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影に咲く薔薇  作者: 流奈
3/9

3: 王太子、再会する。

※流血表現ありのため、苦手な方はご注意下さい。

「――殿下! ご無事ですか!」

「大丈夫だ」

 緊急の政務のために訪れた街から戻る途中のことだった。少しでも早く対応できるようにと、少数の護衛しか連れずに城を離れたことが間違いだったのだろう。兄が放ったと思われる手練れの刺客たちが一行を襲った。

 馬車の中で一人、レヴィネイスは思案する。この手の荒事に対処できる影はいくらでもいる。誰を呼べば円滑に処理できるか考えたが、問題は味方である筈の騎士たちだ。可能な限り、彼らにも影の存在は知られたくない。そう考えた時、一瞬だけ薔薇の芳香が鼻をくすぐった。その懐かしい香りに、胸が震える。

「殿下!?」

 馬車を飛び出したレヴィネイスに、騎士がぎょっと目を見開いた。同伴する騎士たちの実力を信頼している。だから、外界から隔絶された箱馬車の中で大人しくしている方が安全であり、この場を収める最善の策だとレヴィネイスは理解している。だが、一瞬だけ鼻腔をくすぐった薔薇の芳香が、普段は冷静な彼に突拍子のない行動をとらさせた。その無防備な姿を、白刃が切り裂くと思われた瞬間だった。

「ぐぁっ…!」

 大きい影が刺客の背後に現れた。猪に似た姿だが、そのサイズは猪とは全く違う。魔獣と呼ばれる存在は、人里を離れればどこにでもいる。しかし、大柄な成人男性を超える身の丈の魔獣など、そうそういるものではない。

 その大きな牙が、目の前の刺客に突き刺さった。みしり、と骨が悲鳴を上げ、赤い血が飛び散る。レヴィネイスの頬に生温かい液体が付着し、重力に従って白い肌に赤い線を描いた。先ほどの薔薇の芳香の余韻を拭い取るように、生々しい鉄錆の臭いが鼻腔を満たす。

 突然の事態に、残りの刺客たちは呆気なく退(しりぞ)いていく。魔獣の視界に入っておらず、身軽な彼らだからこそできることだ。

 だが、爛々と輝く赤い瞳に見据えられたレヴィネイスは、守るべき主君を持つ騎士たちは、そういうわけにもいかない。主君を守るべく前に出た騎士たちを嘲笑うかのように、魔獣が咆哮を上げた。

「――殿下! 急ぎ馬へ…!」

 常に最も身近で護衛をしていた騎士が、血の気の引いた顔を見せながらも、気丈にレヴィネイスへ声をかける。大型魔獣の討伐に必要なのは何かと問われれば、高威力の攻撃魔術に長けた魔術師だと、誰もが言うだろう。言葉にするのは簡単だが、そういった魔術師はなかなかいるものではない。

 攻撃魔術は他のいかなる魔術よりも魔力の制御技術が求められる。制御に失敗すれば、圧倒的な暴力と化して本人やその周囲に猛威を振るうからだ。威力を上げようとすれば、それだけ多くの魔力が必要となり、その魔力を制御できるだけの技量が要求される。そのどちらも併せ持つ者はそうそういない。

 火力を魔術で賄えないなら、専用の魔術をかけた対魔獣武器を装備した人海戦術で補うしかない。

 レヴィネイスは十二分に魔力を持っているが、彼が得意とするのは治癒や身体能力の向上といった補助魔術だ。攻撃魔術は得意ではなく、大型魔獣を討伐できる程の火力は発揮できない。不運なことに、急いでいた上、人間の刺客を想定していたために騎士たちは対魔獣武器を持っていない。現状ではどうすることもできない――しかしそれは、今この場にいる者だけで考えればの話だ。

 背に腹は変えられない。対魔獣戦に最も適した影の名を呼ぼうとした瞬間、再び薔薇の芳香が鼻先をくすぐった。

「っ…!」

 痛いほどの耳鳴りが鼓膜を震わせた直後、暴風が吹き荒れた。またしても、薔薇の芳香を洗い流すように、血腥(ちなまぐさ)い臭いが鼻腔を満たす。警戒しつつも様子を窺ったレヴィネイスと騎士たちは、思わず目を見開いた。

 小柄な人影が、いつの間にかそこに立っていた。フード付のマントを目深に被り、口元を布で隠しているため、顔はよくわからない。隙間から見える肌は透けるように白く、瞳の色は夢にまで見たオールドローズだ。

 僅かに見える髪は黒だが、レヴィネイスは不思議と確信していた。この人物こそ、ずっと探していた薔薇姫なのだと。

「助けて頂き感謝致します、旅の方」

「感謝をする必要はない。仕事だから」

 驚愕のあまり言葉が出ないレヴィネイスに代わり、騎士の一人が頭を下げた。対して薔薇姫は、思いのほか低く、中性的な声で素っ気なく告げる。不意に彼女は魔獣の牙にかかって死んだ刺客を冷めた目つきで見下ろした。

「魔獣の被害者は報告するよう指示があるけれど…それは?」

「不要です。魔獣がいようがいまいが、この場で死んでいた人間ですから」

「そう」

 身なりでろくな人間ではないと見当をつけていたらしく、彼女は淡々と頷いた。揺れたマントの上で光った何かに視線を向けたレヴィネイスは、今の彼女の身の上を知った。

「…随分腕が立つと思ったら【獅子王の牙】の方でしたか」

 吼える獅子を象った徽章は、最高ランクのハンターギルド【獅子王の牙】の構成員の証だ。その色で持ち主のギルド内の立場がわかる。金色の徽章は最高ランクのハンターを意味する。数多(あまた)いるハンターの中でも上位の者が集うギルドにおいて、実力、実績ともに飛び抜けた存在だと物語っていた。

「おかげで助かりました。ありがとうございます」

「ただの偶然だから、礼はいらない。気にしなくていい」

 ようやく思考が一段落したレヴィネイスが頭を下げると、彼女は彼を見つめた。その瞳からは感情を読み取れず、なにを考えているかはわからない。

 満月の下、初めて出会った時と同じく、強烈な罪悪感が胸に突き刺さる。自分は今平然と笑えているだろうか。それすらもわからなくなる。息苦しい程の威圧感に早鐘を打つ心臓を宥め、何とか平静を取り繕おうと、いつの間にか溜まっていた唾を飲み込んだ。

「…それは引き取る。早く離れた方がいい。血の臭いにつられて他の魔獣が集まってくる」

 そして彼女もまた、あの時と同じようについと興味を失ったかのように自分から視線をそらし、切断した魔獣の頭を掴む。一瞬の内に頭は消え失せ、彼女もまるで幻が消え去るかのように姿を消した。

「殿下」

「わかっている。行こう」

 騎士たちの負傷の具合を素早く確認した。幸いにも全員が軽微な負傷で済んでいる。僅かに安堵の吐息を零し、レヴィネイスは周囲に促されて馬車へ乗り込んだ。

 瞳を閉じれば、強い意志を湛えて輝くオールドローズの瞳が目蓋の裏に像を結ぶ。自分の命が助かったことよりも、騎士たちが軽微な負傷で済んだことよりも、何よりも――彼女が無事でいたことが、美しくも気高い薔薇姫が穢れずにいたことが嬉しい。

 それなのに、一抹の恐怖が胸に突き刺さる。ようやく諦めつつあったのに、これでは「無事ならそれで構わない」などという殊勝なことは言えない。一度満たされてしまえば、貪欲に次を求めてしまう。

「…どうして」

 ぽつりと、零すように呟く。どうして今更再会してしまったのか。再会などしなければ、諦めたままでいられた。潔く諦められない己の弱さに、レヴィネイスは思わず唇を噛み締める。

 苦しい。それなのに、嬉しくて仕方がない。矛盾した思いが胸を締め付ける。

 間違いだと理解はしている。それでもなお、心が叫ぶのだ。


 ――会いたい、と。

レヴィネイスがまるで乙女のようだと思いつつ投稿。

アーシェのことになると途端にキャラが変わるのはまあ…惚れた弱みというヤツなので仕方ないですね。


それではここまで読んでくださった皆様、ありがとうございました。

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