善知鳥束
政治の中心地、永田町。
そのすぐ隣に広がっている繁華街では、サラリーマン達が居酒屋で愚痴を吐きつつ妄想を語り、通りを隔てた料亭では政治家による企てが粛々と進められていた。
今宵も多様な欲望や情念が渦巻くこの街には、喧噪を遮る壁のように長い坂がある。
この坂を上りきったところにある高台は、静かな住宅地として知られているのだが……。
今夜はいつもと少しばかり様子が違う。
道路脇に停められた黒塗りの高級車。それを守るように囲む武装した集団。指示を出し合いながら、緊張した面持ちで装備を構えている彼らは、片時もひとところから目を離すことなく次の指示を待っていた。
彼らが注視しているものは、人間大の影だった。片目を潰され、歯をむき出しにして人々を威嚇している影。明らかに人ではない、その影の正体。それは――――。
成り代わりにより人間社会を脅かす存在。≪異形の者≫だった。
「高瀬君を中心に各員、依頼人の警護を固めて」
「了解しました。皆さん、俺より前には出ないようにお願いします」
「――ん、いいね。じゃあ八重君と僕は本格的な排除に移ろうか。……先生、よろしいですね」
グレーのスーツにジャンパーを羽織った細身の男は、車の窓越しに依頼人に確認をとる。“先生”と呼ばれた老人は、ゆっくりと頷き「あとは任せる」とだけ告げた。
男がス、と頭を下げるのを確認すると、老人は車の窓を閉めるよう運転手に命令する。あとは事が終わるのをここで待つだけだ。
窓が閉まりきったのを耳で確認すると、スーツの男は静かに頭を上げた。その表情は疲れきっており、とてもこれから仕事だというような覇気は見えない。しかしこれは今日に限ったことでも無く……。彼――善知鳥束――は幼い頃からこうなのだ。
さて、とひとりごち、束はこのあとの手順を頭に浮かべる。
――今回の依頼人は、とある大物政治家だ。成り代わりを疑われたのはなんと、その政治家の秘書だった。
話を聞いた際には、政界にまでも異形の者の手が伸びているのかと驚いたものだが……。それはあくまで人間である束からの視点だ。
異形の者からすれば、エリートと呼ばれていようが空き缶拾いで生計を立てていようが、同じ成り代わる対象であることに変わりはないということか。
しかし変わりはないといっても、問題がないというわけではない。影響力のある人間とそうでない人間とでは、成り代わられた時に出る被害の大きさは段違いだ。
今回は話が大きくなる前に対象の目星をつけられたことが功を奏した。依頼人の政治家が、用心深い性格だったことも幸運といえる。
依頼人の乗った車の傍らでは、助手用に開発された装備――対異形種用大型ライオットシールド――を手にした青年が、引き締まった表情で仲間に指示を出していた。束のチームの一員である青年、高瀬は数名の社員を率い、依頼人の警護に当たるよう言い渡されていたのだ。
実力を見込んで、自ら引き抜いてきた高瀬を束は信用している。依頼人の無事を気にする必要は無いだろう。
「ふ……」
これが意味するところ――。それは束が“自由に”やれるということだった。
束が隣で装備品の再確認をしていた八重に目をやると、彼女はすぐに上司の視線に気づいた。二人の視線が交わる。――いよいよ始まるのだ。
「社長、お願いします」
束がその言葉に返したのは頷きひとつ。八重はたったそれだけに込められた意図をくみ取ると、すぐさま先行して走り出した。
◇◆◇
そこから二人の仕事は早かった。
あらかじめ設定しておいた地点に追い込むように攻撃をし、誘うように走り抜ける――――。
言葉にしてみればたったそれだけのこと。
だが街への被害を最小限に抑えつつ異形の者を排除する……。これを実際行うのはなかなかに骨が折れる。
束と八重、この二人がなんでもないことのようにこれらをこなしているのは、プロの探偵として場数を踏んでいるから……、というのも当然あるだろう。しかし彼ら≪つかさ警備≫の対異形警備部門が優秀な理由はそれだけではない。
――チームとして洗練されているのだ。
まず入念に作戦を立て準備を万端にしておく。その精度をどこまで高められるかで、排除の成功率は変わってくる。
束のチームは、その辺りが徹底している。そしてさらに作戦を行動へと移す人材は、つかさ警備のブランド力と束の手腕により集められた、優秀な探偵や助手達だ。
これらの理由の積み重ねにより、つかさ警備の依頼成功率は同業他社を圧倒していた。
「社長! 目標地点に到達しました!」
排除の場として予定していたのは細い路地裏だ。束が想定していたより十分も早くそこへと到着できた。今回の依頼も順調に終えられそうだ。
(今のところ通常の異形の者との違いは見られない、か)
先程の攻撃の名残か、束の持つ警棒から電気の駆ける音がわずかに聞こえた。束の持つ警棒は探偵用に作られた、一般社員とは異なる特別製だ。
スタンガン付きのそれが、まるで獲物を求めるかのように鳴いている――――。
ロマンチストを気取るつもりは一切ない。けれども束はこの音を耳にするたび、わずかながら期待に胸が躍った。
――やっと異形の者と対峙できるのだ、と。
「では、突入します」
小型のシールドを持った八重を先頭に、二人は暗い路地へと歩を進めた。
◇◆◇
「ここからは僕ひとりでも問題無いかな」
もともとここは一本道。対象はすぐに見つかった。
「社長をお守りすることは私の職務のうちですが」
「いやだな、君はもっと上司を信じなきゃ」
辺りにはむせ返るような血の匂いが立ち込めている。路地裏の隅で隠れるように体を抱えているそれは、深手を負っているようだった。
正体を暴いた時に与えた攻撃が効いていたのだろう。人の姿をとって街中に紛れる余裕さえ無さそうだ。これならば束の言うとおり、彼ひとりでも事足りるかもしれない。
「まだ危険は残っているかと」
しかし、得心のいかない表情で八重は束に意見した。
――元々つかさ警備は、チーム力が売りの会社だ。
個人の探偵事務所では技量によって差が出やすい捜査方法をマニュアル化し、複数人で仕事を分担・協力することで誰にでも一定の成果をあげられるようにしてある。ゆえに単独行動は自らの身を脅かすだけではなく、チーム力を低下させ、ひいては仲間を危険に晒す――ご法度とされる行動だ。
それほど危険な単独行動を束が――。つかさ警備によるチームでの捜査法を形にした、当の本人である彼が、排除の段階に移るたびに繰り返しているのだ。単独行動のデメリットを知り尽くしているはずの束が、あえてそんな行動をとるのは不可解でしかない。
八重は束に対して、漠然とした不安を感じていた。
(社長の危うさは私達を……、それどころかいつの日か社長自身へ厄を呼ぶ。そんな気がしてならない……)
どこか訝しげな八重を見て、束は白髪まじりの黒髪を神経質そうに撫でつけた。
(出過ぎた真似をしてしまったか――――)
八重は「あなたの身を案じての言葉なのだ」と口を開こうとした。だが。
「たまにはいいじゃない、社長業は刺激がなくってさあ? 八重君は依頼人の警護に戻ってくれて構わないよ、ご苦労様」
束によりその言葉は遮られてしまった。わざとらしさを隠そうとしない、あっけらかんとした言い方だ。さらにダメ押しのように肩をぽんとひとつ叩かれてしまえば、もう駄目だった。
八重は頭を下げると、何も言わず依頼人の警護へと向かった。その胸中には様々な思いが巡ってはいたが……。最後に勝ったのは束への信頼だった。社長なら、何の問題もなく排除を完遂するだろうと。
「…………」
振り返ることもせず、命令に従い夜の街を駆けていった部下の背中を、束も無言で見送る。
彼女の影を見つめる瞳は、複雑な色をたたえていた。彼は今、何を思っているのか――。束の眼差しから、感情を読み取ることはできない。
◇◆◇
最初の成り代わりが確認されたのは、五、六十年前だったそうだ。奴ら異形の者の出現により当時の人々は混乱に陥り、自分以外を疑うしかない毎日だったという。
しかし人間側もなすすべなく立ち竦んでいただけではなかった。
――異形の者による脅威に対抗すべく、対異形探偵協会を立ち上げたのだ。
探偵の地道な戦いは、やがて結果をもたらし、人間は搾取されるだけの存在ではなくなった。
そして探偵協会の活躍に付随するように、異形の者を調査する研究機関も設立された。だが、こちらについては課題も多く――。
異形の者の全貌は、いまだ明らかにできてはいない。
成り代わった人間の姿のままで存在できること。
思考パターンや記憶の引き継ぎ、異形の者としての機能は完全には失われないということ。
わかっているのはこれくらいで、今研究されている事柄が、今後実を結ぶのを待つしかない。それが現状だ。
しかし、判明しているたったそれだけの情報に、ひとつの可能性を見出した男がいた。
――――善知鳥束。
彼は異形の者が“成り代わった人間の姿のまま存在できる”、そこに着目した。
束はこう考える。成り代わり、つまりはそれは“人間と異形の者との融合”ではないか、と――――。
成り代わりというのだから、もちろん異形の者がとっている姿には元となった人間がいる。そしてその人間は多くの場合、異形の者の手により殺されている。けれども……。
異形の者がかつての自分を忠実に再現するというのなら、元の体が死したとしても、異形の者の体を通じ“生まれなおした”と言えるのではないだろうか。
人間の、“新たな進化”と考えられるのではないだろうか――――。
馬鹿馬鹿しいと一蹴されるような話だが、束は異形の者による成り代わりに、自身の将来を賭けていた。賭けなければならない理由が、彼にはあるのだ。
「…………っ」
束は指先に残る、微かな痺れと筋肉の痙攣に顔をしかめた。人間用ではないこのスタンガンの威力は、普通の肉体には少し刺激が強い。
「さて……」
八重の気配はとうに去り、ここにいるのは束と手負いの異形のみ。
この場の支配者が誰なのかは、語らずともわかるだろう。
「お前は種の中でどの程度の存在だ」
血塗れたスーツを身に纏った異形の者は、言葉と認識できない音を口から漏らした。何を言っているのかは定かではないが、か細く震えていたことから命乞いに近いものだったと思われる。
束にもそれは理解できていたはずだ。しかし彼は、先程の音などまるで聞こえていなかったかのように言葉を続けた。
「怪我をしているがそれがどうした。命の危機だ。死の淵だ。まさか死ぬ為にそんな薄っぺらな皮を欲しがったのか? 違うんだろ? そうだろう? そうでなきゃ話にならん」
詰問し、電流の流れる警棒を打ち下ろす。
「お前達の目的など知らん。人を食うことも知らん。どうだっていい、好きにしろ、金が儲かっていいさ。ただ、僕に教えろ、お前たちの有用性を。早く立て、死ぬにはずっと、まだ早いじゃないか」
繰り返し、何度も何度も。与えられる攻撃は鋭く、無慈悲だ。
「お前が優秀な個か、僕に証明して見せろ」
気づけば束の足元に転がるそれは、ぴくりとも動かなくなっていた。
「これじゃあ使い物にはならんね」
束は溜め息をつくと、つまらなさそうに死骸を見下ろした。しばらく眺めていると、それは徐々に地面へ溶けるように消えていった。この異形の者は、死亡すると間もなく消滅する種類だったようだ。
「やれやれ」
束は警棒をしまい、乱れたジャンパーを軽く整える。
「もしもし、八重君?」
そして無線の電源を入れると、“排除終了”を告げたのだった。
◇◆◇
「――やりすぎではないか?」
任務も無事終了し、残るは依頼人から成功報酬を頂戴するだけ。だがそちらは八重と高瀬に任せるとすでに伝えており、束はこのあと現場から直接会社に戻る気でいた。
さっさとタクシーを拾ってしまおうと、大通りへの道をさかのぼろうとしていた時だ。
――低く響く声が、束に疑問を投げかけてきた。
路地裏の出口に目を凝らすと、大きな影が縁石に腰かけているのが見える。
束は大男に向かって、挨拶がてら片手を挙げた。
「見てたのなら助けてくれても構わなかったのに」
――この大男の名を≪火之道間≫という。束の同業者、つまるところ探偵だ。彼はどこからかで、先程の戦闘を見ていたらしい。
「あんたの前で力を奮うのは好かん」
道間は束の気さくな態度に何か思うところがあるのか、憮然とした表情で腰を上げ吐き捨てる。
束は立ち上がった道間を、目を細めながら見上げた。束にはこの体格の差が、少し眩しい。
束と道間は面白いほどに対照的だ。
体つきはもちろん、異形の者へ向ける感情も何もかも。道間が持つ異形の者への感情と束のそれは根本が違う。道間にはまだ、正義感がある。
それは、束が道間へと抱く嫌悪感が拭えない理由でもあった。
「……君はいつだって毛の逆立った可愛い犬だなあ」
束が歪んだ薄笑いを浮かべながら揶揄すると、道間は獣のように喉を鳴らして威嚇した。ぎろりと束を睨みつける道間の眼は、常人ならばおののくほどの強い力を宿している。
しかし束はというと、胸ポケットからスマートフォンを取り出し振って見せ、
「君の探し物を見つけたら壊れる前に連絡くらいしてやるさ。君と僕の仲だ、遠慮はいらないよ」
ぶつけられた敵意をさらりとかわしてしまう。
「あのなぁ……!」
道間が一言物申すとばかりに口を開けたその時。束の持つスマートフォンから着信音が流れた。
「はい、善知鳥」
電話の向こうの人物は、よく通る溌剌とした声の持ち主だった。
電話越しに聞こえてくるその声に、道間はハッと背筋を伸ばす。束に連絡をしてきた人物――、それは対異形探偵協会会長だった。
佇まいを改めた道間に、束は声にはせず「ここにいろ」と伝える。会話の内容はわからないが、自分と無関係の話ではないのだろうと、道間はそれに大人しく従った。
彼は実直な気質の持ち主だが、こと会長に関してはそれが顕著だ。例え性に合わない束からの指示でも、素直に言うことを聞く程には。
「――ええ、では後程」
通話を終えた束は、忠犬のようにじっと待っていた道間に「仕事の連絡だ」と簡単に依頼内容を説明する。
道間は説明の途中から、もう眼を爛々と輝かせ、話が終わった途端弾んだ調子の声を上げた。
「会長殿のお役に立てる機会が巡ってきたとは、腕が鳴るなァ!?」
しかし。喜ぶ道間とは反対に、束は浮かない様子でさっきまでの会話を思い返していた。
「直々に連絡を寄越してくるあたり、良い予感はしないけど」
所属の違う探偵が手を組む必要があるのは、大抵が厄介な依頼の時だ。依頼人が面倒なのか、成り代わりを疑われている者が面倒なのか……。利権絡みも考えられる。
会長は紳士然としてはいるが、束の見たところ相当やり手で食わせ者だ。
はてさて、今回は何を押し付けられるのやら――――。
「善知鳥殿はもう少し会長殿を敬ってはどうか!」
会長の真っ正直な犬を鼻で笑うと、束は路地裏を後にした。一度会社に戻り、予定の変更とチームへの伝達を済まさなければいけない。
大通りに出ると、タクシーはすんなり捕まった。この時間は酔っ払いを乗せる為に周回している車が多いのだろう。
束は後部座席に体を沈めると、ゆっくりと瞼を閉じた。
道間にはああ言ったものの、面倒事は大歓迎だ。面倒であれば面倒であるほどよい。
「早く出会いたいもんだね」
ぽつりと漏れた一言を耳にしたタクシーの運転手は、バックミラー越しに怪訝な顔で束の様子をうかがった。
(そう思うだろ――――?)
視線を受けた束は、くつくつと楽しげに小さく笑う。
次にまみえる相手が、望みを叶えてくれることを願いながら。