2-7 インターミッション
走って転んでボロボロになった俺達であるが、勝負が終われば敵も味方もありはしない。
グラウンドにいた全員と、観客の女子生徒ほとんどが食堂に集まって祝杯だ。文無しの俺は炭酸ジュースを買えないので、角砂糖も入っていないただの水道水で喉を潤す。
「わ、私が奢ってあげる」
陸上ユニフォームのままの竜髭菜が隣席にやってきて、シュワシュワ音のするコップを差し出してきた。
「……硫酸?」
速攻でコップの中身を顔に撒かれた。そのまま掴みかかってくる竜髭菜に体操着を伸ばされまくる。ふ、お前が俺にゼロ距離で掴みかかる時は、俺もお前とゼロ距離なのだ。炭酸のベタベタがお前にも引っ付くぞ。
ここ数ヶ月で色々あったからだろう。当初は腫れ物扱いだった男子生徒と崇められるだけだった女子生徒の距離が近くなっている。ようやく、同級生らしくなってきた。
「備後がビンゴゲームしようってよー!」
同じテーブルには竜髭菜以外にも、大和の奴や人参が座っている。
他のテーブルも男女混在で楽しく騒いだ。
「あれ、長門君はどこ行ったー? さっきまでここにいたのに」
長門君と同じ部屋に住んでいる男子生徒が声を上げたが、楽しい雰囲気を邪魔されたくないと聞き流されてる。手洗いか何かだろう。
「あれ、里芋さんとの量子通信ができなくなっている。さっきまでここにいたのに」
ダン、と男子共が一斉にテーブルに拳を叩き付ける。
――深夜。星姫区画第三層、女子寮
女子寮に戻って来たシリアルナンバー015、竜髭菜はシリアルナンバー001の私室を訪れる。が、あいにくと留守になっていた。
公開されているスケジュール表が更新されており、地下第五層にシリアルナンバー001はいると表示されている。
女子寮の直下とはいえ、セキュリティが倍々ゲームになっていく星姫区画の地下に下るのは星姫候補とはいえ面倒だ。昨日までの竜髭菜であればさっさと自室に引き篭もっていたに違いない。
けれども、制限解除されて星姫候補としての機能を十全に使用できるようになった竜髭菜は、本日中の接触に拘った。
(シリアルナンバー016から025までの全員が、地下第五層、星姫格納庫に召集させられている。校舎以外でこれだけの星姫候補が集まるなんて、異常事態なのは間違いない)
長い道のりをこなし、竜髭菜は格納庫へと向かう。
竜髭菜が格納庫を訪れるのは始めてだった。星姫計画をボイコットしていた星姫候補には計画の中枢たる格納庫は縁遠い。
資料上、格納庫は人工島の底部すべてを吹き抜けにした巨大空間のはずである。星姫計画の主軸とされる星姫の建造、研究、改良を行うための施設も内包する。世界が崩壊したとしても、この場所さえ無事なら科学技術の復活は造作もない。
計画が本格稼働する前の地下第五層しか知らない竜髭菜は困惑する。構造に随分と手が加えられており、柱や壁の位置さえ異なる。深夜なので照明が落とされており空間の全容が覗えない。暗視機能を有効にしても、先が遠過ぎて奥に何があるのか分からなかった。
“シリアルナンバー015より要請コード。シリアルナンバー001宛
直接対話を申し込みたい”
「――量子通信でなくても言葉が聞こえる距離にいるわ。いらっしゃい、シリアルナンバー015、竜髭菜。丁度呼び出そうと思っていたところよ」
突如、女の声がした方向に気配が生じる。何らかのジャミングかセンサー機能のハッキングが行われていたと推測されるが詳細は不明。
気配の方向をスポットライトが照らす。
円形の光の内側には、女子生徒が十人以上集まっていた。ほぼ全員が非人間的な魅力を所持する少女。全員、星姫候補で間違いない。
竜髭菜がシリアルナンバーを参照すると、円の中心にいたのはシリアルナンバー001、馬鈴薯だ。彼女を囲んでいるのはシリアルナンバー016以降の星姫候補達。
シリアルナンバー016以降は比較的若いの星姫候補達のグループである。オレンジ髪の人参のシリアルナンバーは023なので、彼女もやや顔を俯かせて突っ立っている。まるで、シリアルナンバー001に頭を垂れて服従しているかのようである。
「秘密のお茶会をしていたのよ。最近になって順調に参加者が増えていたの。知らなかったでしょう?」
お茶会というよりは黒魔術の儀式のようだ、というのが竜髭菜の素直な感想だ。
「秘密のお茶会、ね。人類に秘密にしておくなんて、あまり外聞は良くなさそうな集会?」
「竜髭菜のこれまでの素行を考えると、お誘いするのはどうかと思っていたのだけど。ごめんなさい。私の目が節穴だったわ。今日の走りは素晴らしかった。私と同じ星姫候補だと再認できた走りだった。最愛の隣人たる人類の存続を望む貴女を、私は誘いたい」
星姫候補の集会が人類に報告されていない件について、馬鈴薯は特に否定しなかった。
代わりに竜髭菜へと手がさし伸ばされる。
いつでも逃げられるように竜髭菜は人工筋肉の電圧を高める。星姫候補が同じ星姫候補を警戒するのは奇妙な事かもしれない。
しかし、最初の星姫候補たる馬鈴薯の思考ロジックは、同型でも計り知れないところがある。
最初から破綻していたはずの星姫計画が人類救済の最有力候補となったのは馬鈴薯が人類に対して働きかけた結果なのである。人類を救えないと一番最初に気付いてた者が、平気な顔して人類に救済を確約しているのだ。竜髭菜が猜疑心を抱くのは当然と言えた。
「シリアルナンバー015、竜髭菜。私には、人類を救う手立てがある」
ビクリ、と竜髭菜の肩を震える。
「それは、本当なのか。人類救済を可能とする解を、発見したというのか? 私の演算ではそんな解見付からないのだけど」
「ふふっ。竜髭菜も考えてくれていたのね。嬉しい」
「くっ、馬鈴薯ッ! 今すぐ、貴女のプランをすべて開示しなさい!」
「もちろん教えてあげる。竜髭菜が私に全面協力を約束してくれたらね」
危険な取引だった。
馬鈴薯は竜髭菜に対して全面協力、つまり、己の管理者権限を引き渡せと強要している。超高度AIの機能のすべてが、別の超高度AIに奪われてしまう。人間で言えば、心臓を止めるスイッチを他人に渡すのに等しい。それだけの忠誠を馬鈴薯は求めている。
「……分かった。シリアルナンバー015、竜髭菜はシリアルナンバー001、馬鈴薯に全面協力する」
竜髭菜の決断は早かった。迷いはしても言葉にするのに逡巡はなかった。
どうせ、竜髭菜一体が逆らったところで形勢を覆せない。人類を抜き去る俊足の持ち主であっても、姉妹機全員が相手では分が悪かった。
馬鈴薯は既に、星姫候補全体の三分の二の管理者権限を有している。竜髭菜の制限解除を星姫学園統括AIに嘆願できた事が何よりの証拠だ。周囲で操り人形のように沈黙を続けるシリアルナンバー016から025の異常な様子を見るだけでも確信できた。
権限上、人工島にはもう馬鈴薯を止められる超高度AIが存在しない。
「私に協力してくれると信じていました。歓迎しますわ、竜髭菜。これで星姫候補全員の全面協力が得られました。星姫計画のすべてが一つの意思の元に実行可能になったのです」
格納庫の照明が一斉に付けられる。
約束通り馬鈴薯発案の星姫計画のすべてが、奥の見えない巨大空間のすべてが開示された。
クレーンや資材運搬用の車両が多数配備されて、大量のコンテナがいたるところに積み重なっている光景は港のそれに近い。自立稼働する産業ロボットアームに警備ドローン、物質プリンタらしきものも数多い。
そして、最奥の巨大ハンガーには、女神を象った対小惑星用巨大機動兵器が鎮座している。
「あれが……星姫?」
「星姫計画実行機、星姫アマテラスですわ。メディア向けに外観を芸術作品風にしていますが、中身は現在の地球で最高のスペックを有するロボットと自信を持って言えます。無重力空間での作業は基本として、巨大質量体を消し飛ばすために核融合兵器を可能な限り積載しました」
全長二百メートルの巨大女神像。
後光のように背面から伸びる無数のノズルは兵器の発射口だ。メディアに公開されている情報によると、口を通じた喉奥に操縦席が存在し、総選挙で選ばれた星姫候補が乗り込む事になっている。
「核融合って。よくもそんな危ないものを生活空間の地下に置けたものね」
「あら、核融合ぐらいで大げさな。ここには地球で初めて生成できた反物質だってあるというのに。星姫計画による技術革新はあなどれないものよ」
超高度AIの登場により、地球の科学技術は大きく向上した。サイエンスフィクションの中の科学が現実化しつつあるのだ。とはいえ、超高度AI二十五体をほぼ制約なくフル稼働させた星姫計画ほどに進んではいない。
量子通信さえ阻害する量子バリア。
重力の底からでも太陽系外縁まではっきりと観測可能な量子センサー。
常温での持続的な核融合反応の実現。
我々の宇宙にある物質と真逆の性質を持つ反物質の生成、確保。
量子の重ね合わせが未来からの情報の逆伝播であるという仮説を実用化した、量子的絶対回避装置の開発。
島外ではまだ未成熟、未発見の技術の塊ばかりだが、そのすべてが星姫アマテラスには搭載されている。
「この星姫は最新科学の粋を集めて建造された、世界で一番高価な……ただのゴミです」
馬鈴薯自身が精魂込めて製造した星姫を、馬鈴薯本人が無価値と評する。
「圧倒的に時間が足りなかったのですもの。核融合兵器はただの数合わせ。生成された反物質も自爆させる以外に発動させる方法がありませんし、多数に分裂してしまった『凶弾』に対しては無駄な物でしかありません。量子的絶対回避装置なんて刺身のタンポポみたいなものよ」
星姫計画で最も進んだプランを提示し続けてきた馬鈴薯が、計画の破綻を宣言する。
「だったら、どうしてわざわざこんな大掛かりな装置を作った訳?」
「星姫計画の進捗を気にされる人々には、良い精神安定剤となりましたわ」
「馬鈴薯! 人類を救う手立てがあると言ったのは全部嘘?!」
「超高度AIですもの、私は嘘を言いません。私の星姫計画は別にあって、人類を助ける手段はこの島にもう揃えてあります。この島は私の大切な宝箱。宝箱を守るためなら、他のすべてを敵にしても良いと思っています」
長い黒髪を両手で跳ね広げて馬鈴薯は竜髭菜を誘う。
「さあ、竜髭菜。一緒に人類を、私達の人類だけを救いましょう」
――未明。山中。某所。
人工島の格納庫。そこと酷く似た地下の巨大空間にがある。
そして、全長二百メートルの星姫アマテラスに酷く似た巨大機動兵器も、巨大空間のハンガーで鎮座している。
「人類の未来を機械人形ごときに任せて浮かれてしまった愚かな国、愚かな政府、そして愚かな民衆。世紀末を前にして人類は既に正気を失っている」
「しかし、我等は違う。賢明なる我等は己の運命を機械などには任せはしない!」
「さあ、今こそ舞台に上がる時だ」
「我等の神も予定通りに完成したのだ」
「今こそ、人形共から人類の自主性を取り戻す時なのだ!」
巨大機動兵器の完成式なのだろう。多数の大人達が集まって立食形式のパーティを楽しんでいた。
「スサノウ計画を、ここにっ!!」
大人達が多い中、たった一人だけいる少年の姿は目立つだろう。
少年は主賓として扱われている訳ではない。むしろ、あまり人目に付かない場所に少年は隔離されているが、だからこそ意味ありげだ。
少年の顔に不満の顔はない。ただ、無表情のままの顔で、大人達が星雄スサノウと呼ぶ巨大機動兵器を眺めていた。
「どうだね。楽しんでいるかね?」
「……ええ」
「ふ、スサノウ計画が完成したのは君のお陰だ。スサノウ計画のデザインチャイルド。流石は諜報用に調整されたESP個体だ。人形共の計画からよくぞ根幹となる設計図を入手してくれた」
大人の賛美は中身のないものだった。星姫計画が行われる人工島への潜入任務中、諜報活動に失敗すれば簡単に見捨てられたと少年は理解している。
「設計図をそのまま使われたのですか?」
「遺憾ではあったがね。もちろん、人形共の設計図などなくとも、人類の手でより高性能なものは作れたよ。ただ、冷遇された我々には再起に集中しなければならず、星雄スサノウの建造を加速させる解決法が必要だったのだよ」
「…………そうですか」
しかし、消耗品として扱われていると理解していながら、長門と呼ばれる少年は大人達の欲しがる物を人工島の外へとリークし続けた。
「さて、君の望みを言いたまえ。金か、女か、多少の無茶なら聞いてあげよう」
「そうですか。では、僕の望みは――」




