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影に咲く薔薇  作者: 流奈
7/9

7: 薔薇姫、夢を見る。

 アヴェントン公爵令嬢アーシェ・ファレスとして生きていた頃は、何もかもがつまらなかった。


 ファレス家の者は皆、その日の気分でアーシェに対する態度が変わる。大抵は無視か、顔を合わせる度に文句を言うかのどちらかだ。今日は前者らしい。おかげでアーシェは僅かながらも気分よく暇を持て余していた。

 家族のことは正直、見下げ果てていた。だから、いつか必ずこの家を出ていこうとアーシェは決めていた。方法は何でもいい。この家族と縁が切れるなら、どうでもよかった。

「――いい加減になさってください、アーシェお嬢様! ミューリエ様を見習って頂けませんか! 淑女としてみっともないですよ!」

 教育係のゲルダ・コッドナーの鋭い声に、アーシェは思わず眉を顰める。忘れていたが、仮に家族が自分を無視して、他の使用人がそれに倣おうとも、この老女だけは話が別だった。

 場所はファレス家の書庫。アーシェは幼い頃からこの場所がお気に入りだった。他の家族はあまり近寄らないし、広い書庫内には様々な本があって飽きない。だが、家族もこの教育係もそれが気に食わないようだった。貴族社会において女性が読むのを許されるのは、詩集や小説くらいだ。歴史書や戦記、政治学や経済書を好んで読むアーシェの存在は、女性に余計な知恵をつけさせないという貴族社会の風潮に反している。

「着飾るか、オトモダチと中身のない会話をするしか能のない、頭がすっからかんの女を見習えと言われても」

 本から顔を上げることもなくアーシェは答えた。反応は見るまでもなくわかる。ゲルダはいつも通り、怒りのあまり顔を赤く染め、きりきりと眉を吊り上げているのだろう。

「姉君に対して何たる言い様ですか!」

「うるさいな。耳は悪くないから、いちいち怒鳴らなくても聞こえる。――あぁ、もしかしてコッドナー女史にとっては書庫で怒鳴って、読書に勤しむ人間の邪魔をするのがマナーなのかな」

「そんなマナーはございません! とにかく、その本を片付けてお部屋へお戻りください!」

「嫌だ。読書の邪魔をするなら出て行って」

 転移魔術を以て強制的にゲルダを退室させ、これ以上誰も自分の邪魔をしないよう、書庫を封鎖する。こうしてしまえば、自分を引きずり出せる人間はいない。

 今夜は父主催の新年祝賀会が開かれる。五人の王子も揃って参加するということで、ファレス家は慌ただしく準備を進めていた。相手をしている暇がないからこその無視なのだろう。

 それに向けて着飾らされ、両親が厳選した親族の未婚男性(こんやくしゃこうほ)と引き合わされるのは目に見えている。その中に自分の眼鏡に適う人間がいるとは思えない。それだけはないと確信していた。

「――別に、誰かに利用されるのが嫌というわけではないんだけどな」

 ぽつりと呟く。微かな声は静寂に溶けて、誰の耳にも届かない。

 領民のための政略結婚か、それとも国民のための軍属か。いずれにせよ、誰かに利用されて生きていかなければならないのはわかりきっていた。幼いなりに、自分という存在の特殊性は理解していたから、その覚悟も決めていた。それでも、あの両親の思い通りに生きるのは御免だった。

 自分を利用する相手は自分で選びたかった。それこそが、両親の最も望まないことだと知っていたからだ。

 叶うなら、この人に使われたいと思える人間に会いたい。人形のように扱われても、奴隷同然の立場に貶められても構わない。この人に利用されて良かったと思えるなら。

 それが叶わないなら、せめて対価がほしい。僅かでもいい。報われたい。

「…本当は、わかっているんだ。ただの我が儘だって」

 どうせ叶わない夢だとわかっていた。それなのに、いつまで経っても未練がましく願っている。

 オールドローズの瞳が虚ろに輝く。それは、薔薇の妖精と称される程に美しい少女の、あまりに人間的な姿だった。


    *


「…」

 ふと目を覚ますと、視界が白く滲んでいた。目元を擦れば、温かく透明な液体が指先を濡らす。

「…夢」

 ファレス家にいた頃の夢を見たのは初めてだ。なぜ今更そんな夢を見たのかは考えないことにする。カーテン越しに差し込む陽光を浴びながら、アーシェは緩慢な動作で起き上がった。

 欠伸を噛み殺しながら顔を洗い、服を着替える。朝食用に買っておいた林檎に齧り付いた瞬間、唐突に通信が入った。

「んー?」

『おはようございます、リオナ。あなたにご指名が入りましたよ』

「誰から?」

『セノン・バイデン氏です』

 またかと思いつつ、アーシェはまた一口林檎を齧る。その口振りに、前回の大型魔獣討伐のような緊急性を感じないからこその暢気な態度だ。

「内容は?」

『脅迫状が届いたため、護衛をしてほしいと』

「そんなことで?」

『何でも奥方とご令嬢がひどく不安がっているそうで』

「あぁ、なるほど」

 アーシェの知るセノン・バイデンは肝の据わった人物で、脅迫状如きでいちいち【獅子王の牙】に依頼しない。しかし、最愛の妻子が怯えているなら話は別だ。

 詳細情報を聞いて準備を済ませると、アーシェはセノンの自宅に直接転移する。要所や要人の自宅等には転移魔術を阻害する術式を施されているのが通常だ。当然バイデン邸もそうなのだが、事前に許可を得ているアーシェには効果がない。

「おはよう、リオナ。毎度のことながら唐突ですまないね」

「おはようございます。どうぞお気になさらず」

 にこにこと微笑むセノンに一礼し、アーシェは少しだけ不思議に思う。何となく機嫌が悪そうだ。商売人である彼が他人に機嫌を悟らせるとは珍しい。脅迫状が届いて苛立つような人間でもないのだが。

「早速ですが、脅迫状の送り主にお心当たりはございますか」

「多分私の実家の誰かだろう。迷惑な話だ」

 やれやれと肩を竦めるセノンを見ながら、アーシェは彼に関する情報を思い出す。ダスティン伯ノーファス家出身の彼だが、結婚と同時に家を出て、商家であるバイデン家に婿入りして以来、実家とは不干渉を貫いているはずだ。

「ご実家、ですか」

「一ヵ月ほど前、王都で違法オークションの摘発が行われたのは知っているかな」

「…えぇ、随分な大捕物だったとか」

 そういえば、あれから一ヵ月が経ったのかと思いながら、アーシェは頷いた。

 首謀者はロスノール侯ブライアン・ハーク。貴族ということもあって、どうせ大した処分になるまいと思っていたが、その予想は外れた。所領及び財産は没収され、爵位すら剥奪されたため、貴族としての地位も失い、遠方の鉱山で生涯に渡っての無償労働の刑に処されるということで、社会的に抹殺された形になる。

「おかげで侯爵位に昇格されるとかで実家は今大騒ぎなんだと。両親は私に家へ戻らせたいようだが、兄弟はそれを快く思っていないだろうね」

「なるほど」

「まったく、レヴィネイス殿下もよくやるものだよ」

「レヴィネイス殿下、というと…王太子殿下でしたか」

 五人いる王子の末弟であるものの、唯一の正妃の子として王太子の位を与えられていたはずだ。宮中では王子たちによる王位争いが繰り広げられていると聞く。末弟とはいえ、正当な権利の持ち主として王位争いの中では優位に立っているはずだ。アーシェの脳裏にちらりと一人の青年の影が(よぎ)る。

「そうそう。何でも摘発の陣頭指揮に当たったのがレヴィネイス殿下ご本人らしく、厳罰を訴えたのも殿下だとか」

「…へぇ」

「興味があるのかい? 悪いがこれ以上は知らないな」

「いえ。そんな王族もいるのかと思っただけです」

「いるみたいだね。私もそう思った…あぁ、すまない、話が逸れてしまったな。依頼については向こうで詳しく話そう」

 そう言って歩き出したセノンを追って、アーシェも足を動かす。胸の中に鎮座する何とも言えないわだかまりには、気づかなかったふりをした。

元来アーシェは自由なんてものを望まずに生きていた少女でした。

常にノブレスオブリージュを果たすことを考え、領民の為に領地の繁栄の礎として政略結婚をするか、或いは国民と国家を守る為に軍人として国防を担うか、そのどちらかを望んでいました。

だから誰かに利用される人生を積極的に受け入れようとしましたが、それでも堕落しきった家族の思い通りに生きるのは嫌だという感情が、長年の義務感をとうとう上回ったのです。

…と後書きで補足してみる。


5月以内に終わるといいなと思いつつ、7話目投稿です。

それでは、ここまで読んで下さりありがとうございました。

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