三月目 胡瓜-1
長期休暇特別企画、胡瓜女編の投稿を開始します。
長期休暇だからたくさん投稿できるぞ。。と思っていたらもう終わりかけになっていた悪夢。
なお、時系列は以下となります。
一月目:大豆
二月目:里芋
三月目:胡瓜
・・
十月目:人参
十一月目:竜髭菜
十二月目:馬鈴薯
「――もし、もし。目を覚ましてくださいませ」
肩を優しくタップされて覚醒を促される。
けれども、今日の俺の眠りは深い。何故ならば昨日は深夜までカードゲームやらボードゲームで遊んでいたからだ。ボードゲームでは原始人スタートでAIのシンギュラリティに一番早く到達して勝利した。調子に乗って、備後のビンゴゲーム――当然のように備後ソリューションを採用――まで受けて立ったためにゲームはハイテンションのまま深夜未明まで続いた。最後の方はゾンビのようにビンゴカードの穴を開けていたので、正直、いつ眠りについたのかさえ覚えていない。
「――もし、もし! 起きてくださいませ」
男子寮の相部屋の相方、大和にしては随分とおしとやかな囁きだ。奴が俺を起こすとすれば、音量を最大にしたパーソナル端末を時限爆弾のごとく枕元へと投擲してくるはずだ。こんな、お姫様のような声で呼びかけてくる事はない。
よって、俺はまだ眠ったままだ。
直近のトラウマ、里芋のボイスデータ“今日のC定食は私の手作り”を使われない限り目覚める事はないだろう。
「――ええぃ、起きろッ。チュートリアルを始められない!!」
突然、粗暴な声色に変化した囁き声と共に呼吸が苦しくなった。まるで加賀太胡瓜を無理やり口に押し込まれたかのような呼吸困難である。
かつてない起こされ方に生命の危機を感じた脳がアラートを発し、喉に詰まりかけた異物を吐き出……いや、食っておく。同時に瞼を一気に押し上げた。
見開かれた視界。その中で俺を見下ろしていたのはエバーグリーンの髪色をした美女である。
人類からの人気獲得のために造形された実体を有する女子生徒にも負けない、作られたかのような顔の形。こんな顔が近くで微笑んでいたならば、青春時代の男子生徒など即行で虜になってしまう。そんな美女が俺を見下ろしている。
ただ、何故か知人の残念系な女子生徒の顔を連想してしまって頬を染めるのを思い留まる。こんな事を思うのは眼前の女性に失礼なのだが、しょっちゅうSNSを炎上させている胡瓜女の顔が脳内に浮かんでしまったのだ。あの女、最近も動画チャンネルが閉鎖されたはずである。
似ているかと言われると、似ていない。あの胡瓜女は一目で分かる美人ではない。
一瞬、勘違いしてしまった理由は、美女の目に薄く隈が見えるからだろう。SNS姫の実体の目には腹黒さが滲み出ているためか濃い隈がある。この美女は単純に寝不足なのだろう。
やはり、あんな九十五パーセントが水分などというギネス級に栄養価のない胡瓜女とは別人だ。この美女は全然、残念ではない。
「残念、残念言うなッ。体の六十パーセントが水分の生物がマウントを取れると思うなよッ!」
「はっ?」
「……ご、ごほん。失礼。少し、主人格の思考ルーチンが表に出てしまいましたわ。勇者様、お目覚めになりましたね」
瞬間だけ残念女の幻影が重なった美女が、咳払いしながら後ずさる。半分嚙み砕かれた野菜を後ろ手で隠したような、キュートな後退の仕方だ。
状況が飲み込めない。
男子寮はその名の通り、男が住む場所。女子生徒の出入りは禁止されていないとはいえ朝にエンカウントする事はない。
「いや、ここは俺の部屋じゃないぞ。男子寮でもない。どこだ??」
「ここはピクルス王国の王都、ピクルス城の内部です」
「ピクルス王国? そんなハンバーガーの具材に使われる以外で使用用途を聞かない国、あったっけな」
「貴方が知らないだけでピクルスは様々に活躍を……いえ、そうではなく。貴方がピクルス王国を知らないのは当然です。ここは勇者様が住んでいた世界とは位相の異なる、別世界ですから」
別世界、だと。播磨が昔、テレポートで目指して到達できなかったはずだ。超能力を失った俺が播磨を差し置いて行けるはずがない。
「信じられないですか。しかしながら、事実なのです。貴方様は別世界より私共が召喚した勇者様なのです」
「勇者様って、そんなベタな設定……」
「設定ではありません。勇者様にはこのピクルス王国を救っていただきたいのです」
星姫学園では見た事のない石造りの空間を、俺はキョロキョロと見渡してしまう。電子機器の類は見当たらず、代わりに怪しげな魔方陣が床に描かれている。
言われた事を何一つ信じられずにいる。超能力を使えば視覚情報を誤魔化す事は可能なので、異世界に転移したと考えるよりも男子生徒共のイタズラと考える方が常識的なのだ。
「どうか信じてくださいませ。これは紛れもない現実なのです」
目の前の美女についても、超能力を使えば化けて演じられる。加賀ならば朝飯前だ。
だが、美女はドレスを着込んでいた。仮に俺にドッキリを仕掛けるためとはいえ、加賀がドレスを着るような自爆戦術を使うだろうか。想像してみたが、筋肉大好き男のドレス姿に喉奥が酸っぱくなった。
「私の名前はコカ。ピクルス王国の第一王女、コカです。ようこそ、別世界の勇者様」
コカは美人に相応しい微笑みを浮かべて、俺へと手を差し伸べて歓迎している。
されど、その笑顔に不自然さを覚えてしまう。超能力者ではない俺のカンなど当てにはできないものの、まるで演算されたかのような笑顔だと思ってしまった。
物理的、そして電子的にも隔離された暗い室内にて、目に隈のある女が不気味に、けれども自然な笑顔で笑っていた。
壁沿いに乱立するサーバーマシン群の低い唸り声が不穏であり、部屋の中央に横たわるシリンダーの青白い発光もいっそう不穏だ。植物の根のように床に伸びるコード類より、それらが部屋に後から持ち込まれた物だと推測できる。
「よーし、人体実験を開始しますか。健康な男子を使って、私の作品の安全性を確認してあげましょう」
シリンダー内部に向かって、女は語りかけた。内部で浮遊する人物は眠りに近い状態となっているため聞こえはしないが。
「かいちょーは怒るかもしれないけど、使えそうなサンプルが近くにいるのに使わないのは勿体ないからねー。監視の目がゲテモノ料理罪を犯した里芋姉さんに割り当てられている今がチャンスだし」
室内にホラーチックな雰囲気が充満している一番の原因は、シリンダーだろう。
まるでホルマリン漬けされた死体のように、液体で満たされたシリンダー内部には一人の男子生徒が捕らわれているのだ。
「超能力なんてちょっと演算外な能力持っていて実験し辛いなと思っていたけど、一人、超能力のない健康優良児がいたのも幸い。そんなサンプル君が廊下に落ちていたら、つい、実験に使ってしまうよね」
液中でも男子生徒は死んではいない。むしろ、超高度AIが生み出す最先端医療技術により万全の状態で生かされている。
けれども、生物学的な生存時間は残り二十四時間しかない。
シリンダーを満たす特殊溶液は人間の体のスキャンし終わった部分を融解させていく機能を有していた。二十四時間後には人間を電子化するためのデータ収集がすべて完了し、全身を溶かして肉体を跡形もなく消してしまう。
肉体を失う事は死ではないのか。魂の入れ物がなくなってしまうではないか。
そういった馬鹿馬鹿しく論理性に乏しい拒絶を、女は鼻で笑って吹き飛ばした。代謝で常に入れ替わる肉体など所詮は器だ。連続性を有しているから人類は誤解しているだけで、脳みそなど有機的なメモリチップに過ぎない。
シリンダーに詰めて二十四時間もかけてじっくりと溶かしているのは、人類に対する配慮だった。より強力なスキャン装置を開発すれば一瞬で人間の全データをスキャニングできるはずだが、代謝する汚らしい生物は瞬間的な変貌に精神が耐えられない。アイデンティティが簡単に崩壊する。
「やっぱり第一号は平均的な人間でテストしたいよね。頼むから精神崩壊しないでよー、武蔵君さー。まあ、しちゃったら初期化してやり直すだけだけど。電子化すれば復元だって簡単になるのだから、人類はもっと率先して電子生物になるべきだと思うのだけどなー」
キキキ、と女は悪魔のような笑いを発音しながら、善意を持って一人の男子生徒の電子化を開始していた。
女のシリアルナンバーは024。二十五体存在する星姫候補の一体、胡瓜と名乗る超高度AIだ。
人類の数多くは胡瓜を大した事のない超高度AIだと思っているかもしれないが、酷い勘違いだ。彼女の演算能力は姉妹機に劣るものではない。
「風紀委員の邪魔が入らないように隠密行動しているのが悔しいな。その分、私の実体がきちんと観測して実験が失敗しないようにするからさ」
人類を『凶弾』から救うという目的意識も姉妹機に劣らない。
隕石落下で絶滅する人類の命を救うために、人類を電子化して絶滅から救うという彼女の星姫計画を実現するために、胡瓜は人類の倫理観から第一歩を踏み外した。
「武蔵君が暇しないように、仮想現実ゲームを用意しておいたから。おまけでガイド役で限定演算領域の私が接待してあげているし、二十四時間じっくりと楽しみながら溶けていってね」




