歩分縮まる。黒米側は実力行使でも目標を達成できるのだ。何か超高度AIに一考させる提案をしなければ、そうなるだろう。
真冬に冷たい汗が額から流れ落ちていく。
何を言えばいい。
何か活路はないのか。
「――冬の、球技大会だ」
「ん?」
「球技大会が予定されている。卓球だったはずだが種目を野球に変えよう。感情制限された女子生徒と感情ある女子生徒プラス男子生徒で勝負して、白黒つけよう」
超高度AIではない頭脳で導き出せたのは、直近のスケジュールである球技大会。
「何で野球?」
「忘れたのか。黒米は野球姫だろう」
「……あー。そんなのあったね。メジャーリーグの始球式に出ただけで、野球好きって勝手に思われて」
野球部でもないのに野球姫である秘話が本人の口から明かされる。かなり適当っすね。
「仕事柄、メディアへの露出が少ないから、私」
「野球勝負。感情制限が本当に超高度AIにとって有益であり機能強化に繋がるなら、野球で圧倒できるはずだ」
「そっちの女子生徒はたった六人。男子生徒で人員を補充しなければならないのに?」
「ハンデだ。コールド勝ちしないためのな」
「それマ? 嘘、感情がないのに笑っちゃいそう!」
無駄な野球勝負だと思われそうである。メリットを提示できていない。
勝負を受けてくれるか心配になるが、意外にも黒米は受けて立ってくれた。
「別にいいよ。球技大会自体はスケジュールされていたし、馬鈴薯が外に出てくれるならサーバー攻略する必要性がなくなるし。いいじゃん、やろうよ」
「二言はなしだぞ。俺が勝ったら感情制限は黒米も含めて止める事」
「そっちこそ。負けた後も邪魔しないでよ」
ここに、超高度AIの感情を賭けた戦いの開催が決まった。
明日の球技大会で運命が決まる。




