6: 両名、相対する。
悲鳴混じりの喧騒に背を向け、レヴィネイスは廊下を歩いていた。その後ろには、淑女の仮面をかなぐり捨てたラベンダーが続いている。姿は変わっていないのに、別人にしか見えない。
「あの男、仕事ができるのはいいんですけどぉ、口うるさくてうざいんですよねー」
「何度目だ、その言葉は」
いつもの愚痴を零すラベンダーに呆れ顔を見せたレヴィネイスだが、すぐに険しい顔つきに変わる。
オークション開催中に騎士団を踏み込ませ、逃亡者が出ないようラベンダーの結界で屋敷を封鎖する。当初の計画は恙なく進んでいる。それなのに、レヴィネイスは機嫌が悪そうだ。不思議に思いはしたが、首謀者のいる部屋が見えたせいか、ラベンダーは何も言わなかった。
「――ガスト、首尾はどうだ」
「何一つ問題なく」
昼間と違い、騎士服を纏ったミント――ガスト・マーフェンは振り向かずに淡々と答えた。今の彼は、影のミントとしてではなく、騎士ガストとして存在している。その視線の先には、醜く肥えた巨体をみっともなく震わせる中年男性がいた。
「殿、下…」
「これはこれは、随分と妙な場所で出会うものだな、ロスノール侯」
ロスノール侯爵ブライアン・ハーク。彼がこの闇オークションの主催者であることは、予め調べがついていた。だから別に驚くことでもない。レヴィネイスは普段より一際鮮やかに微笑んでみせた。血の気が引いて蒼褪めた顔をしたブライアンとは雲泥の差だ。
「さて。貴公にわざわざ講釈を垂れずともわかっているだろうが、ロザーリエでは盗品や人間の売買は違法行為だ。何か申し開きはあるか?」
「お、お許しをっ…! 金ならいくらでも…!」
そこで、レヴィネイスはガストに目配せをした。その意味を正確に汲んだ優秀な騎士は、ブライアンの巨体を容易く床に叩きつける。
「いい機会だから教えてやろう。私はな、生まれ持っただけの権力を振りかざすしか能のない人間と、金に飽かせば何もかもが思い通りになると思い上がった人間が、反吐が出るほど嫌いなんだ」
酷薄な笑みを見せつけるように巨体を見下ろす。財力をひけらかすだけの装飾品が、主を一層惨めな存在に仕立て上げている。
「だから――覚悟しておけ。おまえを救う者など誰もいない」
ガストに向けて顎をしゃくれば、彼は一礼を返し、ブライアンを引きずって開け放たれたままの扉の向こうへと姿を消していく。次にラベンダーヘ視線を向ける。こんな状況でも彼女は楽しそうに笑っていた。
「私はこの部屋で他の証拠を探しておく。ラベンダーは身を隠し、ガストから連絡があり次第結界を解いて撤収するように」
「えぇー!? レヴィン様はどうするんですかぁ? アクアマリンはまだ戻って来ないみたいだしぃ、レヴィン様を一人にしたら怒られるのは私なんですけどー!」
当初の予定では、この時点でアクアマリンと合流できている筈だったが、そこだけは計画通りに進まなかった。捕らえられた少女たちが人質にされずに済むよう保護する役目を与えていたのだが、未だに少女たちは見つかっていない。耳に痛い声量に顔を顰めつつ、レヴィネイスは口を開いた。
「騎士たちにおまえの存在を見られる方が困る。さっさと行け」
「もー…どうなっても知りませんよ!」
まるで癇癪を起こした子供のように怒って、ラベンダーは部屋を出ていく。その後ろ姿を見送って、レヴィネイスは溜め息を吐き出した。証拠を探すとは言ったものの、どうしてもその気になれずにいる。会場で一瞬だけ鼻をくすぐった薔薇の芳香の記憶が鮮明に蘇る。
「――え?」
違う、これは記憶ではなく、まさに今起きている現実だ。僅かに匂う薔薇の芳香に、レヴィネイスは慌てて扉を開ける。そして、すぐ傍に人影を見つけた。
「え…」
どちらの声だったのか、よくわからない。茶髪の美しい少女がそこにいた。僅かな光を受けて輝く瞳は緑色。その色彩に心当たりはなかったが、透けるように白い肌と美しい顔、そして――甘く芳醇な薔薇の香りには覚えがあった。
***
薄暗い廊下を足早に抜ける。わざわざ気を付けなくても、毛足の長い絨毯が敷かれているおかげで足音は出ない。そうして進んだ先に辿り着いた部屋は、扉が僅かに開いていた。そっと中の様子を窺う。
「――…えてやろう。私はな、生まれ持っただけの権力を振りかざすしか能のない人間と、金に飽かせば何もかもが思い通りになると思い上がった人間が、反吐が出るほど嫌いなんだ」
聞こえてきた声に聞き覚えがある。先日大型魔獣に襲われ、今日も町中で出くわした青年の声だ。しかし、自分が今まで聞いていた声とは違い、冷淡で、酷薄だった。
「だから――覚悟しておけ。おまえを救う者など誰もいない」
その言葉を合図にしたかのように、誰かが動き出す気配がした。足音が近づいている。アーシェが急いで近くにあった銅像の影に隠れたと同時に、部屋から人影が出てきた。騎士服を纏った黒髪の見知らぬ青年と、彼に引きずられた太った中年男性は、アーシェとは反対方向に消えていく。
思わず首を傾げる。騎士がこの場所にいる理由がわからない。
警邏等の町村の治安維持活動は憲兵隊の業務であり、国境警備や賊の討伐等の国防活動は軍部の担当だ。騎士団は城内の警備や要人の護衛が主な業務だ。その姿を街中で見かける機会は極めて少ない。
「なぜ、なぜ――!」
「うるさい、黙れ。殺されずに済んだんだ、殿下のご厚情に感謝しろ」
殿下。その単語にアーシェは眉を顰めた。政情に疎いアーシェだが、さすがにこの国に五人の王子が存在し、なおかつ王女が存在しないことは知っている。そして、正妃の産み落とした第五王子が王太子の位を持っていることも知っていた。
「えぇー!? レヴィン様はどうす……すかぁ? アクアマ…………ないみたいだしぃ、レヴィン様を一人にしたら怒られるのは私なんですけどー!」
あの二人が出て行った後、しっかりと扉が閉まったせいで中の会話がうまく聞き取れない。それでもその女性の声だけは比較的はっきりと聞き取れた。その後、僅かに沈黙が続いて、着飾った女性が騎士たちの後を追うように消えていく。どうやらあの女性が結界の創造主のようだ。事情はわからないが、自分にとって重要なのは、結界を解除させて少女たちを脱出させることだ。女性の言葉を聞く限りでは、あの青年は一人きりで部屋に残るようだから、今のうちに追いかけるべきだろう。
そう思って追いかけた途端、アーシェは唐突に開いた扉に思わず驚いてしまった。視線の先、あの青年が驚いたように目を見開いている。昼間に出会った時は平民と同じような服を着ていたが、今は貴族という称号に恥じない程度に着飾っている。
とにかく今は退くべきだと瞬時に判断し、アーシェは素早く踵を返す。しかし、青年が彼女の腕を掴む方が早かった。
「――なぜ、君がここに? ギルドに依頼でも入ったのか?」
「…どうして、私だとわかったの?」
一瞬だけ、アーシェはこの青年が恐ろしいと感じた。顔もろくに見せずにいた上に、髪と瞳の色を変えた自分を、この青年は一瞬にして見破ったのだ。そんな人間は今までに一人もいなかった。
そんな彼女の心境に気づかない青年の表情が、不意を突かれたとばかりに強張った。
「匂い、が…薔薇の香りがしたんだ」
「…薔薇? そう」
そうは言われても心当たりがない。香水の類は身に着けていないし、他に薔薇の香りがするものを持っているということもない。アーシェは思わず眉を顰めたが、それ以上何も言わなかった。
「ギルドは関係ない。知人が拉致されたから来ただけ」
「なるほど」
「…騎士団が出張っているんだね」
「あぁ…本来なら職域が違うんだが」
「それなら、私はもう帰る」
この闇オークションの被害者である少女たちを保護するなら、自分よりも騎士団の方が適切だ。これ以上自分の存在に気づかれたくない。
「…そうか。もうそろそろラベンダーが結界を解くだろう。逃亡を防ぐための結界だ。帰るならそれからにしてくれないか」
「そう、わかった」
それ以上アーシェは何も言わず、踵を返して部屋を出た。さすがに少女たちを放置しすぎているし、なるべく早く騎士団の保護下に置きたかったのだ。
前話の投稿から一ヵ月が経っているとか、時が流れるのは早いですね…。
ということで六話目更新です。相変わらずのグダグダ展開ですみません。後四話くらいになるかと思いますので、お付き合い頂ければ嬉しいです。
王子なのに割と苦労性のレヴィネイスと、無自覚に彼を振り回すアーシェ…相性は良いのだろうかと今更ながらに思ってしまいました。個人的には割と好きな組み合わせですけどね。
それではここまで読んで下さり、ありがとうございました。




