1-1 海岸の歌い姫
“――今週のヒットチャート。皆知っているけど番組的に発表しちゃいます! 歌い姫こと人参ちゃんがトップスリーを独占です!”
学生寮の一階、食堂ホール。
そこで、ブラウン運動しない薄い壁掛けテレビ――2080年にもなってブラウン管を知っている学生の方が稀――を遠く眺めつつ、俺は夕食を味わっていた。
「異議あり。お前水しか飲んでいないだろ」
「安心しろ。砂糖水だ」
「お前は蝶か何かなのか……」
金欠甚だしい俺は、本来はコーヒーに投じるべき角砂糖をただの水道水に配合し、腹持ちを二倍に高めて今夜を乗り切る所存だ。
学生たる俺達の昼夜の食事は自腹である。ただ、朝食だけは最低品質のC定食――米一膳と具のない味噌汁、おかずが漬物――が無料配布されている。つまり、朝まで腹との長期戦を戦い抜けば俺は生き残れる。生き残りたい。
“――では、今週の第三位から、『夜明けなんて待っていられない』をどうぞ”
「我慢せずに人参ちゃんの隠しレア、売れば良いのに。直にキャッシュが欲しければ俺が買い取るけど?」
「ちなみに、お前は同じレアカード何枚持っているんだ?」
「センチの単位でなら答えられるよ」
忌々しい貧富の差を見せ付けながら、長机の対面席で夕飯を食っている男。
こいつは寮の同室に住まう男子学生。どこにでもいる、どうでもいい男子学生である。が、いちおう、大和は俺の友人となっている。ちゃんと端末のアドレス帳に登録しているので間違いない。
未だに埋まらない俺の星姫カードファイルに対して、大和はレアカードも含めてコンプ済みだ。豪運で集めた重複レアカードの転売により個人資産を何十倍にも増やしていると考えられる。総選挙ではどのカードでも一枚持っていれば十分だというのに、馬鹿みたいに蓄えやがって。
「大和。お前の運を分けろと無茶は言わないから、せめて夕食を分けろ」
「好きで金欠している癖に人に集ろうとするなよ」
“――夜明けなんて待っていられない~♪ だって明日が来ないから~♪”
腹が減って眩暈がする。大和の奴と他愛ない会話をしているだけでも生命力が抜けて行く感じがする。
“――夜明けなんて待っていられない~♪ だって今日で終わりだから~♪”
ただ、力が抜けていく理由の大半は、テレビから流れる歌の所為のような。少女の楽しげな声で歌われる歌。閉塞感しか感じられない人類のエピローグのような歌詞とミスマッチで、思わず具を掴んでいない箸を止めてしまう。
「……なんでこんな歌詞で人気なんだ??」
「誰も触れようとしない所をあえて歌にした自虐さと、それを星姫候補が歌っているブラックさが世間的に受けたのだと考察するよ。単純に歌い姫の人参ちゃんが可愛いのもポイント」
「さいですか。世も末だ」
腹が減り過ぎて世界が滅びる前に俺が倒れそうだったので、砂糖を入手するためにカウンターへと近付く。
「コーヒー買った奴が無料なんだよ! 文無しは出て行きなッ!」
食堂のおばちゃんに叱られて、しぶしぶと外へと退散する。
人工島の外周はすべて歩道になっている。暇な時間に散歩するのに丁度良い長さになっている。
計画最終段階の星姫区画は発射塔の建造で夜間もうるさくて通り過ぎるのみであるが、正反対の住居区画は静かなものだ。特に、自然の海岸を模した砂浜が好ましい。寄せては引いていく波の音を聞いていると寂れた心が癒される。
試験管の中で生まれた俺達だって、遺伝子提供元はこの母なる海から生まれたのだとごく自然に納得できてしまう。
製造目的を放任してしまい、未来も希望もない俺達男子学生一堂が、グレる事なく生活できている理由。個人的には、大いなる母の手の内で学園生活を送っているからなのかもしれない。
自然石のような人工石に腰をおろして、目を閉じて波の音に耳を浸す。
こうしていつまでも静かに過していた――。
「――夜明けなんて待っていられない~♪」
甘ったるい飴を耳の穴へと流し込まれたかのようだ。キャピキャピした歌声に鼓膜が汚染されていく。俺の耳、汚されちまった。思わず涙ぐんでしまう。
「――だって明日が来ないから~♪」
食堂のテレビから流れていた歌とまったく一緒。同じ歌詞。とはいえ、どこかの携帯端末から流れている歌声という訳ではなさそうだ。汚染は耳だけではく地肌でも感じられている。
俺が岸辺にやってきた後に遅れて現れた人物が、砂浜をステージに歌い始めたに違いない。
「――だって今日で終わりだから~♪」
伴奏のない、生の歌声だというのにテレビとまったく一緒の歌声だ。
……それもそのはず。足跡を残しながら砂浜の中央に歩いて行っている人物はテレビで歌っていた人物と同一なのである。
服装こそ学園の制服でフリフリが付いていないものの、似合っていない訳ではない。小柄で細身な体付き、何より非人類なオレンジ色の髪の毛。
星姫候補、人参のパーソナリティだ。
==========
▼人参
==========
“シリアルナンバー:023”
“通称:歌い姫”
“二十五体の星姫候補の中では最も幼い個体の一体。ただし、妹キャラは025が不動の地位を得ているので023は異なる路線で活動し、人気を得ている。
外見的な特徴はオレンジ色の髪。
内面的な特徴は精神分析、人間の心の解明であるが、進捗具合はグダグダである”
==========
五十年以上前のアイドル的な歌詞と夜の海岸はミスマッチであるが、小さな体から発せされているとは思えない声量は確かに歌手のものである。少なくとも、大和よりは断然に歌が上手い。
正直言うと、彼女の歌を俺は好んでいない。今も波の音を邪魔されてしまっているから、という一時の感情のみで嫌っている訳ではない。
ただ、世間的には昭和、平成生まれのご年配の方々を中心に熱狂的に支持されている。いい年した六十代以上が「懐かしい」「あの頃は良かった」「あのグループは確かKGBって名前だったかのう」「何で星姫候補全員でユニット組まないの」と懐古心だらけの言葉で歌い姫を応援している。俺は演歌の方が良いと思うんだけどなー。
「ごめんね。邪魔しちゃった?」
一曲歌いきった人参がくるりと振り向いてくる。
少女の顔は、笑顔。
夜でもはっきりと識別可能なオレンジ色の髪にオレンジ色の目。人類の顔の中央点を意識した誰の目から見ても好ましく感じられるよう設計された骨格。単純に言って美少女。
俺は人参に微笑みかけられたので……彼女の視線を追って後ろへと振り向く。
「あはは、君に言ったんだよ。白々しいなー」
白々しいのはどっちだ、と言い返したい。星姫候補は素のポテンシャルであっても人類を遥かに上回る。暗い海岸に座っている学生一人、センサー性能から言って発見できなかったはずがない。
一五〇センチしかない身長も味気ない理由しかない。技術革新により後発の星姫候補の方がより小さなボディに必須機能を集約できたからに過ぎないのだ。
若い男女が夜に二人っきりでいる場合、かつ、女が星姫候補という条件が付けば、命の危険があるのは男の方のみ。目前の少女は牙どころかレーザー兵装さえ有する根菜類。人間が携帯可能な火器で立ち向かえる相手ではない。
まあ、人類を救ってくれる星姫を傷つけようとする馬鹿は早々いないだろうが。安全を確保された人工島なら尚更である。俺達にとっても逆恨みし易い相手であるものの……まあ、男子寮の奴等は馬鹿ばっかりだし。
補足として、人工島で本当にだたの学生業しかしていない俺達男子学生は、人工島では特殊な存在だ。貴重な存在ではないのがポイントである。
「黙り込んじゃって、緊張しているのかな。確かに私は星姫候補だけどそんなに緊張して欲しくないかなー」
「別に緊張はしていない。立場上、同じ学園の生徒だ。共同生活はそちらからの提案だから、俺達はまったく遠慮していない」
「そうだねー。男の子達皆楽しそうだし。あはは」
星姫候補、人参。人類を救ってくれるありがたい存在の割には馴れ馴れしく隣に座ってくる。こういう時、長門君ならばハンカチを敷くような気配りができるのだろうが、今の俺にはハンカチの持ち合わせがない。う、左肩の傍に感じる気配がむず痒い。
「君は私のこと知っている?」
「同じ学園の生徒だから知っている」
「それ、生徒じゃなかったら知らなかったって言っているみたいに聞こえる。もー」
二十五体も星姫候補がいるのである。覚えるのが大変だ。
「シリアルナンバー023、人参。ほら、ちゃんと知っているだろ」
「私は君の名前を知りたいなー」
だから、白々しいのだ。クラウド上の名簿情報にアクセスすれば簡単に割り出せるのに名前を訊ねてくる。最近の若い人間だって、直接名前を聞くのは礼儀作法の範疇の行為だって割り切ってしまっている。
「俺は、武蔵だ。ただのごく潰しの名前だ」
俺は俺に対する自己評価が低い。名前に愛着は一切ない。まあ、研究所の奴等に散々そう言われて育ってしまったので、うん、生まれが悪かった。
「武蔵君。うん、覚えた!」
一方で、人参は俺の名前を知ったぐらいで酷く嬉しそうだ。肩ぐらいまでのオレンジ髪を上下に揺らして頷いている。
「武蔵君は三ヶ月後の総選挙で、私に投票してくれるのかな?」
自己紹介を終えた後、ふと、明日の授業の内容を聞くかのように人参は問いかけてくる。きっとこれが彼女の本題だったのだろう。
「人参は星姫を目指しているのか?」
「それが私達の製造由来。特優先S級コードだもん。星姫候補が、星姫となって人類を救う道を目指さないはずがないから――」
星姫を目指す彼女は夜空を見上げてそういった。きっと、木星と火星の間ぐらいを観測しているのだろう。
「……今のところ、特定の誰かに投票するつもりはない。けれども、人参がそういうのなら投票しても良い」
オレンジ色のまつ毛の向こう側で、オレンジ色の瞳孔が絞り込まれる。
その瞳孔の動きは……拒絶に似ていた。
「やったっ。ありがとう!」
一瞬前の瞳孔の動きは気のせいだったのだろうか。
人参は嬉しさのあまり立ち上がって、スカートの砂を落としてから去っていく。お淑やかとは言い難い。
「じゃあね。また! 武蔵君ももう遅いから帰りなよ!」
元気一杯に去っていく人参は人類救済の希望としては相応しく思えた。暗いとか、悲しいとか、そういった負の側面を一切外側に見せていない。
「まあ、人類超えたAI様だしな。低脳な人類では表情が読めな……い事もないか」
超高度AIだからではなく、きっと単純な性格差なのだろう。二十五体もいるので、もっと分かり易く悲観して捻くれた奴もいる。
深く考える必要はない。人参は本気で人類を救えるという計算を導き出したのかもしれない。それならそれでハッピーエンドだ。
三ヶ月後の総選挙では人参に投票しよう。
海岸からの帰り道、防風林の隙間から吹き抜けて来る風が強い場所。
向こう側から歩く女子生徒と俺は擦れ違う。挨拶は、特にない。
隣り合った瞬間、僅かな時間だけ頬を彼女の長い黒髪が擽ったが、特に何も言わずに俺達は擦れ違う。