2.学校
「私は、院内学級に通ってる。それは、5年前、から」
最近の記憶から思い出す。まず私が通う院内学級のこと。院内学級とか言いつつも別の生徒や児童とは顔を合わせない。個別指導的な感じだった。最初の頃はまだクラスメイト的な子もいた気がするが、途中からいなくなった。理由は知らない。というか如何せんこんな性格で人見知りで口下手なため、友達なんていなかった。話にもついていけなかったし。
「そうなんだ~!!ようちゃんもね、ちょうど5年くらい前からここにいるんだよ!」
夕也が喜々として語る。“ようちゃん”は私よりいくつか年下の女の子で、はきはきと喋る子だった気がする。少なくとも夕也よりはお喋り上手で女の子らしくキャッキャしている。
「へぇ、そうなのね」
適当に相槌を打つ。あ、相槌打てた。だんだん会話の仕方を思い出している。良い調子。
「彩ちゃんは本棟に来たことあるの?」
本棟、というのはおそらく病院から徒歩数分程度の場所にある中学校の事だろう。かつて担当医から附属中学には別棟があり、そこに病院の院内学級を出て、病院から通う生徒や特別支援学級…とかいうのもあると聞いた気がする。
「一度だけあるよ。入学前にぐるっと回った」
院内学級の中でも別棟に通うことができそうな子を集めて学校内を見学したことがある。結構広めの廊下はきっと車いすの為だろう。あとカード認証で使えるエレベーターがあって、車いすでも安心だからねー、などと案内役の先生が言っていた。意外と過保護、というかなんか豪華…別にきらびやかなわけではないけど、設備が整っていた記憶がある。
「うちの学校って結構いい感じだけどさ、未だに広くて迷っちゃうんだぁ…」
夕也はそう言って首に手をやる。さっきから自分の欠点や短所を話すとき、夕也は首に手を置いてへらへら笑っていた。癖なのかもしれない。
迷う、ということはまだ入学したてなのか。確か定期検診が6月だったから今は6月のはず。ならまだ迷うのもわかる。
「1年なら、迷うのも無理はない、のかな」
私が呟くと夕也はまた首に手をやって蚊の鳴くような声で返してきた。
「そうだね…3年にもなって未だに迷うのはちょっとヤバいよね…えへへ、」
ああ、そういえばさっき言っていた。自分は物忘れがひどいと。そこまでのレベルなのか、と思ってしまった。人のこと言えないくせに、とも思ったけど。つい黙り込んでしまう。どう話したらいいんだろう。
「ああ、別にそんな大したことないんだ、普段はようちゃんと一緒に別棟にいてさ。それと方向音痴もあって…へへへ、だから本棟に慣れてなくって」
なんだ。びっくりした。私は記憶力こそ良いものの決定的な欠点があるから、同じかと思って期待してしまった。それはしちゃいけない期待だぞ、私。
「でもね、病院はあんまり来ないから迷っちゃって。というかようちゃんのお部屋を書いたメモすら間違ってたんだよね」
また首に手を当てながら、へらへらと笑う夕也。やっぱり首に手をやるのは癖なんだろう。
__他愛もない話のはずなのに、私は久しぶりすぎて会話の中で飛び交う言葉を一つ一つ覚えてしまう。全て、全部全部、記憶してしまう。
『そんなに勉強でも何でもかんでも記憶するのはいいからあのことをちゃんと思い出したらどうなんだ』
「……ぅ!?」
「…?彩ちゃん?」
ああそうだった。人と話すっていうのは、こういうことだった。忘れていた。苦しい。どうしよう。記憶力はいい癖に嫌な事ばっかり記憶から追いやって。消しやがって。
「…いや、何でもない。大丈夫」
夕也は未だに不安が残る顔をしていたが、頑なに大丈夫という私を見て遂に心配することを諦めたようだった。私がこれ以上会話することへの恐怖を感じ始めた頃、ちょうど看護師がやってきた。
「日色さーん、次、行ってください」
ドア越しに素っ気なく、間延びした声が響いた。ドア越しでよかった。私が人と話しているのを見たらきっと院内学級から別棟に移されかねない。大げさかもしれないけど。
「次は私の番らしいから、きっとあなたの言う“ようちゃん”も帰ってくると思う」
夕也に言う。そしてベッドから降り、愛用のスリッパを履く。時計を見て、まあ概ね予定通りに、滞りなく検診が進んでいるんだな、なんて思った。
「そうなの!?じゃあ、僕はようちゃんのところ行くね!」
そう言っていそいそと荷物を抱え上げる夕也。危なっかしい手つきでエナメルバッグを持ち上げ、小走りでドアへ向かう。
「じゃあまたね!」
“またね”なんてまた会うみたいなこと言ってる夕也に笑ってしまう。これっきりだ。人と会話することを、私はまた諦めるだろうから。
なのに。
「うん、また」
“また”なんて言ってしまった。阿呆らしい。