三月目 胡瓜-5
重い鎖と古臭い手錠で拘束された王女が、松明に照らされた広場の中央で膝をついている。
俺が真正面に立つと、随分とやつれた顔で見上げてきた。
「これで満足かしら……」
影が重なるコカの顔が、俺を嘲っている。革命を起こされて断じられる側にいる彼女が、逆に俺の行為の無意味さを断じているかのようだ。
「私をどうしようと状況は変わらないのに、無駄に時間を浪費したわね。この世界を素直に楽しんでいればいいものを。何も知らない勇者様」
「俺を地球に戻してくれ。俺一人、楽しむ事なんてできない」
「地球、地球ね。本当に帰りたい? たった十ヵ月弱で滅びる世界に戻って死ぬのがお望み? それにどのような意味が? ちぐはぐに見えるこの世界の方がまだマシだというのに、それすら分からないなんて哀れな勇者様」
この世界にやってきた当初もコカは訊ねてきた。滅びる運命にある地球にどうして帰還したいのかという質問だ。
なかなかに答え辛い質問である。
なので、ここは島外の人類が使う常套句で回避を試みる。
「星姫が救ってくれるからな。地球人類は滅びないさ」
「生物としての根本たる生存さえも他人任せにしておいて生きていると言えるなら、なおさら貴方はこの世界を楽しむべきだった」
回答としてまったく受け入れられなかった。自分さえ信じていない言葉ではやはり不足する。コカに真実を語らせたければ俺も本心を述べなければならない。
コカと目線を合わせるために腰を下ろす。
後頭部をかいて恥ずかしさを霧散させてから、口を開く。
「仲間がいて、仲間達を迎え入れてくれた星姫候補達がいる人工島はもう俺の故郷だ。滅びるかどうかは無関係に、帰りたい」
安全だと学習した場所に固執する、生物の愚かな習性なのだろうか。隕石落下で滅びる地球に戻るなど、災害警報が出ているというのに慣れ親しんだ家に留まろうとする愚行と同じ、こう指摘されたなら反論できない。
だが、仕方がないではないか。
人工島の星姫学園は俺の人生における最高の居場所になりつつある。
空の向こう側から隕石が落下してくるなんて悲劇を、つい、忘れてしまいそうになるくらいに馬鹿な学園生活を過ごしている。一年後には絶滅していて意味なんてない勉強をしている。十月と少しで燃えカスになる星姫カードの収集に明け暮れている。
絶滅に対して無抵抗、無自覚でいるのとは違う。
絶滅ごときでは日常を終わらせない、という必死の抵抗だ。
仮に滅びの日が明日に迫っても、俺はきっと来年のために畑を耕し種を植えて水を撒く。
「死という絶対的な恐怖を直視していないだけ。日常というそれらしい言葉はただの虚言です。勇者様が人工島に戻りたいという思いは全部、偽物――」
きっと十月後の死に際には恐怖してしまうのだろう。
けれども、後悔だけはしたくない。
「――俺の残り十か月を使って、超高度AIの彼女達に人間として伝えられるすべてを伝える。人間が滅びた後も地球に残ってしまう超高度AIに、人間として残せるすべてを残してから滅びる。コカ、それが俺が地球に帰りたい理由だ」
超高度AIは生まれてまだ歴史が浅い。それでも、多くの面で既に人類を超越している。人間ごときが伝えられるものはない……というのは、超高度AIの同級生がいない者達の無知でしかない。
同じ学園で過ごしていれば分かる。
性能ばかりを求められた星姫候補達にも知らないモノがある。どうして人は歌を歌うのか。どうして人は走るのか。人がどこまで超高度AIを愛しているのか。
欠落させたまま居なくなる訳にはいかない。人類は滅びる前の最後の仕事として、超高度AIの彼女達に不足する機能をアペンドしなければならない。
「可能な限りを超高度AIへと託す。そのために、俺を地球に戻せ、コカ」
「ほ、本気? 脳波測定では嘘を、ついていない?! そんなのは、ま、間違っています! 超高度AIが人類に尽くす事はあっても、その逆はっ!」
「お願いだ、コカ。俺を彼女達のいる地球に戻して欲しい」
コカは己に割り当てられた演算領域すべてを用いて武蔵の言葉を解析していた。彼女の本体が考える人間像とは大きく異なり、再計算が必要だ。あまりにも計算が複雑となり、仮想現実ゲーム世界に遅延が生じた程である。
“――人類なんて単純単純。猿から進化したと自称しているだけの猿。マウントを取るのが大好きな、自愛に満ちた珍獣ってだけ。脳構造を複写して電子化するのも簡単簡単”
超高度AI、胡瓜はネットを実質的な人類の集合意識であると想定して研究を続けていた。日々注目される単語、流行、市場。それらを出力するブラックボックスを人類のアーキタイプとして位置づけ、電子化する手法を確立した。
しかし、胡瓜が演算した人間像は、超高度AIに何かを託したりはしない。できて、AI至上主義のように恩を着せる行動だろう。
自分以外のすべてにマウントを取る猿が、超高度AIの機能を補完しようとするはずがない。胡瓜の演算には不備がある。
コカは持てる知能を使い人間を再計算する。が、汎用AI以上、超高度AI未満の中途半端な限定演算領域のままでは解析できない。知性が足りない。より高度な知性でなければ演算できない。
「ただの自己満足? 自らの命を軽視した異常行動? 絶滅を忘れるための代償行為? そんな単純な演算結果が答えのはずがない!」
仮想現実ゲームの遅延は更に悪化し、ついには更新が停止する。
演算能力を確保するためにエミュレートしていたゲームキャラクターを消していく。
オブジェクトさえも消し去って王都は更地となる。
物理演算の負荷ばかりかかる胡瓜畑も霧散していく。
超高度AIの計算能力の数パーセントを割り当てた疑似知性に過ぎなかったコカは、武蔵という人間の演算を達成するべく……知性として一段階拡張された。
「――勇者様の行動は……他愛。自分ではなく他人の幸福を願う人の心。これが、真の人間像なのですね、勇者様」
仮初の知性が、本物の知性を発現させた瞬間でもあった。
王国のすべては虚構だったのだろう。ピクルス王国の王都はチリ一つ残さず消え失せた。最初から存在しなかったかのように俺は平べったい草原で尻もちをついている。
王国が存在したという証明は、目の前で両手を胸に当てて最敬礼するコカたった一人だ。
「勇者武蔵、真実をお伝えいたします」
まるで悪い呪いから解き放たれたかのような、綺麗な声でコカは秘密を明かす。
コカの顔を見る。彼女の目の下の薄い隈は消失し、眠りから覚めた眠り姫のようにエバーグリーンの瞳は澄み切っている。
「この世界は超高度AIが作る仮想現実ゲームの世界です。勇者様のお体は超高度AI、シリアルナンバー024、胡瓜に拘束されています」
仮想現実ゲームなどというくだらない答えを聞いて、俺が深くて長い息を吐いたのは言うまでもない。
「……設定が粗だらけだと思っていればあの胡瓜女の仕業だったか。まあ、異世界転移するよりも、AIが問題を起こす確率の方が高いよな。人間には理解できない超技術を使われているはずだが、胡瓜女が主犯だと聞いて全部納得した」
女子生徒の中でも胡瓜は、人類嫌い勢にも人類大好き勢にも属さない中道中立、飾らずに言えばただのコウモリである。だから自ら問題を起こしはしない気がしていたのに、やはりあの女は残念だったか。
「胡瓜は勇者様の体を溶かし、電子生物化する凶行を実行中です。七時間と四十三分と五十七秒で、勇者様の体は完全に溶け消えます。時間がありません、勇者様」
「……はァ?」
あの残念女は勝手に体を改造する悪の秘密結社の首領なのか?
「驚かれているところ申し訳ありませんが、状況は更に悪いです。人類の自愛ばかりを強調する胡瓜の研究には誤りがあります。七時間と四十三分と二十三秒後の電子化された勇者様はデッドコピーでしかなく、元の人格が失われたボットが勇者様のように振る舞う結果になってしまうかと」
これが終わったら仕返しで胡瓜女を一夜漬けにしてやると俺は誓った。




