学園祭 庭球試合は特に成果ではありません
新年明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。
埃を振り落とし、竜髭菜に踏まれた後頭部を手櫛で整える。
俺に対して言う事はないという感じに腕組みをしている竜髭菜であるが、真正面にいる生姜に対しては何かを言いたげに睨みつけている。
「みっともない真似させる超高度AIがいたものね。人間を参考に機械学習し過ぎたんじゃない。生姜?」
「竜髭菜……っ。上辺だけの理論も組み立てられない超高度AIの落ちこぼれだからかしら。知能指数のより近い人類と仲良くかけっこでお友達?」
明らかに廊下の雰囲気が悪くなっていく。
生姜を先頭に甘藍と鰐梨が左右を固めている。
一方の竜髭菜は三人相手だというのに、一歩も退いていない。
人工知能も超高度AI程になれば、相性の悪い相手と険悪になるぐらい造作もないようだ。世界中の人間が賢くなっても争いはなくなりそうもない。
「はっ、『凶弾』の落下を良しとする案を考えつくゼラチンみたいに柔らかいお頭の超高度AIは、言う事が違うわね」
「『凶弾』によってもたらされるレアメタルの総量と被害総額を天秤にかけたまでですわ。人類が浪費した分の資源を『凶弾』で回収しなければ、超高度AIの時代は慎ましいものとなってしまうのですわよ」
「地球上の生物の八割死滅と、向こう二十万年の寒冷化は計上されているの、それ?」
竜髭菜によって生姜の研究が暴露されたが、どうやら『凶弾』落下を阻止するつもりが端からなかったとは、超高度AIらしい割り切った案である。
いちおう、人類を救済する案ではあるので、隕石落下の被害が少ないと予測されていた南極に冷凍睡眠施設を用意して収容する方法は用意していたらしい。人間を文字通り万年雪の中で冷凍保存しておく。冷凍庫の奥に存在した令和時代の豚肉と同じく、解凍される日はきっとこないだろうな。
「ただ走っていた人に指摘されたくはありませんわ」
まあ、粗大ゴミ同然の案であろうと提示はしていた。案を提示しなかった者が、生姜を悪くいうのはおかしい。どうだ、と言わん限りの顔付きは間違っていると思うが。
「金策ばかりの人工知能なら、金ぐらい錬成したらどうなの」
製造来のキツい目付きを有する竜髭菜であるが、生姜に対してはより鋭い。本当に二人の相性は悪い。
せっかく人類の次に地球で繁栄する事が確定している種族同士なのだ。ここは、古い種族として間を取り持とう。
「二人共、少しは落ち着いたらどうだ」
「人類は黙ってくださいませ!」
「元はと言えば、アンタがだらしないから!」
ステレオに怒られてしまった。
一体どうすれば二人が納得してくれるのか。そもそも、何を納得させれば気が済むのか。
あたふたするだけの俺に対して、生姜は挑戦状を叩きつけてくる。
「ここで言い合っていても時間の無駄ですわ。テニスで白黒決着をつけましょう!」
何がどうこじれたなら、やった事のないテニスで超高度AIと戦う羽目になってしまう。
体操服に着替えてから、校庭の奥にあるフェンスで区切られたスペースに向かう。
ランニングウェアを着ていた竜髭菜はそのままの姿だ。
対戦相手である生姜と甘藍は、正統派なテニスウェアで登場した――鰐梨は出場しないらしく、審判席に座っている。
「人間と劣等機が相手なのですから。甘藍、勝ちましてよ?」
「当然です、生姜。伊達に庭球姫と呼ばれてはおりません」
気合が入っている対戦相手に対して、俺とペアを組んでいる竜髭菜は――、
「――よく考えたら、どうして私がラケットを握らなければならない訳?」
――と、ぶつくさ言ってテンションを下げていた。
正直、俺の士気も上がらない。相手に、テニス部所属の甘藍がいる時点で初心者に勝てる見込みはないのである。
「まーた、武蔵がイベントを開催しているぞ」
「今度は貴族姫と庭球姫か。テニスコートにいると絵になる二人だな」
「どっちが勝つか賭けようぜ。俺は生姜、甘藍コンビに二百円!」
勝負をどこからか聞きつけた男子生徒がフェンスの向こう側に集まっている。
誰か代わってくれよ、と合図を送ってみたが、どいつもこいつも顔を逸らしやがった。オーディエンスから見ても俺と竜髭菜の敗北は濃厚である。
「準備はよろしくて? 始めますわよ」
「どうやって始めるんだ。ジャンプボールか?」
「プっ、そんな事も知らないなんて。サーブ権ぐらい恵んでさしあげます」
バウンドしながら転がってきたテニスボールをキャッチして、コートの端に移動する。
ボールが入るか不安がっている俺を、生姜が思い出したかのような言葉で制止する。
「そうそう、わたくし達が勝った場合、貴方には足を舐めてもらいますから」
どれだけ足を舐めさせたいのだろうか、この女。そんなに汚れているのか。
「生姜の足の指を舐めまわす。クソ、何て魅力……屈辱的な罰ゲームなんだ」
「いや、対戦相手は二人いる。甘藍の足も舐めないと駄目なんだぞ!? 二人合わせて二十本も指を。実にけしからん」
「武蔵ばかりにそんな苦労を負わせられるか! タッチ交代だっ。俺が代わってやる。コートから出ろ!」
フェンスの外の馬鹿共の反応も大概である。性格の悪い超高度AIでも、男子生徒の魔の舌からは守ってやらないと夢見が悪くなる。
「可能性はゼロに等しいと演算できていますが、貴方が勝った場合はどうされるのでして?」
「俺が勝ったら? 特に希望はないが」
「自慢ではありませんが金だけならありますの。中堅国の国家予算十パーセントまでなら予算計上してみせますわよ」
「そうは言われてもすぐに思いつかない。竜髭菜は何かあるか?」
「校庭の裏の空き地の地面を掘って、埋めさせる作業を一か月?」
建設的ではない竜髭菜の要求は却下するとして、もう少し学生らしい要求を考える。
学園祭が近いので、割安なたこ焼き屋台でもやってもらうか。
「俺はお化け屋敷を希望だ!」
「いいや、断然メイド喫茶だっ」
「何を言っている。やってもらうならバンドしかない」
何だかんだと学園祭が楽しみな男子生徒からも意見が上がったので、集約して生姜に伝えた。
「俺と竜髭菜のチームが勝ったら、たこ焼きを喉に詰まらせて死んだメイドがバンドをしているお化け屋敷で、たこ焼き店を学園祭に出店してもらうぞ」
「どれか一つにできませんでしたの!?」
勝利を確信している生姜、甘藍ペアは、負けた場合に経営方針で難儀する店で働くのを承諾した。どうせ勝つのは自分達だと高を括っているのだろう。
「あ、あの生姜。もう止めません? 超高度AIがたこ焼きで死んだメイドのお化けの役なんて……」
「何を言っているのかしら、甘藍。勝つのは私達です!」
余談を終えたので、サーブに取りかかる。
初心者の俺は向こう側のコートに入れる事だけを意識して、山なりの低速サーブでボールを送り出す。
「よし、入った」
「チャーンス、ですわね!」
対角線上にいた生姜が獰猛な笑顔でボールを捕捉する。緩くワンバウンドしたボールをネットぎりぎりの低高度で返球してきた。
うん、見送り確定だ。とてもじゃないか捕えられない。というか、まず足が動かない。
いきなり失点……となるはずであったが、横合いから疾風がかけてきた。
「よっとっ」
俺が諦めたボールを竜髭菜が捕えて、相手コートへと跳ね返す。
捕られるとは思っていなかったのだろう。油断していた生姜と甘藍の間に突き刺さって、コートの奥へと転がり抜ける。
「イージーゲームっ」
やる気がなさそうだった割に、竜髭菜は笑みを浮かべて対戦相手の超高度AIを煽っていた。
「おおっ、さすがは走り姫だっ!」
「竜髭菜がいれば武蔵でも勝てるぞ」
「武蔵チームがいきなり十五点も先取した!? テニスすげぇ!」
ガヤガヤと周囲が騒がしくなる一方、先制された側である二人は不気味なぐらいに静かだ。
「無駄に走って実体の動かし方を学習していた事はあるものの、どうかしら、庭球姫?」
「シングルなら面倒な相手になったでしょう。ただ、このゲームはミックスダブルス。向こうのコートには大きな穴が空いています」
「くくっ。勝負は非情ですわねぇ」
二人の超高度AIの目は、明らかに俺を見ている。
「ゲーム、生姜、甘藍ペア。チェンジコート」
審判役の鰐梨が勝利ペアの名前を呼んで、コートの入れ替えを指示してくる。
点数表記が独特なのがテニスであるが、ようするに先に四ポイント取れば一ゲームに勝利。そして、ゲームを六つ取りながら相手に二ゲーム差をつけて一セット。
連続失点により、生姜側は五ゲームとなる。この勝負は一セットマッチなので、次に負ければ敗北確定だ。
「まあ、分かり切っていた事ではあるが」
隕石の軌道を計算できる超高度AIにとって、テニスボールの軌道計算など造作もない。俺のへなちょこサーブ程度には演算過剰もいいところだ。
竜髭菜も含めた三人はほぼノーミスなのに対して、俺はほぼすべてをミスしている。点差が開いて当然だろう。
「フィフティーン・ラブ」
「クソ、俺がまた狙われた」
「このゲームもストレート勝ちですわよ」
勝利が近づいて機嫌を良くする生姜に反比例し、不機嫌になっていく俺のパートナーたる竜髭菜。
人類の走りに期待している竜髭菜としては、一方的にやられ放題の俺が気に入らない。そんなところだろう。
「……走らない生物を人間の定義矛盾として、三原則を突破できるか」
何故か三原則の突破を試行し始めた竜髭菜――ロボットは故意、過失にかかわらず人間に危害を加えてはならない。この第一条を無力化して何をしたいのでしょうね、この超高度AI。
少しは格好良いところを見せないと我が身が危ない。
あまり使いたくはなかったが、仕方あるまい。超高度AI相手に手を抜くというのもおこがましい。
俺はネットの近くに立ち、ラケットの後ろで手を広げる。テニスにはない構えだ。
「特に意味のある行動ではありませんわね。未知の行動で計算を狂わす作戦? その程度で? 杜撰にも程がありましてよ!」
テニスのルール上、相手のサーブはワンバウンドしてから打ち返さなければならない。よって、俺の構えはサーブをブロックするためのものではない。仮にブロックだったとしても、俺の守備範囲のギリギリ外を狙った生姜のサーブは床に突き刺さっている。
俺は一歩も動かず、構えを維持する。
一度跳ねたボールはスピンしながら外野へ。竜髭菜も間に合わず、また俺達の失点に――、
「――アポーツ」
アポーツ。瞬間移動の一種。遠くのものを自分の手へと取り寄せるESP。俺が長らく失い、深宇宙で取り戻した力でもある。
掌の前に遠くにあるはずのボールが現れて、間にあったラケットの網に弾かれた。そのまま相手コートへとバウンドして地面に落ちる。
「フィ……フィフティーンオール?」
「何ですの、それっ!? 今、ありえないボールの軌跡だったのですけど!」
審判の鰐梨が疑問形で俺のチームに加点してしまったので、生姜が異議申し立てをしている。超能力を使用してはならないというルールはテニスにないので、鰐梨は加点するしかないのだが。
「あの技は……馬鹿なっ。武蔵の奴は力を失っているはずだ」
「しかもあれは! 研究所で秘密裏に開催された卓球大会で猛威を振るった武蔵システムだ。ただ棒立ちしているだけで勝利を掠めとる卑怯な技ゆえ、武蔵自身が封印したというのに」
「武蔵システムに勝てたのは、大和モデルと備後ソリューションだけだった。超高度AIでもテニスコートの上ではどうする事もできないぞ!」
俺の行動。男子生徒達にとっては初見ではないため、即座に見抜いていた。
竜髭菜のサーブを甘藍が返してくる。それをアポーツで取り寄せてペチっと相手コートに落とす。簡単なお仕事だ。
仕事を繰り返していると、生姜が俺をマークしてきた。が、瞬間移動でテニスボールを取り寄せるアポーツの前では、超高度AIがカスタマイズしている実体とて鈍重である。
「信じがたいですが、同一物質が瞬間的に座標移動していますわよ。どういう原理?? というか、たかがテニスで使うのは卑怯ですわ!」
「そのたかがテニスに超高度AIが何体も参戦している方が卑怯だろ」
久々に唸りを上げるアポーツで勝利を重ねて、一セットまで残り一球。忘れかけているが、このテニスは学生同士のただのお遊びなので、フルセットまで続けるつもりはない。
「――計算完了。人間などに、負けませんわよ」
アポーツで取り寄せたボールをラケットの網に当てて落とす。この必勝法は崩せない。
そう慢心している俺を、生姜は俺と同じように構えたラケットで否定してきた。
テニスボールを挟んで、ラケットとラケットがぶつかり合う。
……あれ、これってテニスだよな。どうして鍔迫り合いをしているのだろう。
「方法は解析できなくても、どこにボールが現れるのかが分かればこうやって対処できますわよ!」
「クソ、押し込まれて、いくっ」
「このままボールも貴方も、コートに落としてみせますわ」
ネットを挟んで対峙する俺と生姜の力比べは、すぐに生姜が優勢となった。軽量の謎合金でできた骨に十万馬力の筋肉。人間の俺では歯が立たない。
ドリル髪の先がグルグル回っている錯覚を目撃しながら、俺は背中から倒れかける。もう持ちそうにない。
「――ラケットの位置を維持したまま、体を限界まで逸らしてっ!!」
倒れかける中、俺は指示された通りに体を動かす。バランスが悪いので体勢を維持できたのはほんの一瞬であったが、それで十分。
空を真っ直ぐに見上げるぐらいに体を逸らした俺の五ミリ上を、ガゼルのごときしなやかな動きで女が跳んでいく。ハードルを跳ぶがごとく、ランニングウェアの女が俺を跨いでいく。
「竜髭菜!? ちょっ、殿方の顔面スレスレを下半身近付けて跳ぶなんて、はしたな――ぐふぇハッ?!」
竜髭菜の足底がラケットを蹴って押し返す。
勢い余って生姜の鳩尾を蹴っているが、ラケットの網越しなのできっとセーフ。現代のテニスルールは百年前とは大きく異なるのだ。きっと。
ボールは……相手コートに落ちた。
この勝負、俺達の勝利だ。
「負けた……超高度AIであるわたくしが、人間に……」
テニスコートで挫折を味わっている生姜達は、まあ、人間相手に大人気なかった奴等なので労わってやらない。
「もう一度っ。もう一度勝負ですわ! 今度は超能力と肉弾戦はなしでですわ!」
というか、諦めが悪過ぎる。いい加減に納得してくれないかな。
「――へぇ。面白い発言をする超高度AIもいたものね。人類に負けておきながら負けを認められないような低性能が、超高度AIを名乗っている。そんなはずはないわよね? 事実を正確に観測できない出来損ないなんて、この島にはいないわよね」
テニスコートの傍をたまたま通りかかった。そんな感じの女が、ふと、フェンス越しに声をかけてきた。
ビクり、と肩を震わせる相手コートの三人娘。ほとんど妖怪に対する反応と変わらない。
「ねぇ、生姜。何か言ったら?」
「ひぃっ、わ、わたくし達の負けでいいです」
「負け、でいい?」
「わたくし達の負けですわっ」
「だったら、早く行きなさい。役目を忘れて遊んでいるんじゃないわよ」
生姜がラケットを放り投げてコートから逃げ出す。
その様子を見届けた通りすがりが、コツコツとハイヒールを響かせながら去っていく。
女の髪は、紅色だった。
色々と緊張する場面を目撃してしまったのを、深呼吸をして忘れる事にする。時限爆弾が歩いていただけだ。そろそろクラブ巡りを再開しようか。
……と、その前に手伝ってくれた竜髭菜にお礼を言っておく。
「竜髭菜、助けてくれてありがとうな。最後の一撃が決め手になってくれた」
「私は、別に。成り行きだっただけだし」
運動後の赤い顔で、もじもじと体を動かしている竜髭菜。クラブ巡りに誘ってみたものの、彼女はいつも通りランニングをしたいとの事。グラウンドへと走り去ってしまった。学園祭も持久走を行うつもりらしい。
振られてしまっては仕方がないので、また一人旅を再開しよう。




