アメリア・サージェントの休日
時系列は1部~2部の間、「レット・イット・スノウ!」の後です。
アメリア・サージェントの朝は早い。
部屋に備えられた窓から差し込む陽の光で目を覚ます。ベッドの上で軽く伸びをしてから、目尻に浮かんだ涙の粒を指で拭った。
ふと隣を見ると、そこには大分冷たくなったベッドの凹みが。どうやら彼はもう起きているらしい。
とりあえず洗面器でざざっと顔を洗い、着替えを済ます。
今までの黒いセーラー服から一転、純白の軍服を纏うようになって既に半月が経とうとしていた。とはいえ、正規兵になったからと言って仕事が大きく様変わりするかと言えばそうでもない。せいぜい事務仕事が今までより若干増えたかというぐらいだ。学生時代、相棒と共にブイブイ言わせてた甲斐あって三伯直々の任務に駆り出されることこそあれ、あとは他とそう変わることはなかった。
去年よりは幾分か伸びた褐色の髪を梳かしてから階段を降りると、なにやらリビングが騒がしいのに気付いた。
さてはと思い慌てて駆けつけると、
「お父上、大丈夫です。人は芋と水があれば生きていけます」
「うるせー、何が悲しくてこんな蒸かし芋ばっかの生活送らなきゃいけねぇってんだ! 大体給料はしっかり貰ってんだろ? 俺も稼ぎは家に入れてんだし、パンが少なくなったら買えよいい加減よう!」
食卓を挟んでぎゃいのぎゃいの言い合っているのは、銀色の髪と蒼い瞳が特徴的な青年と無精ひげの目立つ茶髪の中年男だった。
そこで、銀髪の男がこちらに気づいた。
「む。アメリア、起きたか。お父上の口には私の料理はどうも合わないようでな……」
「なあ適当に洗って蒸かしただけの芋を並べて料理って言い張るのはどうかと思うぞ、というか誰がお父上だ俺はまだ認めてない!」
中年男の言葉に、青年は首を傾げて見せた。どうやら本気で何を怒られているのか分かっていないらしい。
彼の名前はルーカス・ウォルター。没落貴族ウォルター男爵家の嫡子であり、サージェント家の居候であり――何より、アメリアにとっては長い時を過ごした相棒であると同時に恋人でもある男性だった。
さてこの男、色眼鏡抜きでも中々いい男であるとは思うのだが、赤貧生活を長く送っていたためか金銭感覚というものが真逆の方向に狂っている。居候の義務として仕事の合間に朝食や掃除、洗濯を積極的に買って出てくれるのはありがたいのだが、身に染み付いた吝嗇さはどうにも抜けきらないようで度々このような騒動を起こしているのは悩みどころである。
溜息を吐いて、アメリアはもう一人の男へと向き直った。
「お父さん、おはよう」
「……おう」
照れ半分、気まずさ半分といった様子で返してくる彼はジョセフ・サージェント。アメリアの実の父である。
おおよそ一年くらい前までは少し親子関係がぎくしゃくしていたのだが、今はこの通り、距離を探りながらも挨拶を交わせる程度までには仲が回復していた。
とりあえず落ち着いた二人とともに、朝食へ。食卓に出ていたのはなるほど芋だ。蒸かされた芋がそのままゴロっと皿の上に転がっている。贅沢を言うつもりではないが、なるほど一日の英気を養おうという食事に、流石にこれは酷い。ジョセフが起こるのも無理はない。
「ルーカス、パンとかが少なくなったら私に言って欲しい。その都度買ってくる」
「む。しかしだな」
「いいから」
「……了解した」
これで当面は良し。向こう半年はこのような騒動も起こるまい。
「それで、今日は皆どうするの?」
もそもそと芋を口に運びながら尋ねる。
「そうさなぁ、俺は溜まってる仕事を崩しに工房の方に行く。最近はブランジャール殿が割と仕事を回してくれているから、それの設計と試作をしなくちゃならねぇし、今日は帰ってこないかもだ」
「私は学園の方に特別教導員として呼ばれている。体術訓練の講師が急病で欠けているらしい」
「ふうん……」
二人とも今日は仕事らしい。
対して、アメリアは非番だ。
こくんと口の中の芋を飲み込んでふと考える。
じゃあ、今日は家には私一人?
◇◆◇
「ふぅ……」
抱えていた荷物を下ろして、一息。
折角なので、午前の時間は足りていない品を買い足しに使ってきた。机の上の紙袋にはリンゴやバゲット、ライ麦の黒パンに根菜などが収まっている。決して大した量ではないかもしれないが、生来小柄なアメリアにとっては大荷物だ。これを抱えてやっとこさ帰ってきたのだ。途中ボカディージョの路上販売があったので昼食代わりに買い食いなどもしてみたが、まあ許されるだろう。
しかし、身体的疲労よりもどちらかというと精神的な疲労の方が大きかった。
なにせ、店に行く度に「あら、お嬢ちゃんお遣い?」などと尋ねられるのだ。確かに大分幼い見た目をしているとは思うが、これでも齢は18。既に立派なレディである。それを捕まえてお嬢ちゃんとは何事か。ナンパなどの面倒な手合いが避けれるのは利点ではあるが……。
今度買い出しに行くときは軍制服を着ていこうと決心しつつ、パンやら野菜やらを棚に収めていく。食糧の他に、作業用手袋が大分消耗していたのでこちらは自分用とジョセフ用に二対。後は前にルーカスが興味を示していた本なども購入してきた。
これで当座やらなくてはいけないことは粗方片付いた。書類仕事も家に持ち込むようなものは無いし、さて次は何をしようかと思った矢先……コンコン。
玄関の方からドアノッカーの音が響いた。
来客かと思ってドアを開けると、郵便だ。なにやら便箋と一緒に包みが届いている。タグを見れば外国からの品らしい。
例によって子供扱いしてくる配達員に睨みを聞かせつつ配達物を受け取る。
自室に戻って便箋を開いてみれば、なんとも意外な人物からの贈り物だった。
「……マイ!」
柄にもなく声のトーンが上がってしまう。
マイとは、大陸中央部の都市国家に住むアメリアの友人だ。本名はマイヤと言ったか。アメリアよりも1か2歳下の少女である。
まだ母が死んで間もなく、ジョセフが仕えていた貴族に研究成果を奪われてもおらず、なによりアメリアに力――《神具》が発現していない頃。
父の仕事でほんの一ヶ月ほど中央部の都市に行ったことがあるのだが、その時現地で出会い、仲良くなったのがマイヤだった。
以来、時たまこうして手紙などで連絡を取り合っている。あちらも森に潜む敵と戦う使命に就いているようで、なかなか優秀らしい。友人として誇らしいと同時に、負けられないというライバル意識も芽生える。
一緒に送られてきた手紙には彼女が『先輩』と呼ぶ男性――どうやらいい関係らしい――との近況が、彼女らしい丁寧な字で綴られていた。最近は『先輩』とやらの妹を名乗る女がひょっこり現れて大変だとか、中々に年頃の少女らしい一面も垣間見れてみているこちらも楽しくなる。
「ん……?」
と、最後の一文でふと手が止まる。
そこには他よりも少し小さな字でこう書かれてあった。
“追記 一緒に送ったのはこの間のお返しです。”
はたと気づいて包みの方を開けてみる。
出てきたのは、純白の女性用法衣。たしかあちらの訓練兵学校の制服だったか。
思い出すのは先月、三の月の出来事である。そう言えばあちらにもいい人ができたという報告についつい老婆心……というか、お姉さん風を吹かせたくて、こちらの女性用制服(さすがに自分のサイズを送ると問題があるので、標準的なサイズを見繕ったが)を送り付けて「『先輩』さんを誘惑してやれ!」と煽ってみたのだ。我ながら下世話だとは思うが、向こうは気にしていない様子なのは幸いだった。
この法衣はその返礼、ということなのだろう。心なし、先程の一文が少しだけ悪戯っぽくも見える。
自分から仕掛けたのは百も承知だが、恥ずかしくてついつい頬を膨らませるアメリア。
が、ちょっとだけ問題があった。
「むむ……」
法衣を広げて見て分かったが、アメリアには少しサイズが大きいのだ。
無理もない。もうお互い会ったのは遠い昔の話だし、ましてやこれだけ経てば相応に成長するのが普通だ。それがよもや片方が幼児体型で何年も成長が止まっているとは夢にも思うまい。
折角の頂き物なので、仕立て直してから着ることに。
こういう時、アメリアの《神具》は役に立つ。
スッと中空へ手を掲げる。それが合図だ。どこからともなく黄金色の光が溢れ――収束、そして弾ける。
現れたるは二匹の蛇が絡みついた錫杖。伝令神の威光は、遍くを見渡し、分析し、解読する権能としてアメリアの手中に顕現する。
……と、普段は戦場での指揮や補助などに使う能力。
だが、応用すればこんなこともできる。
「裁縫方法解析。型紙再現。縮小、140の67/53/72」
【受諾……――全工程完了。視界上にガイドを表示します】
音声の直後、右目の周りに金色の光輪が浮かび上がった。視界上に裁断すべきラインが赤い点線で浮かび上がる。
法衣を繋いでいる各所の縫い糸を解いてから、裁ちばさみで自分に合うように切り取っていく。縫い方も《神具》が記録してくれているから、いざ服の形に戻す時も心配はいらない。素晴らしい。神はこんなにも便利なるものを我に与えたもうた。
【……こんなことのために……協力しているわけでは……】
なにやら涙ぐんでいるようなガイド音声が聞こえた気もするが恐らく気のせいだろう。《神具》が意志を持つわけなどないのだから。
◇◆◇
「フフンフンフ~ン……♪ フフフフフフ~ン……♪」
ざっくり二時間後。
台所には、大分サイズが小さくなった純白の法衣に身を包んだアメリアの姿が。上機嫌に鼻歌など歌いながら、夕飯の支度をしていた。
この法衣、生地が耐久に富み、給水性も良いという優れものだった。おまけにデザインも可愛らしく、それでいて暖かい。今は春先だが、冬などは普段着にしてもいいと思うくらいだ。
裁断の結果、大分余った布もある。あちらは巾着袋などにしようか、と色々と思いを馳せながら火にかけた鍋の中をかき混ぜる。
今日買って来たコンソメとニンジンや玉ねぎ、あとは余っていた芋を使ったコンソメスープだ。これにバゲッドをスライスしたものを合わせたのが今晩のレシピだ。決して豪華とは言えないが、芋ずくしよりは幾分マシだろう。
……本当は疲れているであろう恋人に肉でも食わせてやりたかったが、残念ながら生肉を長時間持たせる技術はまだ一般に普及していない。干し肉はレーションで食べ慣れてるし、家でわざわざ食卓に出すようなものでもないだろう。
と。
「……」
ピクリ、とアメリアの耳がその音を捕える。
慌てて火を止め、鍋の前から離れる。じれったいのでお玉は持ったままだ。
玄関に駆け寄り、ノブに手を掛けた。
聞こえる。聞き慣れた革靴が石畳の床を踏みしめる音。それだけで「彼」が帰ってきたのだとわかる。
そうだ、今日は何を話そうか。
買い出しで散々子供扱いされたこととか、遠いところの友人が手紙と荷物を送ってくれたりとか。
この服を見たら彼はなんて言ってくれるだろう。似合ってる、なんてストレートに褒める男じゃないことは知ってる。どうせ照れてそっぽを向きながら悪態を吐いて、でも結局最後は抱きしめてくれて。
この木の扉を隔てた一枚向こうにいる人の、そんな姿を想像して。ちょっとだけ期待しながら。
アメリアは、そっとドアを開いた。
「お帰り、ルーカス」
4月19日はアメリア・サージェントの誕生日です。
ハッピーバースデー、アメリア。