4: 薔薇姫、囮になる。
大型魔獣の討伐という世間的には厄介事とされる依頼をあっさり片付けた翌日のことだ。アーシェは珍しくも上機嫌で街中を歩いていた。機嫌の変動幅が狭い彼女が、機嫌の良し悪しを露わにすることはほとんどない。
リオナ・クロアという高級菓子店がある。アーシェはその店の菓子が好きなのだ。家出して何が辛いかと聞かれれば、あの店の菓子が気軽に食べられなくなったことだと即答できるほどだ。リオナという偽名もこの店から借りている。
富豪御用達の店だけあって非常に高価で、平民にしては高給取りのアーシェでも気軽には買えない。しかし、昨日の大型魔獣の討伐依頼の報酬が思った以上に高額だったため、リオナ・クロアで菓子を買ってきた帰り道が今なのだった。
「――こんにちは」
ふと聞こえた声は、聞き覚えがある。不思議と自分に向けられた声だと確信して、アーシェは立ち止まって振り向いた。
そこにいるのは、自分より幾分年上だろう青年だ。藍色の瞳に、甘く整った顔立ち、貴公子然とした風体の青年は、先日大型魔獣に襲われていた人間だった。あの時とは違い、髪が茶色に変わっているが、端整な顔立ちは見違えようがない。
「…何か?」
「いえ、偶然見かけたものだから、つい。先日はありがとうございました」
微笑む青年は、先日会った時よりも自然体ではあるが、どことなく胡散臭いものを感じてアーシェは内心で警戒する。
「礼はいらないと言ったはずだけど」
「とんでもない。おかげで私は助かったし、部下も死なずに済んだ。礼をしなければとんだ礼儀知らずになってしまうから…礼の一つでもさせてもらえないかな」
素気無く言い放ったアーシェに、青年は変わらず穏やかな態度で言葉を紡ぐ。彼らを救うためではなく、単に依頼を果たすために魔獣を討伐したアーシェにしてみれば、礼をされる筋合いがない。
「依頼を果たしただけだから」
「そうかい?」
小首を傾げる仕草は品があり、以前とは違う質素な衣服を身に纏っていても、庶民とは一線を画した存在感を放っている。明らかに貴族の生まれである青年に、アーシェの警戒心は募るばかりだ。
アーシェの数少ない貴族の知人は、虚飾塗れで強欲な家族であり、彼らに関わる同類人物がほとんどだ。幼少期の頃などは、貴族とはそういう生き物なのだとしか思えずにいた。家を出て、伯爵家出身のカルデニア市長セノン・バイデンなどの例外と出会ったが、それでも固定観念が塗り替えられることはなかった。だから、自分自身が貴族令嬢でありながらも、アーシェは貴族という存在に嫌悪感を抱いていた。
「それとも、私に何か用事でも?」
義理堅いだけにしては、あまりにしつこい。声を低め、露骨に警戒しながら青年を見据えると、彼は困ったように微笑んだ。
「すまない、警戒させたいわけではなかったんだ。ただ――」
何かを言いかけて、青年はばつが悪そうに微笑んだ。
「――探し人に似ている気がして、つい。不快な思いをさせて、すまなかった」
そう言って頭を下げた青年に、アーシェは少しだけ驚く。こういう貴族もいたのかと思うと、それ以上無下にすることもできず、多少なりとも態度を改めることにした。
「気にしないでいい。探し人、早く見つかるといいね」
「…ありがとう」
気を遣ったつもりだったが、青年は微妙な顔つきで頷いた。不思議に思いはしたものの、それ以上何も言わず、アーシェはその場を立ち去ろうとする。
「あぁ、そうだ」
思い出したように声を上げた青年は、僅かに眉根を寄せて言葉を紡ぐ。
「君なら心配はいらないだろうけど、最近相次いで若い女性が失踪しているそうだから、気をつけた方がいい」
「そう。ありがとう」
礼は言ったものの、アーシェに危機感はない。【獅子王の牙】構成員に手を出すなど無謀もいいところだ。ギルドというのは等級が高ければ高いほど、構成員同士の結束が固い。一人を敵に回せば、ギルドそのもの――有力なハンター達と敵対することになる。もっとも、その結束が嫌われ者にも適用されるかどうかはわからないが。
青年と別れ、彼女は手の中にある包みを持ち直す。さっさと家に帰って菓子を食べよう。一瞬にして青年の存在を意識から消して家路につくアーシェだったが、その歩みはまたしても遮られた。
「――リオナ! エレンを見てないかい!?」
血相を変えて駆け寄ってきたのは、馴染みとなった八百屋の女主人だ。その言葉にアーシェは足を止め、女主人の娘を思い出す。自分よりいささか年上で、人形のように愛らしい少女エレンは、歳の近い少年らの憧れの的だった覚えがある。
「見てない。何かあったの?」
「昨日の昼に出かけたきり帰ってこないんだよ! 心当たりは全部探したけど、どこにもいなくって…!」
思わずアーシェは顔をしかめる。つい先ほど、若い女性が相次いで失踪していると聞いたばかりだ。無関係とは思えないが、それを正直に話すのも気が引ける。
「とにかく、見かけたら教えとくれ!」
言葉に詰まったアーシェに何も知らないと思ったのだろう。そう言って女主人は走り去っていく。その後ろ姿を見送って、アーシェは貼り付けたような無表情で歩き出した。好物に目を輝かせていた少女の姿は、そこには最早存在しない。
足早に帰宅して、菓子をテーブルに放って、鏡に向き合う。瞬き一つの間に黒髪は茶髪に変わったが、瞳の色はそのままだ。微かな溜め息を零し、瞳を閉じて、開く。瞳は淡い緑に色を変えている。本当は顔そのものも変えようと思ったのだが、やめた。年中フードを目深に被り、口元をマスクで隠す自分の素顔を知る者はいない。アーシェは、着ているローブを徽章ごと脱ぎ捨てた。
荒事はハンターの専売特許だが、それはあくまでも仕事だ。仕事でもない事件に関与したことをギルドに気づかれたら面倒になる。だからこその変装だが、顔は変えない。どうせ自分の顔を知る者はほとんどいないからだ。
問題がないことを確認し、アーシェは自身の感覚が指し示す通りに移動する。そこにエレンがいると確信していたからだ。
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目の前で媚び諂うように笑う男を見ながら、アーシェは呆れたように嘆息した。繁華街を訪れた彼女に声をかけてきた不審者だ。
道中で情報を集めたところ、繁華街を訪れた見目のいい女性ばかりが失踪しているとのことだった。顔を露わにして繁華街を歩き回れば、すぐに犯人が釣れると考えていたら、一刻も待たずに実現したのだから、呆れるのも無理はない。
アーシェは自分の容姿の価値を客観的に理解していたし、絶対の自信を持っていた。だからこそ、いざという時にそれを利用することを躊躇わない。
「…それで? 連れ去った女性はどうするの?」
「今夜の闇オークションで奴隷として売り飛ばします」
ナイフのように冷たく鋭い視線を向けられても、男は怯みもせずに笑っている。正常な思考力を奪われ、アーシェの望むまま生きることを自身の存在意義だと思い込まされているのだから当然だ。
「…まあ、いい。他の女性と同じように私を連れていって」
「わかりました」
女性達を助けるためには、同じように連れさらわれた方が楽だ。何の妨害もなく、被害者に接触できる。見えないところで危険な目に遭われると、どうすることもできない。
闇オークションの概要を聞きながら、アーシェは少しの間だけ目を閉じる。町娘に似つかわしくない、剣吞な輝きを帯びた瞳を隠すために。
探している張本人に「早く見つかるといいね」と言われたら微妙な反応になるのも無理はないですね。
相変わらずレヴィネイスが可哀想です。前作で格好いい系王子を期待されていた方、いましたらすみません。
それでも、アーシェが不意を突く形で関わらなければできる方なのです。
今作はちょっと…アーシェが唐突に絡んでくることばかりで難しいですけど。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。




