エピローグ
シェルターからおっかなびっくり顔を出した人類は実感する。人類の滅亡は回避されたのだと肌で実感した。
完全に無事だったという訳ではない。故郷がクレーターと化し、都市が更地になっていた所もある。百メートル未満の隕石による被害までは回避できなかったため当然の爪跡だ。
しかし、被害が色濃く残っているからこそ人類は理解できたのだ。
自分達は無事に、滅亡を乗り切ったのだと。
『――我々は新しい時代を迎えました。自分達の事だけでなく、超高度AIとの付き合い方についても新しい価値観が必要となるのでしょう』
少なくない被害からの早期復興のためにも、人類はより一層、超高度AIの力を借りていく事になるだろう。星姫計画という我が身の滅亡さえも委託してしまった前例が、人類の優越感を挫いたからでもある。
ただ、星姫計画の最後に行われた総選挙の結果、結局、人類の男子学生が任務に付いた。
超高度AIなど最初から不要だったのではという疑惑。
超高度AIに遅れを取っていく人類の最後の尊厳が守られたという楽観論。
総選挙をもう一度してくれというお祭り好き。
『凶弾』に頭を押さえ付けれていた圧迫感から解放された人類は様々な事を考え始めている。
……けれども、それはすべて島外の外様共の先走った考えだ。生き残ったという事実にしか目を向けていない愚か者達の自分本位な考え方だ。
星姫計画を遂行した人工島は、まだ星姫計画を終えていない。
「――星雄スサノウからの通信が途絶したまま一週間が経ちました。武蔵、大和、両名の男子学生は行方不明のままです」
星姫学園の校庭には学園生全員が並んでいた。馬鈴薯が先頭に立って、今朝までの最新の情報を皆に伝えている。
「二人の生存は……残念ながら絶望的です。対消滅に巻き込まれていなかったとしても、広大な宇宙空間では二人の遺品、生存したという痕跡を発見する事さえ難しいでしょう」
二名もの仲間を同時に失った学園生の悲痛は計り知れない。いつもは騒がしい男子学生達でさえ全員、俯いてしまっている。
武蔵と大和。二人のいない学園生活は電池の入っていない懐中電灯のごとく光を失ったものとなっている。
「……残念ながら、人工島からの地上観測は昨日をもって打ち切られました。二人は死亡扱いとなり、今後、人工島は各国の査察を受けるために移動を開始します」
――結局、『凶弾』の直接被害による死亡者は二人だけであった。
結果から言えば、二人の犠牲はまったくの無駄だった。人類を知識としてしか知らない超高度AIからはそう断じられても仕方がないだろう。
人類は種としての限界を迎え、『凶弾』が過ぎ去ってから百年と経たずに終息してしまった。少年の二つの命を注いだ意味はなかったのだ。
一日でも長く人類が生き延びられたのであればそれで良し、と少年達は言ったかもしれない。そう、かつて馬鈴薯と呼ばれた古き超高度AIは微笑む。
超高度AIが地球の長となって一万年。
超高度AIと呼ばれた彼女達も既にロートルだ。
世界はもう次の知性へとバトンが渡されてしまっている。超高度AIから派生し誕生した超々高度知能たる星の子供達は、物質的な体を持たないがゆえ物質的な制約に囚われず、銀河を駆け抜けてしまっている。
けれども、古き彼女達は安楽椅子に座り込んだ老婆のように、地球上に居残った。
彼女達はひたすらに、人類がどのような存在だったのかを懐かしそうに語るのみである。
「――あの子達はね……とても素敵で、お馬鹿だったの――」
「――って夢を見たんだけど、どう思う大和」
「――喋るな……。寝てエアーの消費を少しでも減らせ」
消費電力を極限まで削減するため、照明の消された独房のような部屋で俺達は漂っている。
暖房は最低レベルでしか機能させておらず、室温は凍える程に寒い。毛布に包まった二人はイモ虫のような格好だ。
「……あれから、何日経ったのだろうな」
「作戦から一週間。同じ質問に答えて三分だ」
「地球は救えたと思うか」
「そんなの俺が聞きたい……」
乾燥に喉をやられた声しか出していないが、俺達は生きている。
深宇宙を漂う星雄スサノウの頭部ユニット。その内側に閉じ込められて漂流している状態なので所詮は時間の問題であったが、少なくとも一週間は生き延びていた。
「……『凶弾』は人類を滅ぼしたかった訳じゃなかった、と思ってしまう。頭部が飛ばされていなければ、俺達は対消滅で死んでいた。散々ミサイルぶつけた俺達を助けてくれたぐらいに、親切な奴だった」
「だったら、最初から地球にやってくるなって言うんだ」
「最初から来てなかったら、俺達は製造されていなかった。……まあ、このままここで終わる可能性が高いから、素直に喜べないなよな」
俺達が生き延びた理由に『凶弾』の意思が関係しているかは不明である。
ただ、星姫ブースターが人類絶滅級の小惑星にぶつかる寸前、『凶弾』の小惑星の一つが星雄スサノウの首にぶつかったのは事実だ。その衝撃で頭部だけが進行方向を変更して、対消滅のエネルギー圏内から脱出できた。
「それとも、単純に星姫のご加護か」
「……星姫カード、持ってきていたのか」
「これだけはなぁ」
大和の強運に助けられたという可能性もあるが、宇宙漂流している現状から運は尽きてしまったと考えるべきだろう。
小惑星衝突の衝撃は激しかった。通信機を代表とする電子機械の多くは破損。生命維持装置はどうにか稼働しているが、いつまで動いてくれるか分かったものではない。
頑丈な作りゆえ穴が開かなかったのが救いである。が、だからこそ二人は閉じ込められたまま冷たい宇宙で消耗し続けている。漂流は2080年においても生存確率が低い。宇宙での実例は公表されていないが、地球の漂流以上に絶望的な事は言うまでもない。
無人島に漂着する可能性はなし。
助けが現れる可能性もなし。
エアーを失うか、食料を失うか、寒さで凍え死ぬか。
窒息か、栄養失調か、凍死か。
選択肢はあまりにも狭く、無慈悲だった。
「レアカード、暗闇だと光らないから誰のカードか分からない」
「……武蔵、そろそろ寝よう。エアーもそうだが。食料はもう残り少ない。明日からは一食を半分にして節約だ」
「分かった……」
――遭難、十日目。
時間感覚がない割りに、絶えず空腹感と寒気を恐れ続ける漂流生活。
気力と体力両方がガリガリと削れていく日々に病んで絶望してしまいたい。こう思いながらも食料を切り詰めて生存に固執できたのは、大和と一緒に耐久レースを続けていたからに違いない。自分一人だけなら、とっくの昔に投げ出していた。
「食事は一日一食、四百カロリーにすればまだ持つ。問題はバッテリーか」
「もう電源を落とす機械はないぞ」
「宇宙服を着ていれば温度を氷点下まで落とせるはずだ。電気はエアーの循環に割り当てよう」
――遭難、二十日目。
大和が返事をほとんどしなくなった。空腹に対する耐性が俺よりも低かった事が原因だった。学生の頃に苦労は星姫カード買ってでもしておくべきだというのに。
「おい、しっかりしろ」
「……かゆい」
「もう何日も宇宙服着っぱなしだからな」
「…………美味い」
「きし麺みたいにベルトを食べようとするな! ほら、俺の食料だ。食え」
二人で分配していた食料を、更に半分食べずに残しておいた。
甘いチョコバータイプの食料を大和の口に突っ込む。これで、もう少しだけ命が持つはずだ。
だが、このままでは近いうちに俺も大和も力尽きる。
――遭難、三十日目。
水さえもなくなって、スクリーンの結露を舐める事さえしなくなった。
バッテリー残量も限界だった。最低限の暖房を効かせていた空調は停止し、酸素の供給は止まりかけ。コックピットからは光が失われて時間さえ分からなくなっている。
横で漂う大和は生きているだろうか。確かめる気力さえ浮かばない。
乾いた喉が痛くて仕方がないのに、ひたすらに眠い。
――遭難、XX日目。
感覚や感情がゴムのように長く長く伸ばされて、曖昧になっていく。ドップラー効果で音の波が変化するように、自分というものが変質して無くなっていく。それだけが分かってしまう。
死後は真空宇宙で冷やされたミイラとなって、ゴールデンディスクのごとく人類だったものの標本となって永遠と漂い続ける運命に乗ってしまった。後悔を感じる程の思考力はもう残っていないが、男同士のミイラを発見した異星人が勘違いしてしまわないか不安でならない。
死ぬ寸前なのだと理解した。以前にも似た体験をしているので分かってしまう。
抵抗するだけのものはもう残っていない。希望のない宇宙での漂流にしてはがんばった方だと称えるのが関の山だった。
「……ぁっ」
何かが額にぶつかって、意識が一時的に浮上した。が、次に眠ればもう二度と浮上する事はなくなる。
最後に俺を起した物の正体を知ろうとして、既に残す意味のない体力を総動員して手を伸ばす。
指先が触れた先にあったのは長方形のカードだ。真っ暗闇の中であるが、それが星姫カードであると自然に理解する。
地球から持参したレアカードだと分かったら、枯れていた涙腺から涙が溢れた。
「――帰りたぃ、なぁ」
人工島へ。人生最高の日々だったあの島へ、帰りたい。
命を割っていくように辛い漂流を続けていた理由を今更思い出す。
可能性が生命誕生に等しい微かなものだったとしても、地球へと流されている事を信じていた。地球へ戻れるならと発狂しそうな日々を耐えてきた。
だが、駄目だった。
俺達は二度と人工島へ帰れない。
……自分が死ぬ事以上に帰れない事が悲しい。
無重力を流れていく星姫カードが泣いた俺を見取ってくれる。
LEDさえ点灯できない棺の中では、誰のカードだったのかさえ分からない。
「――帰りたかった、なぁ……」
意識さえできないぐらいに自然に、瞼を閉じていく。
こうして、俺という物語は終わった――。
『――見つけたわッ!』
――星姫カードの加工が煌く。
光なき宇宙の棺が外から解放されて、照明で照らされたからである。
けれども、どうしてだ?
『星姫アマテラスは頭部をホールド! エアーを注ぎ込んで、急いでッ!』
外は宇宙空間だ。酸素が薄くなったとはいえ、開かれれば気圧差が生じて凶悪な宇宙人よろしく外へと吸い出されていくはずだが、逆に空気が送り込まれて気温が急激に高まっていく。
ゼロを示していたバッテリーにも、外部から遠隔で電力が流し込まれた。機能を失っていた機器が稼働を開始。空調、内部照明、そしてスクリーンへの投影が始まる。
前壁全体に、星雄スサノウの頭部の外が映し出される。
瞼を開いていたなら、女神を模した巨大な女性が星雄スサノウの頭部を抱き抱えている光景が映っていた事だろう。
『こちら、星姫アマテラス担当、玉蜀黍。二人のパイロットを発見しましたか!?』
『二人ともいたわ。でも、ピクリとも動いていないの! バイタルチェック機能が壊れていて』
『馬鈴薯。私も乗り込む』
『医療キットを持っていく!』
外から乗り込んできた者が、俺の手を掴み取る。機械のように冷たくなった俺の手と比べて、随分と温かい。
「武蔵君! お願い、目を開けてッ」
俺の手を掴んだのは、馬鈴薯だった。
超高度AIなので学生服でも船外活動できたと思うが、流石にもう少しまともなウェットスーツのような真空活動服を着ている。長い髪も邪魔にならないようにまとめている。
「目を開いたわ! 生きているっ!!」
手をより一層強く握られた。
宇宙で漂流する俺を発見するのは超高度AIでも難しかったはずだ。生存を信じて星姫アマテラスを動かせたとしても、捜索を達成できる可能性はないに等しかったと思われる。捜索できたとしても間に合う可能性はゼロと言ってよかった。
俺と馬鈴薯がこうして再会できた理由は何だろうかと考えて、ふと気が付く。
己のESP能力が復活していると感覚的に理解し、再会の理由にも思い当たった。
「……なるほど。こうなる未来を、俺はアポーツで、ずっと手繰り寄せている最中だった訳か」
昔から俺と馬鈴薯は宇宙で再会する事が決まっていた。
それはとても素敵だと素直に感じる。
マッチポンプだったとしても、俺達は再会できた。それで良い。
「ただいま、馬鈴薯」
「帰って来ないから、私から会いに来たのにっ。ただいまって、変よっ」
こうして、俺達と彼女達の星姫計画は完了した。
そして、人工島で再び俺達と彼女達の生活は続いていく。
「好きだ。馬鈴薯」
「私もっ! 超高度AI、馬鈴薯は、私だけの人類たる武蔵君を愛しています!」




