1-3 お利口なお姫様
歌い姫の美声が終息する。
いつの間にか日が傾いて、砂浜の砂は人参と同じオレンジ色に染まりつつある。
「どうだった。私の歌?」
人参はメディアに登場する時と同じ機械が作り出したかのような笑顔で感想を俺に求めてくる。
人気絶頂のアイドル歌手の生ライブをたった一人で独占する。場面だけ切り取れば、学生にとっては望外の喜びであるはずの状況。
俺にとっては苦痛の時間だった。
「……俺には、人参の、悲鳴にしか聴こえない」
人類を救うはずの星姫候補が人類の滅びを嘆く歌詞を歌う。人参の知能が人類を完全に上回っている事を加味すれば、歌詞が歌詞通りの意味を持つはずがない。きっと深い意味を持っている。地べたを這う虫が人間の心情を正確に理解できると言ったら、きっとその虫は踏み殺される。
そもそも、人参は人類を『凶弾』から救ってくれる尊き存在だ。
救世主たる超高度AIが、どうして人類の破滅を歌うだろう。
「――いや、すまない。俺は歌に理解がないから、きっと違うんだろう」
「そうだよ。歌詞をそのままに捉えちゃうなんて、困っちゃうなー」
星姫候補が人類の終わりを歌うはずがない。そんな事は誰も認めはしない。
少なくとも、人類は絶対に認めない。
星姫候補を含む星姫計画は『凶弾』への唯一の対抗手段なのだ。
落ちてくる滅亡を回避する手段を人類の低脳では導きだせなかった。が、超高度AIの素晴らしい頭脳であれば簡単に解を導き出してくれる。これまでも人類未踏の謎を数多く発見し、指数関数的な科学の発展の担い手となってくれた。今回もきっと皆を幸せにしてくれる。
星姫候補たる彼女達も認めない。
星姫の製造目的は星姫計画の成功だ。成功以外は許さない。成功できなければ、などという予測さえ禁忌的だ。
普通に学生生活を送ったり、テレビで歌を歌っている彼女達であるが、そんなものは星姫候補の本業ではない。微笑んでいる裏側では、常に地球を救うための演算をやり直し続けている。
0に0を加えて1という答えを得る演算を、一秒間に数億回も繰り返している。
結果がいつも間違っていて何故か0しか求められないが、それはきっと演算回数が足りないか、計算に不備があるからだ。超高度AIなのだから、滅亡《0》を生存《1》にするぐらい訳はない。
「あはは。武蔵君は私よりも頭が悪いなー」
「否定できない事実だから悪口になっていない、人参。可愛い子に言われるならご褒美だ」
「あはは。武蔵君は私よりもかなり頭が悪いなー」
俺は一歩、人参へと近付いた。……いや、変質者を見る目で逃げないで、お願い。
「ちなみに、人類を代表して訊きたいんだが、人参」
「変な事とか、プライベートは教えないよ?」
人参の戯れを無視して禁忌へと一歩踏み出す。
「人参の人類救済の具体的なプランを教えてくれないか?」
人類が決して星姫候補に訊ねない事柄。ある意味、彼女達の管理者権限のパスワードを訊き出すよりも無礼な事を訊ねた。
オレンジ色の砂浜が、急速に暗くなっていく。
真顔となり、表情筋の制御を止めた少女の笑顔は不気味の谷へと落ちていく。
「――あはは。大丈夫だよ。私達は星姫候補だから、皆を救ってあげられる存在になる」
人参は……俺の質問に答えない。
「心配しないで。きっと大丈夫。本当だよ? 『凶弾』程度の速度と質量なら地球が割れたりしないし、今の科学技術でも対処可能な範囲のはずなんだから。本当だよ?」
具体的なプランを一切語らない。
笑っていない眼球で人参は人間である俺を安心させる言葉のみを吐き続けた。何故なら星姫候補たる彼女には正解を導く機能は搭載されているが、――を語る機能を搭載していない。
「あはは」
人類は――する。
もう何をしても――。
超高度AIであっても――てあげられない。
「あはは」
正解を導くだけのお利口な機械の人形。正解が――っていると言う事のできない、とてもとても頭の良いお利口な人形。それが星姫候補という少女達の悲しい正体だった。
「あはは。あははは。笑うと精神が落ち着くんだって、武蔵君も怖い顔していないで笑ってよ」
「すまない、人参。酷い事を訊ねた」
より高度な知性たる彼女達に惨い事をしたものだ。人類は滅びる寸前でも罪を犯す。
「だったらッ、最初から訊かないでよッ!!」
前触れがあったので突然、怒りをぶつけられても驚かなかった。全面的に俺が悪い。俺も彼女達をそのように製造したマッド共の被害者なような気がしないでもないが、これでも人類の端くれなので言い訳はしない。
星姫計画を立ち上げた別の誰かの罪であっても、深く深く、胸の奥底が傷付く。
不気味に笑顔を固定させた人参が砂浜を歩き出した。女子寮たる星姫区画へと帰るのだろう。
「そうだった、武蔵君。私の歌、悲鳴のようで嫌いなんだったらさ――」
人参が俺に付き纏っていた理由も、最後の最後に判明した。
「――総選挙で、絶対に私に投票しないでよね」
きっと、もう二度と彼女は俺に話かけて来ないのだろう。きっと、そのまま三ヶ月が経過してしまって、彼女は機能欠落したまま耐用年数まで生き続けてしまう。
超高度AIは人類と異なって『凶弾』では滅亡しないと考えられている。それだけのスペックを有している。
だが、このままでは……人参は不幸だ。
「滅びてしまう俺達は次世代の彼女達に、一体何を残せるのかな」
人類最後の三ヶ月前は穏やかに過ぎ去ろうとしている。事件も暴動も起きていない。
「ちょっと出てきなさいってっ! 武蔵君、貴方が首謀者だってネタは上がっているんだからッ!」
女子の声が男子寮でしていたり、ドアドンがうるさかったりするが世は全て事もなし。
END――。
「勝手に物語を終わらせるなー! まだ三ヶ月あるでしょう! それよりも、学園カラオケ大会の開催とか私聞いていないんだけど。しかも、勝手に承認証付きでエントリーされているって、星姫候補のセキュリティを人類が破らないでよ!?」
ドアドンが酷くなっている。ハンマーの勢いだ。乙女の拳ではないな。
やはり、事前に星姫区画の廃材置き場から装甲材を頂戴しておいて良かった。人類的に意味不明な超硬物質でユゴニオ弾性限界が別次元に高いとか何とか。星姫候補の拳がメタルジェット化したとしても室内に飛び込んでくる事はないだろう。
「――シリアルナンバー023より要請。男子寮権限掌握。二〇五室の扉を全開にせよ」
「あ、卑怯だぞ!」
今時の扉はすべて電子式だ。男子寮のドアは見かけ上、木製の手動式であるものの、解施錠に関しては電子ロックとなっている。
配線を切断するなりすればハッキングを防げた可能性はあるが、そこまですると備品の破壊による賠償金を支払う必要が出てきてしまうので諦めた。俺、金持っていないから。
外へと開かれていく扉の向こう側。光溢れる廊下の中央に腕組みしたオレンジ髪の少女が立っている。
シリアルナンバー023、人参の登場だ。
「どっちが卑怯なのかなー? 私、これでも怒っているんだけど」
扉の突破は想定済み。現れるであろう人参用を歓迎してやろうと、宇宙ロボットの出撃用BGMを用意していたぐらいである。学生に支給されている端末の音量をマックスにして流してあげたら――、
「ふがーッ」
――端末を踏み潰されてしまった。スカートではしたない。本当に怒っているらしい。
「壊す事ないだろうに。そもそも歌い姫というぐらいなら超高度AIの技能じゃなくて、歌でドアを開かせる努力をしたらどうなんだ!」
「私はこれでもプロなのよ。自分の好きな場所で歌っても、他人の好きに歌ってあげたりしない」
「同じ学生風情が、ぷ、プロだってよ。聞いたか、大和?」
暴走したAIにネクタイを締め付けられて息苦しい。どうなってんだ、この女の三原則。
それと、大和は同居人が窒息しかけているのに他人事のように目を逸らすな。
「それで、このカラオケ大会って何よ!」
人参が再び俺と会話する破目になった元凶。それは、俺が企画したイベント。
「正確には、星姫学園喉自慢よ集まれ。カラオケだよ。大会だ! 学生同士の親睦のためにイベント開催を申請した。人参の参加認証以外は正式なものだぞ」
「歌い姫の私が出場したら、学生のカラオケ大会なんて圧勝よ!」
「ふ、勝って当然か。だったら出場しても問題ないだろう。砂浜で散々歌っておいて、こっちが舞台を用意したら歌わないってのは薄情が過ぎないか?」
論理的な方向で超高度AIに勝てるはずがないので、心理的な面から人参を揺さぶる。
「だって、あの時は……」
多少以上に負い目があるため、人参の勢いが制止した。
「人参が出場すると皆喜ぶ。出場してくれって」
人類滅亡をひとまず横に置いておいて、人工島の学園で学生カラオケ大会の開催が確定する。
歌そのものに超自然的な力はない。歌に励まされて力を出す人類もそろそろ滅びてしまう。今更、歌に意味などないのかもしれない。
だが、俺は、歌には大事な意味があると思っている。
特に、お利口な超高度AIにとっては大事な意味がある。
「きっと、人参のためになる」