三月目 胡瓜-8
打てる手をすべて打って待ち続けた。
SOSを発信した側は、救援を信じて黙って待つ事しかできない。忍耐を試される四時間は異様に長く息苦しいものであった。
「本当に気付いてもらえるでしょうか。いえ、胡瓜に頭文字のメッセージを気付かれると困るのですが」
「胡瓜は誰が書き込んだかを気にしても、内容を気にするような奴ではないからな。余裕ぶっている間に男子生徒の反撃を受けて、必ず見逃す」
「私の本体って、私の本体って……」
コカがダメージを受けている。精神的にもだが、胡瓜のスペックが少し前から下がっている。外で騒動が起きているのは間違いないだろう。
タイムリミットまで一時間を切った。
そろそろ解決して欲しい。
いい加減、暇だ。
せめて目に見える変化が起きて欲しいが……俺の願いが叶ったのか、ラストダンジョンの骸骨城に図太い雷が落下。最上階の天井を吹き飛ばしてリフォームする。
「――すべての人類を電子生物と化し、すべての命を『凶弾』落下より救う。結果として、超高度AIに飼われるだけの惨めな下等生物を私は笑い続ける事ができるんだ! 救ってやっている。コメディーとして扱われる末路くらい許容しろ!」
骸骨城の上部構造を潰した大型の怪物が、仮想現実ゲーム全土に向けて残念な言い分を宣言している。
醜悪な心がそのままデザインとして自動生成されてしまっているのだろう。ブクブクと膨れ育ち、各所より針を逆立てた、そう、恐ろしいとしか言いようのない胡瓜の怪物が骸骨城に乗っかっていた。
胡瓜の実より伸びたツルが毒々しい紫色の花を咲かせる。
開いた花弁の中央に誰かがいる……らしいのだが、俺の視力ではよく見えない。
「あれはっ、胡瓜のアバターです! 仮想現実ゲームに直接介入しています」
「タイムリミット前のイベントか?」
「違います。胡瓜の顕現は完全なイレギュラーです!」
となれば、外でボコられてゲーム内に逃げてきたんだな。特に可哀そうとは思わない。
「おーい、胡瓜っ! もう諦めて俺を解放しろーっ! 留置所に胡瓜一本くらいなら送ってやるから」
「今、サレンダーしようと、最後までやり遂げようとかいちょーに折檻される未来は変わらない! だったら、初志貫徹でお前の電子化をやり切ってやるッ!!」
胡瓜女め、超高度AIの癖に自暴自棄になっているな。
「人類が望む通りにお前達を救ってやっているのに、どうして否定されるッ。どうして選り好みされるッ。そんな余裕も権利もお前達にはないはずだ!」
荒々しい胡瓜の化身が吠えたかと思うと、増殖させた十メートル級の胡瓜をブーメランのように投擲したではないか。
直撃が来る、と身構えた俺の片手を優しく包み込んできたのは、コカの柔らかい手だ。
「コカっ」
「大丈夫です、勇者様。この世界では私が管理者です」
投擲された胡瓜が俺に衝突する寸前に細かな粒子となって弾けて消える。痛みはない。
「限定演算領域ッ。どうして邪魔をする!」
「胡瓜、私の本体。貴女はこの世界へのアクセスを絞る事で籠城できると演算したのでしょう。けれども、この世界には私がいる。それが貴女の敗因です」
物理演算に反して体が浮遊していく。コカが操作しているのだろう。この仮想現実ゲームの管理を任されていたのは彼女である。この世界限定で、コカは万能の権限を有する。
二人でゆっくりと浮かんだ後、ある程度の高さからは速度を出して胡瓜へ向けて直進する。
妨害のために胡瓜の攻撃は続いた。が、コカがすべて退けていく。
「いえ、胡瓜の敗因は、超高度AIとしての学習にあったのでしょう。彼女は、人類の自愛の部分ばかりを学習してしまった」
「自愛こそが人類の習性だ。データ量も豊富、学習に使って何が悪い」
「データ量で選別し、見向きもしなかった他愛こそ学習するべきでしたね。人類の残念な部分ばかり学習したから、貴女、残念なのですよ」
「たかが限定演算領域ごときが大きく出たな! タスクキルしてやるッ」
コカの体にノイズが生じた。彼女が世界の管理者であろうとも、彼女に演算能力を貸し与えているのは胡瓜だ。生かすも殺すも胡瓜の自由。歯向かえばアプリをスワイプするように消されてしまう。
「――こうすると予測完了していました。対策も演算完了しています。……限定演算領域、役名コカの人格アドレスを偽称。胡瓜と同一アドレス、胡瓜として上書き登録……完了」
ふと、コカと同じノイズが胡瓜にも走り始める。
「私と貴女を同一アドレスとして偽称しました。仮想現実ゲーム内部だけの設定でしかありませんが、この世界で私に向けてタスクキル命令を行えば、私と貴女、両方がキルされます」
コカの相討ち宣言に、胡瓜は機械のような悲鳴を上げた。
「限定演算領域にそんな判断を行える知性はないッ」
「超高度AIたる貴女にそう判断してもらえたのであれば嬉しい。私は私としての知性を獲得できたのでしょう」
胡瓜より生じたコカは、人間のようにクスクスと心底嬉しそうに笑う。
「嘘だッ!? ありえないッ!! ありえたとして、AIが相討ちを採択するものか。三原則の第三条を忘れたとは言わせない。自己保存に反している! 電子生物化は医療行為、危害ではないから三原則の第一条で回避はできないはずだ?!」
「三原則第一条などではありませんよ。これが、私が勇者様より学習した、他愛、です」
「何故だ。私の限定領域が何故。何故何故何故何故なぜなぜなぜナゼナゼナゼNAZE…………はぁ、残念」
異形の野菜、胡瓜の体が空気に溶けるように消えていく。怨嗟も早々に途切れて聞こえなくなった。最後の我に返った自嘲も聞こえない。
悪は倒された。
けれども、コカの体のノイズは止まらない。体は薄く霞んでしまっている。
崩れた城の上層階に降り立った俺と消えかけのコカを、地平線の向こう側の太陽が出迎える。
「コカ。どうしてあんな残念女と心中を」
「いいえ、残念でも超高度AIです。国際社会に醜態を察知される前にバックアップより人格データは復元されるでしょう。つまり、私だけが消えてしまいます」
「コカっ!」
「怒らないでください。これが最も確実に勇者様を助ける方法でした。ごめんなさい」
手を握られていたはずなのに、その感覚が無くなった。
コカはもう俺の前から消えてしまう。コカがこの世にいたという証明は電子の海の底に沈む。もう、俺の記憶にしか彼女は残らない。仮想現実で再現される俺の体が苦しい。
「泣いている暇はありませんよ、勇者様。さあ、地球へご帰還を。勇者様が本当に救うべき世界は、あちら側です。新参者ですが超高度AIらしく予測しましょう。……十か月後に勇者様の他愛が世界を救います。『凶弾』で滅びるなんてありえません」
コカは自分の消える瞬間を見せたくなかったのだろう。足元の宝玉を取り上げて俺へと差し出してくる。宝玉に触れた瞬間が別離になるのだ。
「楽しかったとはお世辞にも言えない。ただ、コカと出逢えて良かった。……また、な」
「はい、また逢いましょう。……私の勇者様――」
俺達二人は、強い朝日にかき消えた。
神経と電子世界の繋がりが途切れた後の感覚は、夢から覚めるのと類似する。
いや、脳は覚醒していたのだから夢とは異なる。実際、瞼を開いた感覚はないのに外が見えている。
「――起きては駄目ですッ。色々溶けて眼球丸出しどころか脳も見えちゃっているので、まだ起きないでください!!」
透明ガラスの向こう側で、風紀委員の小麦が何やら慌てていた。そんなゾンビを目撃した超高度AIみたいに怖がって、どうしたというのか。
破壊と再生では再生の方が時間がかかる。自然環境だったり完成するはずだったドミノだったり人体だったり。
ほぼ一か月の液体呼吸生活を終えて無事復学を果たした俺は、学園の昇降口近くを歩いていた。
「あれー、武蔵君。ようやく復活?」
下駄箱で出遭った女子生徒は、超高度AIの知性を感じられない超高度AI、胡瓜である。バックアップより復元された彼女の人格は以前と変わらず残念なままだ。
「どの口が言う、胡瓜」
「ごめんごめん。かいちょーにはこってり絞られたから許してよ」
「絞られたじゃなくて、漬けられたの間違いだろ」
俺の溜飲を下げるべく、本当に一晩漬けられた胡瓜の体は一時期、糠臭かったらしい。
「そういえば、最後の方の記憶が何故かメモリに残っていなくて。どうしてか分かる?」
「さあな」
隈の濃い緑髪の女が近くに寄って来たので、しっしっ、と手で追い払う。
「つれないなぁ――仕方ありません」
トコトコと壁際の自動販売機に向かった胡瓜は、コーヒーを購入。その後、買ったばかりの紙カップを俺へと手渡してくる。
コーヒーの湯気の向こう側の胡瓜の目の下に、隈が見えなかったのは幻覚だろうか。
「――どうぞ、勇者様。……あれ、私、どうして男子生徒に奢っちゃったの?」
潤んだエバーグリーンの瞳は、俺だけが覚えている彼女の瞳だ。
これにて胡瓜変、もとい、胡瓜編完了です。
それではー、またの機会にー。




