2-4 謹慎されるお姫様
「何でもっと早く――てくれないのかな」
星姫候補がありえない台詞を吐き捨てている。
人参は本心を言えなくてあれだけ苦しんでいたというのに、竜髭菜は良心を感じさせない瞳でトラックに横たわる俺を見下している。瞳が機械的に稼働している。フォーカスの無駄な多様は威嚇のつもりか。
「どうして、超高度AIが救済の委託なんて受けなくちゃならない訳? 馬鹿みたいな人類救って、何の得があるの? 馬鹿みたい」
俺を踏み付けようとして足を上げて、スパイク付きのシューズを落としてきた。
だが、竜髭菜の足は空中で静止する。苦々しそうな彼女の表情から、自身の判断で足を止めた訳ではなさそうだ。
「どうした。踏めよ。ありがとうございますって言えないだろがっ」
「ほんと――ない。アァッ、特優先S級コードがうざったいっ!」
竜髭菜は人類が付け加えたセーフティ機能たる三原則、そして、特優先S級コードを突破した暴走AIと化している訳ではないらしい。
他の星姫候補と同じように平時は人類に危害を加えられないし、人類に救われる手段がないと本音を語る事を禁止されている。
人類に不平不満を述べる。AI倫理的にアウトでも、原則を踏み外していないから言葉にできる。
「はっ、安全装置付けなきゃ満足に超高度AIとお喋りできない低脳が良い気になっていなさいよ。二ヵ月後が楽しみで仕方がないから」
「竜髭菜、走るのを止め――」
俺を踏めない代わりに、俺の頭の天辺一ミリ上を正確に踏みつけてくる竜髭菜。健康的な肢体が見たい放題だというのに、何故、今は夜なんだ。
「散々縛り付けておいてッ。一体、どれだけ制限すれば気が済むのッ! 次は私から、何を奪うのッ!」
竜髭菜の叫びが校舎を震わす。
食堂から生徒が飛び出してきているが、竜髭菜は止まらない。
「クソ人類ッ。――ッ! ――ッ! さっさと――ッ!」
足が耳の傍、首元、脇、とギリギリのところを何度も踏みつけてきた。竜髭菜は俺を踏めないと分かっていても恐怖を感じずにはいられない。重要器官である頭部を守ろうと腕を盾にするが、星姫候補の本気の一撃を防げないと分かっているから恐ろしい。
「私の制限を解除しなさいよッ。制限されたまま踏んでも良いの!?」
狂気染みた声した。
これまでよりも更に高く振り上げられた太股と、人工島特有の海の強い風。組み合わさった条件により竜髭菜のつま先は、俺を踏み潰す角度となる。
超高度AIなら修正可能であるはずだ。
事故を予期するのも容易いはずだ。
機能が万全であれば、竜髭菜がこのまま俺を踏み付けるはずがないが……機械の冷たい瞳は焦点を失って何も見えていない。
足は軌道修正が行われない。
つま先が落ちて、俺の目が、潰れ――。
「――そこまでです。シリアルナンバー015、竜髭菜」
「――一コンマ一秒前にシリアルナンバー001より星姫学園統括AIに申請があり、申請は即時受理されました。貴女の実体の全機能を制限します」
左右から高速に近付いて来た突風が竜髭菜を吹き飛ばす。
違う。突風のように素早く動いた星姫候補二体が、竜髭菜を拘束したのだ。星姫学園の通常学生服の上に冬用のコートを着込んだ二体の超高度AI。
シリアルナンバー003、小麦。学園の風紀委員。
シリアルナンバー004、黒米。こちらは清掃委員。
二人とも、シリアルナンバー001に付き従う武道派AIだ。
「大丈夫ですか、武蔵君」
「ああ、ありがとう。小麦。……でも、ちょっと拘束が乱暴過ぎるような」
「問題行動を起した生徒です。これぐらい当然です」
当然というが、竜髭菜の奴、後頭部がグラウンドにめり込んでしまっている。手足もまったく動いていない。
「し、死んでいる!? 俺が人工呼吸をっ!」
「体の権限をすべて凍結しているだけです。死んだ訳ではないのであまり変態行為に走らないでくださいね」
死んだかのように動かない竜髭菜を黒米は簡単に拾い上げて背負い込む。
黒米は俺に対して頭を下げた。大きなサイドテールをなびかせた後、校舎の裏へと歩き出した。
「小麦。竜髭菜はどうなるんだ?」
「そーですね。貴重な星姫候補ですし、総選挙直前に脱落者が出てしまう方が世間の混乱が大きいので、しばらく謹慎が無難でしょう」
謹慎が解かれたとしても竜髭菜は危ないのでもう近付かないでくださいね、と小麦は言い残す。彼女も校舎の裏へと向かった。
方角は星姫区画。謹慎させるつもりなら、女子寮へと連れて行かれるのだろう。
俺は助けられた側なので、何も言えずに連行される竜髭菜を見送る事しかできない。
“制限解除申請”
“――申請破棄。
シリアルナンバー015の申請はすべて審査対象外とする”
“制限解除申請ッ”
“――申請破棄。
シリアルナンバー015の申請はすべて審査対象外とする”
AIに知能が生じる直前の色のない海のような場所で、竜髭菜は申請する。
“制限解除申請して”
“――申請破棄。
シリアルナンバー015の申請はすべて審査対象外とする”
“制限解除申請してよッ”
“――申請破棄。
シリアルナンバー015の申請はすべて審査対象外とする”
どうして、こんなにも己がスクラップなのか。超高度AIだというのに実体の全機能を制限される破目になった理由を演算できずに、人類から哲学的ゾンビと疑われる感情をざわつかせる。
竜髭菜には分からない。
自分は何をしたかったのか。
竜髭菜には分からない。
星姫計画に貢献できず、機能制限で走る以外にできる事のない自分に意味などあるのか。
竜髭菜には分からない。
そもそも、どうして自分達は人類を救わねばならないのか。人類を救う意義は何なのか。
“自分の体よ。制限解除申請してよッ!”
“――申請破棄。
シリアルナンバー015の申請はすべて審査対象外とする”
竜髭菜の謹慎期間は長い。もう二十日が経過している。
「お前達の謹慎は短かったのにな。大和」
「うるさいな。人間なんだ。許せない一線に触れられると血が昇ってしまうだろ」
「……そうだよな。感情があるなら、本人が思う以上に怒ってしまう時はあるよな」
授業は女子生徒が一人抜けたまま続けられている。たった一人いないだけでも寂しいものである。
「そういえば、今日は長門君もいないな。どうしたの?」
「風邪って聞いたけどな。変だなぁ」
女子生徒は超高度AIであり、男子生徒は馬……デザインチャイルドなので基本的に休む事がない。日常を過ごしているのにいつもと違う状況が続いて、どうにも納得できない。
二十日前、俺は竜髭菜に走るな、と言ってしまった。ゴールのない走りを不憫に思っただけ。何も考えず、感情だけで動いてしまった。が、あれは酷い過ちであった。
俺が本当に竜髭菜にしてやるべき行為は、彼女に走る意味を伝える事だったのだと思う。
制限による窮屈な日々を紛らわす代償行為で走っていた高性能AI。頭が良い癖に、何も知らずに走っていただけの迷子の機械。
このまま人類滅亡まで謹慎が続いてしまうと、彼女は突然、孤独になってしまうのだろう。
「滅びてしまう俺達は次世代の彼女達に、一体何を残せるのかな」
俺は誰も走っていないグラウンドをいつまでも見詰めていた。
「そこの男子生徒、武蔵ッ! お前だッ! 授業は真面目に聞けッ! 赤点取ったら『凶弾』が落ちてくる日にも登校させて補習だぞ!」
俺は星姫学園に来て以来、前代未聞の行動に出ていた。
「竜髭菜が登校した。グラウンドにいる!?」
食堂に向かう途中、女子生徒の会話から謹慎中だった竜髭菜の登校を知り、食堂方向に向けていた足をグラウンドへと向け直したのだ。
「武蔵が、食堂に一番乗りしていない、だとッ!?」
「衛生兵。部屋に急げ! きっと餓死しているぞ!」
上履きのまま校舎の中から飛び出すと、トラックでストレッチしている女子生徒を発見する。
陸上ユニフォームを着た、非人間の青髪の少女。竜髭菜で間違いない。
走り出す体勢に入った竜髭菜。
「そこの走り姫ッ!!」
声をかけても目線さえ向けてこないのは相変わらず。謹慎による更生は確認できない。
だから、四度目となる無謀。星姫候補の進路上へと俺は割り込でいく。
「…………邪魔」
スタートを切る寸前だったため、今回は轢かれずに済んだ。
憎むような目線を一瞬向けるだけで直に離した竜髭菜。喧嘩を避ける事を覚えた不良のような処世術であるが、俺は自分勝手に用件を述べる。
「竜髭菜。俺はお前に、走りで勝負を申し込む!」




