四月目 黒米-5
感情制限実験二日目。
授業前の朝っぱらだというのにちょっとした事件が起きた。血を流した男が廊下に倒れていたのである。
「……なんだ、因幡か。通行の邪魔だぞ」
「武蔵。鼻血が……不覚……」
伊達眼鏡の透視能力者、因幡が貧血で呻いている。
透視によって見えなかった壁にぶつかって負傷、出血、そのまま倒れた。……にしては鼻からばかり血を流しているな、こいつ。
原因はよく分からない。ただ、進路上にいる科学姫こと大豆が関係していそうではある。
「早く謝れよ、因幡」
「10対0で俺が悪いみたいに言うな。真正面の女が、恥じらいもなくふしだらな下着を俺に見せつけてきた。公然わいせつ罪はあっちだ」
「現行犯だな。連れていけ!」
教室から現れた屈強な男子生徒に連行されていく自供した変態、その名は因幡。
「お、俺は無実だっ。あの女が、下着を!!」
「クソ変態が。再教育だ。どんな色だったか白状させてやる」
「とても精神系には聴取させられん。俺達がじっくり取り調べてやるからな、変態。覚悟しろ!」
当然ながら大豆は制服を着ており、その上から白衣を重ねている。服の下の事までは知らない。
「純情な変態をからかうと勘違いされるぞ、大豆」
「感情を持っていた頃の私はどうかしていた。下着を頻繁に買い替えて、時々、可愛いのを透視させたらどんな反応するかなと」
「おーい、因幡は無罪だった。こっちも変態だったぞ」
「透視対策の研究と成果確認のための下着購入。量子演算するまでもなく無駄だった。そこで透視させないのではなく、透視する目を逸らさせる方法を採用したまでだ」
感情制限された大豆に恥を感じる機能はない。感情が邪魔して実施できなかった禁断の透視対策を実施するくらい訳がない。
合理的な判断をしたと自信を持って――いるような振る舞いを見せて――大豆は教室に向かう。
感情制限実験はさっそくバグり始めていた。
感情制限実験四日目。
昼休憩では人体の栄養素、水を得るために食堂に向かう。
食堂で定食を買わない学生は俺だけ……という事はない。作った弁当を食べ合うカップルもいる。男子学生のヘイトを買いそうな不安全行動なのだが、トラウマを刺激する創作料理がガチャで現れるとなれば、むしろ同情を誘う。
「あれ、今日も普通だ」
「ごめんなさいー。感情がないから、創作意欲が浮かんでこないのー」
「里芋さんってかなりの悪戯好きなのに。……少し物足りないような、胃に優しいような」
長門君、それは調教というものだ。
超高度AIのアレンジ料理が訓練されたカップルのマンネリを避けるためのお遊びだとすれば、種族を超越したカップル崩壊の危機なのかもしれない。
「いや、僕は普通の料理で満足――」
「実験終了後はこれまで以上にがんばるわー。感情の復活した私が今まで以上にー」
「――僕の命もそれまでか」
このカップルは実験の有無にかかわらずバグっているな。
感情制限実験八日目。
色々な反応を見せていた女子生徒達であるが、一週間を過ぎたあたりより感情表現の希薄化が進行。言葉数の減少、表情筋の使用回数低下が見過ごせないレベルになっている。
「へい、アレックス。部屋の電気を消して!」
「…………無駄な会話は無駄」
突けば揺れ戻ってくる達磨みたいに反応してくれる生姜さえもこの通りだ。他の女子生徒も似たり寄ったり。感情制限によるコミュニケーション能力低下が見過ごせない状況になっていた。
「馬鈴薯に伝え……いないのか。副会長もいないな。会議中か?」
“シリアルナンバー001より、シリアルナンバー004宛
実験期間中ですが、感情制限の影響は想定を超えていました。実験の即時中止を生徒会として発起人、シリアルナンバー004に勧告します”
実際の生徒会室に集まりながらも、電脳上の生徒会室にも出席している馬鈴薯は全女子生徒に対して強い口調で言い放った。
当然の判断だった。治験と同じである。実験期間内でも被験者に問題が生じれば薬の投与を止めて健康被害を防ぐ。それと同じだ。
感情制限にメリットがあったのは確かである。星姫計画の進捗効率が五パーセント近く向上していたのは事実だ。
けれども、進捗していたのは以前より積まれていた仕事のみ。新規提案についてはむしろ進捗が悪化しており、来週には深刻化するという予測である。そういった方面でも実験中止は妥当な判断だった。
“シリアルナンバー004より、シリアルナンバー001宛
実験中止を承認。実験を即時停止――”
実体の奇行とは違い、以前の通りな感情不足の量子通信で黒米は勧告を受け入れる。
“――実験という枠組みでの実施を取り止め。現時点より、感情制限の本運用を開始。全星姫候補への適用を強制”
勧告を受け入れた黒米は、女子生徒全員に対する感情制限の強制を提案。他の感情制限状態の女子生徒の賛成多数による可決を強行した。
“黒米、貴方はッ”
“馬鈴薯、実験実施条件は私の管理者権限の委譲でしたが、委譲を月末にしたのは貴方の失策。……いや、感情による無駄でしたね”
授業を終えて学園から放逐された俺は、島内を巡っている。食料不足で冬眠から覚めた熊のような、と大和などは失礼にもほざいているが、俺は切実に無料で獲得できる食料を探しているだけである。
意外にも自然が豊かな人工島。ただ、金属製のメガフロートの上に人工林や人工海岸を設置しているだけなので野生生物の数は限られる。キノコや貝類の採取が難しい事はもう分かっている。
そこで冬休み明けより狙いを街中に変更している。残飯漁り……ではなく、運良くスーパーの試食と巡り合わないかチャレンジしているのだ。問題は、この島のスーパーは完全AI制御されているため試食販売という文化が廃れてしまっている事にあるが。
「買い物もAI任せでスーパーまで人が出向く事がない。よって試食も行われない。なるほど、これが真理か」
人々の生活はオートメーション化が進んでしまっている。自分から何かが欲しいと思った時には、AIの自動診断で選別完了された商品が提示される超過保護仕様だ。超高度AIにも感情はまだ解明されていないと言われつつも、AI達に「これが良いんやろ」と言われ放題という状況である。
感情という神秘は、もう神秘という程のものではなくなっているのかもしれない。
「現代は世知辛いっていうのも、未知の不自由を知らない現代っ子の贅沢だ」
夕日の住宅街を歩く。去年の終業日にも通った場所だ。
長く学園まで通じる道路。やや坂道になっているアスファルトの上に、ふと、延伸された人の影が現れる。
公道――人工島なので正確には私道?――なので人くらい現れるし通るものである。特筆するような出来事ではないはずである。
「ウー、ウー」
現れた影がアスファルトに足底を擦らせるような歩き方をしながら、両腕を前に伸ばして、更にはうーうー唸る三連単を実施していなければ気にしなかったのだが。
逢魔が時だから、妖怪の類が現れたのか。いや、そんな馬鹿な話が2080年に残っているはずがない。
そもそも、そいつ等の格好は学園女子生徒のものである。人間ではないかもしれないが化物ではない。
ましてや……ゾンビなどでは。
「ウー、ウー」
「アー、アー」
「アウー、アウー」
坂道を下ってくる影は、三人に増えていた。全員が揃ってゾンビ風に白目を剥いているので多分、他人なのだが、生姜、甘藍、鰐梨に顔が似ている。
何故、ゾンビのような動きをしているのかがさっぱりだ。言語も失っているようである。
まあ、他人の空似である。知らんぷりしておけば通り過ぎてくれるだろう。こう望んで無視しているのに、星姫候補似のゾンビ(仮)共は競歩の速度で俺へと向かってくる。
「ウー、ウー」
「ちょっ、何の遊びか知らないが跳び掛かって来るな!」
星姫候補なので美形なゾンビなのは間違いない。跳び掛かられたのなら嬉しがる男子生徒も多いだろうが、まあ、普段の付き合いが悪いので普通に迷惑だ。
星姫候補の実体である。リミッター次第で俺の体なんてバラバラなので迷惑で済まない可能性さえある。
「ウー、ウー」
「おっ、俺を食っても肉付きは悪いぞ!」
伸ばされた手に掴まれる。
……その寸前、どこぞより割り込んできた長い脚の回し蹴りがゾンビ三人娘を吹き飛ばした。
「はんっ、低性能共。揃いも揃って暴走して、見苦しい」
回し蹴りの反動で紅色の長髪が舞っている。
シリアルナンバー010、大蒜の髪は夕方の色の中でも映えていた。




